一一二話 取引代わりにひとつ、要求


 女の子の視線がかすかに動く。牢内の私に向けられた目。恐怖し、亡き父に代わって助けてくれないだろうか、という願いをこめた瞳の色。猫そっくりの金瞳きんどうに光る涙粒。


「ひとりぼっちは淋しいだろ? 愚かで滑稽こっけいだった父親のあとを追いかけるといい」


「おい、クソ皇太子こうたいし


 見ていられなくて、悲しくて。守ってくれる存在を亡くしただけでも辛いだろうにこの上、私が口を利かないと言うからなんて理由にもならない理由で殺されるなど……。


 これを見過ごしては私もクズの仲間入り。そんなの許せない。ハオの、大鬼妖だいきよう庇護ひごを受ける身として絶対に許しがたい。私は水性すいしょうが強い冷めた女だと思っていた。


 だけど、いつだったかユエが言っていたよう、いでいると思ったら突如とつじょ荒ぶる心。


 そんな面倒臭い心の持ち主。だから放っておけない。少なくとも、私は。絶対に。


「君は本当に口が悪いなあ」


「はっ、そうかよ。せめえ心だな」


 ひく。皇太子の手、少女を切り捨てようと刀を握っていた手がひきつるような動きを見せた。私の片足首にも枷が嵌めてあったのであちらに近づきようないが、声は届く。


 狭量きょうりょうだと言ってやりつつ私は我ながら危険すぎる賭けだ、とは思ったが口にした。


「そのコを、私に寄越せ」


「? どういうことだい」


「こうして牢に隔離かくりするならすぐ殺す気はないということだろう。だったら身のまわりの世話をしてくれる者が欲しい。そのコは純粋で心根もやわいと見える。うってつけだ」


「そんなもの、僕のところの侍女じじょを」


「てめえの息がかかった者など信用できん」


 すぐ殺されないなら、生きて天琳テンレイに、殿下のもとに戻ることが叶う時が来るだろう。


 そうなった時、この身に制約せいやくをかけられるなら誰かしら世話係をつけられる。より正確に言えば、世話を焼く監視役が。んなもん息が詰まる。こいつの飼う侍女など特に。


 信用できない。虜囚りょしゅう相応ふさわしく、と言われても知るかと蹴飛けとばすだけの元気がまだ私にはある。なら私が過度に緊張しないでいい相手がいい。それに、それで救えるなら。


 これはこれで妙手みょうしゅだ、と思えた。例えあのコがあの皇太子に毒されていてもいい。だまされていたって、いい。それが私にできるあの勇者おとこへの手向けならば。それで、いい。


 なにを仕掛けられたってそれはあのコを選んだ私の責任になってくる。あとは皇太子がどうでるか。だったが、思わず見惚みほれる笑みを浮かべて少女の鎖をって牢内へと。


 意外。もっとねばるかと思った。まあ、だからと認識を改めることはないのだけど。


 あの野郎がしていたことは低俗至極だ。惨すぎる。ひどすぎる。残酷すぎるだろ。


 猫人ねこびと族の少女は私のそばまで恐々近づいて涙を溜めた目を向けてきた。が、口を開こうとはしなかった。あの皇太子の目がある。当たり前にこらえる。許可なくそんなことをすればせっかく回避かいひできた死が眼前に迫ることになる。私はだるい体を起こして向きあう。


 少女の向こうであのいけかない皇太子が目を丸くしたが、知ったことじゃない。


 どうでもいい。重い手をあげてまだ幼い、あやかしにしても幼いそのコの頭を撫でると少女の瞳から涙がボロボロ流れはじめた。ひっく、ぐす。漏れでる嗚咽おえつと悲痛な声。


 おそらく人間の歳に無理矢理はめて十代に入ったばかりであろうそのコは泣きじゃくって両手で顔を覆う。零れでていく声。「爸爸パパ、爸爸……っ」繰り返される求める声。


 もう、この世のどこにもいない父親を求める声はきっと悲しい響きなのだろうな。


 生憎もなく私には親などいたことがないので共感できかねるが。それでも大切なひとを永遠にうしなった、という気持ちはどういうわけかわかる。そんな気がした。例えば、それは私にとっての殿下辺りだったりする。皇后こうごう陛下や他にも上尊じょうそん四夫人しふじんも含まれるが。


 大事だいじなひとたち。失いたくない。そうなるくらいなら私が失われた方がまし、だ。


 そうでしょ? そういうものじゃあない? 違うなら違うで、もういい。私はもうこのコの命を預かった。すくいあげてしまったのだから、ならば最後まで面倒を見るさ。


「泣きやめ。親父おやじさんが不要に悲しむだろ」


「ごめ、なさ」


「怒っているわけじゃねえよ。ただ、てめえの親父はてめえを解放する為に命を懸けて散ったのがわかるのならそれ以上泣いて心配を増やしてやるな。いつまでも休めねえ」


「……! はい」


 ひとつ、強くうなずいて無理矢理泣きやんだ少女はその場で深々と頭をさげてくれた。


 お世話になります、だろうか。それともお世話します、の意だろうか。わからないが私もひとつ頷いておく。ついでに少女の頭をふかふかぽんぽん撫でておく。柔らかい。


 私の髪とは違う。強靭きょうじん、とまではいかないが妖気ようきという栄養がゆき届いている私の髪は通常のひとより強めらしい、というのは桜綾ヨウリン様の髪を手入れした時に知ったことだ。


 で、このコのこれはいわゆる猫っ毛というやつか。顔立ちも猫のそれによく似ているのは思い込みによる錯視さくし? まあ、いいけどどうでも。さて、今後を考えてみようか。


 とりあえず、こうして世話係をつけたということはまだ当分解放する気がないということだ。少なくとも天琳に返す気がない。いや、まあ、うん。こんなのに身代金みのしろきんとか。


 ありえない。いかに殿下のきさき候補だからといえ戦場いくさばではただの一将軍でしかない。


 そんな私なのだから。それを解放してくれ、と言って金をだしていたら破産はさんする。それはダメすぎる。あと、この性悪しょうわる皇太子のことだから巨額きょがくを吹っかけそうなクズ予感。


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