九六話 私は所詮……――


 私が自分のできる努力を力の限り尽くして行い、殿下の複雑で狭苦しい立場を理解するからこそ。唯一の理解者、のように見えて思えてしまっているのか? ありえない。


 そんなことない、殿下。あなたを理解しようとする女だっている。いたでしょう?


 名ばかり、かどうかもわからないが四夫人しふじんに認めた女性たちがいるんだ。だったらいい加減私に依存いぞんするのはやめた方がいい。私がいなくなったらどうするんだ。固執こしつしていい立場じゃないでしょ? それだってさとい殿下なんだ、わかっているに決まっている。


 いつか、なにがしかの要因でひとは、死ぬ。必ず死ぬ。誰かにとって大事な誰かも世界から見ればたかがひとりであり、世界を構成する部品の一欠片にすぎないのだから。


 誰もが誰かで代替できる。そんな淋しい考えは捨てたいとは思うけど、こういうふうに考えている方が気が楽なんだ。いつか私にとっての大事な誰かがいなくなってとて。


 こういうふうに思っていれば耐えられる。我慢できる。立ち止まらないでいられるように在ろう、って思えるから。殿下、がいなくなるのはよほどのことがなければない。


 きっと、私が一番、真っ先に、まず最初に目撃する離別は私が預かる禁軍きんぐんの誰か。


 その死を嘆いても立ち止まらないでいられる強さは脆く弱いはしらに支えられただけの諸刃もろはつるぎにすぎないとわかっている。理解している。それでも泣き崩れるのは禁じの手。


 弱さなんて見せない。見せるとしてそこは戦場いくさばでないどこか。殿下の前でなら、私は自分自身の弱さを、脆さを、押し潰されて瀕死ひんしとなるだろう心を見せられるだろうか?


ジン? どうした。なにか、おかしいか」


「いえ。私も水性すいしょうの人間なのだなあ、と」


 現実主義で利他りた的に見せて利己りこ的で。冷静に見せて冷酷なだけの冷えた心しか持っていない、そんな淋しくて悲しくて、冷たい人間が、私。他人は所詮他人、と教わった。


 教わらないことでおのずと知っていった。あのむらで、一年の旅路で人間という生き物というのは「そういうもの」だ、と教えてもらった。徹底した無関心が私には丁寧さで。


 置いてやっていることに感謝しろ、と言われたから憎んだ。導いてやっている、教えてやっていると言われたから倣わなかった。反面教師、とはよくぞ言ったものである。


 ここまで私のり方を固めた教えであり、本当に手本にしたナニカは他にないな。


 だけど、そんな中でハオや殿下やユエ、その周囲は私をいろんな意味で正しい道に引っ張ってくれた。命と名をくれた浩。ひとらしさを教えてくれた、ひとでなく、あやかしである月。そして、誰かを愛し、大切に想う気持ちを教えてくれた、殿下。その周囲たち。


 皇后こうごう陛下、上尊じょうそん四夫人しふじんのふたりは私に私自身をほこることを教えてくれた。卑下することは美徳でなく、自己殺害に等しい。特にここ、後宮こうきゅうにおいては。そういう場所だと。


 私が育てるに育てられずにいた自尊心じそんしんというのを大切に掘り起こして水をかけて陽に当ててはぐくんでくれた三妃さんひには感謝の言葉でもなお足りない。お陰で私はここに在れる。


 他の、私の同期妃となる四夫人たちと会う機会をもうけるべきだが、それは今ではないからしない。まだ順番に実家から身支度整えて入内じゅだいしている最中さなかだからというのと。


 今は戦を目前に控えている。今回の泉宝センホウが起こしている軍事行動の規模は厽岩ルイガン将軍曰く異常規模、というのは今朝の時点で零されていた。戦となったら私も当然、出陣る。


 それが将軍のえきく者の務め。贅沢に愛されるだけだなんて私はむずがゆくて気色が悪い。というのもあるが、これまでの旅路でしていたお手伝いなどでなく、本当に役に立ってみたい。戦で武功ぶこうをあげて「よくやった」でも「無事でよかった」でもいいから。


 あったかい言葉が欲しいと思えた。それは、悪いことなのだろうか。悪しきことなんでしょうか。……まあ、一面を見れば正しく、反面を見れば間違いとなる。それが戦。


 お互いにやっていることは同じなのに。ひとを殺し、敵にとってのあだとなって掲げる御旗みはたに鮮血であげたしるしの数を覚え書きする。両手を、全身を血でべったり汚していく。


 そこに良識も悪行もなく。白業はくごう黒業こくごうもない。そういうのを本当に理解しているひとというか将兵はいったい何人いるんだろう? 私は、初陣ういじんでいくつ、首記すのだろう?


「殿下、必ず、お役に立ちます」


「静……」


「ですので」


 だから、どうかいっそのことひとつの駒として見てくれればいい。戦地では。その方が気が楽。伝わったのだろうか、殿下はなにも言わず淋しそうに微笑んだだけだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る