一〇五話 じゃあ、いきますか。私の戦場に


「殿下は」


へやにこもってしまわれているそうだ」


「そう。だったら、いい」


水姴スイレツ将軍、その、なんならとどまっても」


「不機嫌小僧の相手なぞわらわゴメンぢゃ」


「……と、言うきつねもいるからな。それに私も正直我儘わがまま言う殿下はけないっつーか」


 なんなら留まっていい。と言ってくれた厽岩ルイガン将軍に私は正直な気持ちを告げる。我儘を言う殿下などこれまでも見てきたはそうだが、今回のこれは別問題だ。命懸いのちがけ故に。


 厽岩将軍は私の返答に微妙な顔をした。ぼそりと「手厳しいことだ」と聞こえた。私はうんともううん、とも言わない。言えない。殿下のことが好きか、と訊かれるとまだわからない、というのが本音だ。そもそも他に殿下くらい歳の殿方を知らないのだから。


 比較できたらもっと理解深まる。でも、今はそれどころではないのだと双方共にわかっている。私も殿下も。もっと言ってユエも陛下も厽岩将軍ですら。喧嘩けんかどころでない。


 今は泉宝センホウ、目の前に現れる敵を追い返すことに全力を投じるべき集中時なのだ。余所事に心とらわれている場合ではない。そんなこと、殿下こそよく理解しているであろう。


 なのに、我儘にほかならないこと言ったりするなんてみっともない、失望しつぼうだと思うのは当然じゃないか。どうして私ばかり落ち込んだりしなければならない。おかしいよ。


「殿下が室にこもっているならその方がよいかと。いても今の殿下はなぜか平静さをいていて使い物にならないのは誰が見ても、見ていなくてもわかることだろ。違う?」


「なるほど。いさめるのも務めか」


「そういうつもりはねえよ。ただ、なにかあっては困る。殿下は代替だいたいできない方だ」


「ほお。初陣ういじんなのに緊張はないと?」


「不思議と。知らないからだろうけど」


 そう。知らない。伝聞でんぶんでしかいくさを知らない私はある意味呑気のんきだ。後ろをついてくる兵たちは緊張した面持ちでいるというのに。我ながら無関心すぎる、とは思ったがいい。


 殿下が今安全なところにいてくれるならそれだけで安心できる。……これはどういう心から起こる情なのだか。恋だの愛だのならわかりやすい記号で符号ふごうだがなんとなく。


 親が子を案じる心地に似ているんじゃね? とひどいことを考える私。ハオが私をおもうように。殿下は大事なひとだけど、それが愛しているからだ、とは断言できないのだ。


 ただ、殿下が危険な目にうかもしれないと考えると胸の奥がきゅう、と締められる感覚があって、それが苦しくてつらくて悲しくて……。だから反対しただけなのになあ。


 そこまででおしゃべりを終えた私と厽岩将軍は馬にまたがった。ここ数日、きさき教養授業を休みにしてもらって練習したので落馬、というのはない。ただ、馬は月が同乗するのには抵抗を示した。わかるらしい。高位こういのあやかしで「怖い存在」だ、ということが。さすが。


 動物の中でも背に乗る存在の心を感じ取ることにけた生き物だけはある。私はなだめつかせてから厽岩将軍を追いかけて出発。背には兵たちが徒歩で進む。足取りは緩い。


 敵が差し迫っているでもないし、敵陣営は近隣のむらや集落やらに手をだすこともなく皇都こうとの方へ一直線、とはいかずともほぼまっすぐ進んできているそうだ。胸が、騒ぐ。


 なにが狙いだろう? 皇都に攻め入るにしたって五大隊程度の軍勢はちと舐めすぎじゃあないか、というのが私と厽岩将軍の意見。そして、陛下も疑問視した点だった。目的がわからないのが一番怖い。なにを狙っていて、目標にしているかがわからないんだ。


 どこで奇襲きしゅうがあるか、転戦てんせんするかもしれない。だからいざという時の為、周辺の主要集落には事前に守り手を複数割いている。まだ万全とは言えないけど、とりあえずは。


 これでしのげる筈。予測不可能な、異常事態でも起こらない限りは。心配は必要だがしすぎる必要はない。厽岩将軍にも言われたし、私もあまり張り詰めるのは心身に毒だ。


 そんなふう、さとっていたのもあり、前日会った三妃さんひたちの心配そうな表情が順に浮かんだ。特に皇后こうごう陛下は殿下のこともあって心配してくれていたけど。きっと、大丈夫。


 そもそも、喧嘩しない夫婦ふうふなんていない。本当に夫婦となるまでに大きな喧嘩のひとつやふたつ経験しておいて損はないだろう。……そうとでも思わないと乗り越えられないのは少しだけ困った、だけど。はじめて愛くれると言ってくれたひとの無視、だもの。


 こたえない方がどうかしているって。ま、ひとまず今はそれは横っちょに置いておいてこの辺りだな。向こうかたの進軍予想がここで分岐ぶんきするので厽岩将軍とはここで別れる。


武運ぶうんを祈っている」


「ああ。そっちもな」


 短い言葉を交わす私たちはそれぞれの進路に馬の頭を向けた。斜め二手ふたてにわかれて進む私たちがあとで無事に再会できる可能性はどれくらいあるか。私は部下を守れるか。


 不安はどっさり山盛りだが、心配していてもどうしようもない。なにもはじまらねば起こらず、なにかがはじまればいろいろなことが起こる。それが世の中の真理しんりとなる。


 わかるからこそ、はじまる前から不安がっていても意味がないと断じて私は目的地で馬を止めた。手綱たづなを月に任せて私は万が一、戦の最中さいちゅうに外れないよう鬼面おにめんに接着のまじないをかけておく。兵たちはそわそわしていたが私が動じていないので緊張は最小限だ。


 私は小さく細く深呼吸して一歩を踏みだした。それと同時に上空の陽が陰った。空を埋め尽くすほど大量のしき。紙の式だったので私はこの場を月に任せて私が預かる兵たち一部隊についてこい、と合図して駆けだす。月は薄く笑って紙の式たちの炎上に入った。


 一方、私は紙型かみがた式たちのところから少し距離置いた場所で急停止。場所は平原へいげん。見晴らしはよすぎるくらいにいい。が、迷ってもいられないので遠く見える小さな点たちを見据える。点はやがて黒いきりのようになって群れとなって見立て通り一〇〇と余名よめいの軍。


 泉宝の軍勢が見えてきた。視界に入った者から目を逸らして、私は地面をちらり。


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