一一五話 顔を見せたらなんだ、これは?


 これが精神心理学でいうところの作用さようだろうか。無理難題を拒絶したら次にだされる代替だいたい案の難題を拒否しにくい。というのがあるそうで、ユエが得意げに「よお使つこうた」だのと言っていたことがあった。月はいい。そこまでバカげた難題じゃない。……かもな。


 あのきつねもたいがいにふざけるので。面白おもしろおかしい程度ではあろうが、それでもアホ難題を吹っかけたというところで現実逃避をやめよう。顔、顔ね。正直言えばいやだが。


「なんで、顔なんか」


「ん? ああ。あの嵐燦ランサンは知っているんだろ? その上で君の手前、無様ぶざまにつけ損なったけど格好つけようとしたのはどうしてか、って考えてね。醜女しこめ美姫びきか、ってさ?」


「……醜い、ってので殺すなよ?」


「安心して。僕、女の子には優しいから」


 いや、大嘘こけ。猫人ねこびと族のこの女の子に拷問ごうもんなんぞ仕掛け腐ったようなやからがどうやって優しいと主張する気だ、ボケ。しかも相手、皇太子こうたいし側も絶世ぜっせいの美人なので比較されるのはすっごくいやだ。私は残っているばん衛仕えじをちらり。と、皇太子が手を振った。


 衛仕はほんの少々逡巡しゅんじゅんした様子だったが生き苗床なえどこになって死んだ同僚どうりょうの死体を見てすぐさがっていった。だよなあ。私もアレのあとでなおこの皇太子に逆らうのは引ける。


 衛仕の足音が遠ざかり、遠く向こうで扉が閉まる音がしたので私は枷のふうじの呪術じゅじゅつを刺激しないように気をつけてめんを顔にくっつけていた妖気ようきの接着術を解除。ひもをとく。


 そっと、そろそろりと面を外して泉宝センホウの皇太子、然樹ネンシュウに顔を向けた。そうしたら目を丸くしているのが見えた。ほらな、ほらな! だからいやだったんだ。醜女ぶすで目汚し!


 そう言われる前に面を当て直そうとしたが私の腕を掴む大きな手の熱を感じた。嵐燦殿下と全然違う、熱。驚いて自分の腕を見ると青い衣を纏った男の手が捕まえていた。


 たどっていくと、見えたのは間近にいる然樹皇太子の美貌びぼう。その顔にあるのは、なんだろうこれ。極上の獲物を見つけた肉食獣の喜び、のような感情が躍動やくどうしているけど。


「へえ。はじめてだよ」


「あ?」


「これまで生きてきた中ではじめて見るよ、君みたいなコ。なぜ隠していたのか、醜いなんて冗談にもならないことを思っていたのか不思議なくらい、宝石のよう美しいね」


「あ、そ」


「あれ、薄い反応だね。本気だよ?」


 本気、ね。こいつが言うとすべてが嘘臭い謎現象だが実際心に響かない程度でしかないので私の反応など薄くなる以外にどうしろと? 喜べ、とでも言うのか。無理だし。


 てめえの悪逆非道あくぎゃくひどうを散々見せつけられているのに、どうして、なにがどうしててめえからの私顔評価を喜べと言うんだ。普通に無理。よく考えなくても嘘にまみれている。


 それなのに、どうして手放しで喜べ、のように言われるのかはなはだてかかなり疑問。


 疑問しかない。そう思っていると然樹皇太子の顔が近づいてきた。ちょっと不謹慎ふきんしんな距離に入ってきたのには私も抵抗する。ぐ、と掴まれていない方の手で拒絶しておく。


 くす、と笑う声。私はそっぽ向いて無視、しようとしたが首筋くびすじってきた感触に背筋がゾゾっと粟立あわだった感覚。生温かくて柔らかい感触。指だのじゃない。多分、舌だ。


 私が視線を戻すとなぜか、本当になぜなのか然樹皇太子が私の首筋に舌を這わせていた不可解。ぞわっとキた私が皇太子のひたいに手を当てようとするより早く手を取られる。


「ちょ、なん」


「君、とっても美味しそうだからさ」


 いや、それ答になっていない。てかちょっと待ってこいつまさか人間じゃなくてあやかしというオチないよな? マジの意味で喰われるとか、ないよな? いやな死に方。


 が、私の疑念が伝わったようで然樹皇太子はさらにくすくす笑った。否定の意を含んだ笑い声は軽やかであるが、それが首筋に吹きかけられている私はくすぐったくて、不快。


 相手の真意しんいがわからないのでどう反応したものかわからずいる私の両手が束ねられて皇太子の片手で押さえつけられる。そして、皇太子はといえば私の耳朶みみたぶをかぷり、と。


 ひ、ひえ、ひえええっ!? なにしやがんだこの変態野郎! いや、弩級どきゅう変態が!


「ああ、柔らかくて噛み応えもいいね」


「な、な、な、へ、変、態……っ!?」


「失敬だなあ。君のこと、隅々まで味わいたいだけなのに。ま、全然足りないけど」


「それと耳齧るのとなんの関係がっ」


「? あれえ、ひょっとして乙女おとめなのかい、水姴スイレツ将軍。それはまた、ご馳走ちそうすぎる」


 意味わからん! てめえがなにを言っていてご馳走だの乙女だの言っているのか私には寸分すんぶんたりともわからない。――乙女? それってもしかしなくても男性経験のこと?


 それはあれ、ないけど。だって、殿下の即位そくい四夫人しふじん入内じゅだいもまだなのに殿下とそういうこう、夜を共にだなんてダメだろ。それに予想がつかなさすぎて心の準備がまだ。


 でも、それとこの皇太子の発言の意味が、わからない方がどうかしていた。つ、つまりそういうことかこの野郎。私を抱きたい、と? こんな者を? なにその悪趣味あくしゅみさ!


 ……あれ。そうすると嵐燦殿下も悪趣味になっちゃうのかな。いやいや、殿下のはいいんだよ。こいつのこれは愛のない、そういう手の感情がないただの性欲せいよく処理目的だ。


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