一〇六話 開戦せよ。で、どうやら話以上だ


 くつ先でとんとん、と地面を叩く。と、地面が不気味にぐらつき、水の槍が赤い液体を流す物体を引っかけて地表に現れる。これだけではない筈。地中に兵を隠す程度では。


 場慣れた将軍や軍師ぐんしなら誰でも思いつく。私のような素人が思いついてふうじたくらいだもの。他に隠しだねがある。そう見るべき。私は連れてきた軽装けいそうの兵――弓兵に合図。


 弓に矢をつがえさせ、つるを引き絞らせて狙わせるのは、私がつくりだした水の大玉。


 そして、弓兵たちが番えているのは火矢ひや、と呼ばれる種類の矢だ。……このあわせ技はすでに彼らが同僚どうりょうたちで実際に見てその脅威のほどを充分に知っている戦術である。


えっ!」


 私の掛け声を皮切りにして兵たちが続々と矢を放っていく。敵兵は一瞬嘲笑ちょうしょうしたがいで悲鳴をあげて転げまわるはめになった。見当外れの方向へ矢をている、とでも?


 それこそまさか。これは演習えんしゅうでもなんでもなく実戦じっせんにして本物の敵を用意されてのいくさなのだ。どこの阿呆あほうが無駄だまならぬ無駄矢を放つと思えるのだろう? 脳味噌花畑か。


 当然手加減無用。兵たちもそうだが私も用意した水玉はただの水じゃない。微調整をようしない妖力水ようりきすいをしこたま用意してやった。これなら土性どしょう以外のあやかしさえ害する。


 生憎あいにく土剋水どこくすいことわりだけはくつがえせないので土性のあやかしがいたら後詰ごづめに控えている本物の純竹製じゅんたけせいの矢を持つ兵が射る。私が貸してもらったのは軍議ぐんぎでの提案通り弓兵たちだ。


 他の歩兵はすべて厽岩ルイガン将軍が預かってくれた。歩兵たちのほとんどが新米しんまいだったのも理由のひとつだ。厽岩将軍の方が采配さいはいの手腕において私より数倍、十数倍すぐれるしな。


 それなら経験を積むという意味あいでも彼が預かった方が伸びがいいのは明白だ。


 後方支援こうほうしえんの彼らは半人はんじん化している獣のあやかしを見てひるんだ様子だが、私はなぜ怯む必要があるのかわからない。水性すいしょうでも火性かしょうでもないが、土性でさえないならこいつは。


「後方支援だけとは運のない部隊だな!」


「……はあ?」


 強気つよきなのは結構だがよ。獣人じゅうじんあやかしのてめえ、もしかして気づいていないのか?


 胴体が斜めにずれていっているんだが。そして私は背の槍を振り抜き終わっているんだけど。な、知っているか? てめえ、もう死んでいるかひょっとしたら一寸ちょっとの命だ。


 めんの下で冷たく死を見下ろす私がいる。あやかしといえど命をほうむったことに感慨かんがいはないようだ。……つくづく私は水性の強い、むしろ一際きっつい性質せいしつを持っている模様もよう


 果たして私は自軍犠牲ぎせいがでて心乱すひとらしさを持っているだろうか。こういうところもハオの、鬼妖きよう魅入みいられたあかしに思えてならない。で、そこでようやく自身の現状に気づいた獣人あやかしだがすがるように伸ばされた手を私は切り飛ばす。情け無用当たり前。


 それが戦の舞台に立つ、ということだと考えるのはそれとも私だけなのだろうか。


 両軍、硬直してしまっている。私は壬葉ミヨウ将軍の槍、浩の槍を振って血糊ちのりを払い落とし肩に担ぐように構え直した。じりり、とあやかし部隊が後退あとずさる。命惜しむように――。


従軍じゅうぐんはてめえらの意思じゃねえのか?」


「……娘の為だ」


「妻の為だ」


「両親を守ることができるならっ」


 私の問いにあやかし兵たちは応えた。強制きょうせいされていると取られてもいい言葉たち。


 家族、大切な者の為、存在を無事に生かす為に軍にぞくしたのならば、憐れなことではあるが私のように腹に覚悟を据えていない、据え切れていない半端者たち、なのかね?


 ま、あやかしの言葉をに受けるお人好しではない私は構えをとかないし、向こうも退きさがるにさがれないでいるようだ。場は硬直。そしてれるような時間がすぎて。


「もし」


「あ?」


「俺の娘を助けてくれるなら、こ」


「おやおや、いったいなんだい。これは?」


 不意なこと。どこかで聞いたことのある声がした。ひとを見下みくだし、虚仮こけにしているかのような男の声。嘲弄ちょうろうの色濃いその声はあやかし軍団の後方から現れた。ご丁寧なこと御輿みこしに乗り込んでみずから「偉い」と主張する様。この高慢こうまんな声調子からして、確定できる。


 だが、まさかと思った。敵将の中でも特等とくとうの首が向こうからあやかしたちという異種いしゅ的戦力に囲まれているといえ戦線の最前列に現れるなんて。誰が予期できただろうか?


「やあ、あの軍議以来だね、水姴スイレツ将軍?」


「……式締しきじめ、か? ずいぶんと陰険いんけんな真似をするようだな、泉宝センホウ皇太子こうたいし。頭にうみが溜まっていやしねえか? どうやって大量のあやかしを従軍させたのか疑問だったが」


「君は式に詳しいようだね。ふうん?」


「そこまでじゃねえよ。式持ちの常識だろ」


 そう。式締め、とは式持ちの人間ならば誰でも知っている禁じ手のひとつだ。戦に綺麗事を並べる気はないが、卑劣ひれつさをたたえる気にもならない。式を強制的に封じ込める術を式を締めあげる意で呼びならわしたのがはじまり。悪辣あくらつな人間共の間で広がった邪法じゃほう


 式を従わせる為には見あう妖気の受け皿がる。それによってあやかしは強い妖気に耐えうる人間を本能の域で見抜く。そして、自身の妖気を預けるという契約を結ぶのだが、契約自体は形骸けいがい化しているのではぶける。私とユエのように。だから強い式とは厄介やっかいだ。


 相手に見あうだけの皿、もとい器がなければ接触者を殺す者がほとんどであり、矜持プライドも高く多くは人間を見下している傾向が強い。式締めはそうした式の弱みを握って見あわぬ器に強制的に封じ込めてしまう、あやかしの尊厳そんげんを無視する。そういう手法しゅほうす。


 親きょうだい伴侶はんりょもしくはその間に生まれた子をしちに取って脅し、強い力を持つあやかしたちを無理矢理従えている。というわけだ、このクソ皇太子は。マジ最悪、だな。


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