一一六話 ささいな抵抗の意への返しは、最悪


 然樹ネンシュウ皇太子こうたいしの手が私の軍装ぐんそうの胸元に伸びてきたと同時に細工さいくが済んだ。枷が外れる軽い音がして私は牢内の湿しめを集めてこの変態皇太子にこれでもか、と浴びせかけた。


 小さな呻きがして、皇太子との距離が開く。開いたので私は急いで足枷を妖力水ようりきすいで溶かして解除し、いまだ名も知らぬ猫人ねこびと族の女の子を立たせて牢を後退って壁を破壊し。


「命令だよ、芽衣ヤーイー、そのむすめを捕まえろ」


 がくっ。服のすそが掴まれて引き倒される。直前聞こえた声、命令から推理すいりするに。


 やはり式締しきじめによってこのコはあの皇太子の支配下しはいかにある様子。牢の床に叩きつけられた私に「ヤーイー」と呼ばれた少女はびくびくおどおどして泣きそうになっている。


 私への恩義おんぎがあるのにあのクソ皇太子の命令に逆らえなくてまた泣きそうになってしまっている。いや、それなら私も泣きたいくらい悔しい。式締めの解除方法までは知らないのだから。このコを、芽衣を縛っているのろいをといてあげられないことが憎らしい。


「ふう、危ない危ない」


「くっ」


「ダメじゃないか、水姴スイレツ将軍。君は今、僕のモノになっているんだ。あの皇太子がバカだったお陰でね。今回ばかりは嵐燦ランサンに感謝しなくちゃいけないな。こんな極上の生娘きむすめを寄越してくれたんだからさ。それにしても、あの冷静気取りがああもバカになるなんて」


「殿下、の悪口を言う、な……っ」


「いいよ。君が嵐燦にとってどういう存在なのか、教えてくれたら考えてあげるよ」


 沈黙。痛い静けさが降り積もる。然樹皇太子はなにも言わず、私の告白を待っているようだが私が言うわけない、というのもわかっている筈なのに。どういうつもりだよ?


 わけがわからないまま私は身を起こしてというか芽衣に引っ張り起こされて両腕を後ろにまわされて拘束される。まずいな。その気になれば芽衣くらい振り払えるが……。


 そうしたら、このクズ皇太子は芽衣を役立たずだ、と、勝手すぎる判断で殺すかもしれない。私の視界にうつる生き苗床なえどこの男の死体。美しい花を咲かせている死骸しがいは恐怖。


 私以上に芽衣にとってはもう、恐怖しかないだろうというのは想像に易い。私の腕を捻りあげる両手は震えている。手のひらに冷や汗を浮かべて私を捕まえている憐れさ。


「言わないのかい? おおよそ予想はついているから別にいい、といえばいいけど」


「なら訊くな。クソがっ」


「ホントに、悪い口。……だけど」


「? あえっ」


 唐突とうとつに頭腐った皇太子が私の口に手を突っ込んできた、と思ったら舌を掴んで引っ張りだす。おえ。ちょ、なにしやがる。吐くだろうが、んなことしたら。で、抗議こうぎの意をこめて皇太子をにらむと彼は手に鋭く尖った針に短刀の持ち手がついたものを持っていた。


 なにをするのか、されるのかわからずいると然樹皇太子は私の舌にその針先を容赦ようしゃなく当ててきた。ツゥ――ッ! な、に。なにをしているんだ、この野郎。針が舌をすべっていくたびに痛みが、新鮮で鮮烈な痛みが一緒に走っていく。さすがに泣きはしないが……。


寡黙かもくと服従、あとは支配を、と」


「えう、あ、あに、をしへ……いは、い!」


「ああ、しゃべらないで。手元がくるう。なにを、か。うん。簡易かんいの仮式締めを少しね?」


 は? な、に。なにを言っているこいつ。


 式締め、だと。それは、それを人間にするのは禁忌きんきだと知っている筈じゃ、ってそんな場合じゃない。先ほどのこの然樹皇太子の発言からしてほどこされるじゅつの形式、まずい!


 だって「寡黙・服従・支配」ってそれは。口を利けなくして服従させ、支配するという暗示あんじをこめる、ということだ。ダメだ、やめさせないと。このままじゃあ、私――。


 身をよじろうとするが芽衣の拘束こうそくが緩まない上、皇太子も術のもんりながら私を押さえつけてくる。ちりちりした痛みが徐々に深くなってくる。舌先から血のしずくが零れる。


「やあ、やえろっ、あっ、あ゛ー!」


「いい声がでるじゃない、水姴将軍。この術ね、強情ごうじょうなやつにとてもよく効くんだ」


「あぐ、ぅあ、えあっ」


「さて、と。じゃあ、これで仕上げだ」


 仕上げ。と言って然樹皇太子は衣のあわせから真っ白い、高級そうな紙のふだを取りだしてそれに私の血がついた針でなにか記していった。で、そいつを私の喉のところに貼る。


 ――ドクン。


 急に、心臓が悲鳴をあげた。熱い。舌だけでなく全身熱いし、痛いっ。チクチクだなんて小さな痛みじゃない。痺れるような、焼けた刃を隙間なく当てられているような。


 そして、遠いのに近い場所から声が聞こえてきた。甘い甘い、蜂蜜はちみつみたいな、声。


「これから君は、水花スイファだ。そして、僕に絶対服従すること。いい? わかったね?」


「……」


「うん。いいコだね、水花」


 甘ったるい声、気持ち悪。と思ったのに気づけば私は頷いていた。いや、違う。「頷かせられて」いた。咄嗟とっさ抗議こうぎし、反抗の意思を示さねばと思うのに体どころか心までもがしーん、と静まり返っていて。まるで、死んでしまったようなのに、意識は明瞭めいりょうで。


 目の前にいるクソ皇太子は大満足、といったふう笑顔で私にまたも近寄ってきた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る