九五話 突然の来訪だが、しょうがない


「で、殿下?」


ジンが昨日、菓子の仕込みをしていたと聞いてご相伴しょうばんあずかりに来たのだ。それだけ」


「あの、ただそれっぽっちなことでまつりごとを放棄しないでくださいませんか、殿下。困るのはあなただけではないのです。あと「それだけ」と言われたって私も困るんですよね」


「静は本当に包まず言うな。邪魔するなと」


「そこまできつくは。でもまあ、近いです」


 うむ。我がことながら辛辣しんらつの域に入っているのではないか、これ? と思ってしまうがだってしょうがない。一国の皇太子こうたいしに菓子だけだしておもてなししないとか、ねえ?


 でも、かといって茶をれておしゃべりしている場合じゃない。まだ皇后こうごう陛下と美朱ミンシュウ様の課題も少しずつ残っている。今日までに頑張って片づけた方だが、片づき切ってない。


 やること山積み。それもこれも殿下が私を后妃こうひにすると言ったばかりに、なんですからさあ、察して退散してくれないかな。私がはあ、とため息ついて中に入れちまったきつねを見ると「仕方なかろう?」と肩を竦められた。いやうん、わかるけど。仕方ないのは。


 私は痛むこめかみを揉んで厨房にいって茶と菓子の用意をはじめる。背にユエが殿下を応接間に通すのを聞きながら。はあ、やれやれ。困った方だね、まったくこの皇太子。


 以前殿下がお土産に持ってきたいいお値段がする茶葉を使って茶を淹れるかたわら、仕込んでいた菓子を皿に盛った。てか、殿下って朝餉あさげ食べたのか? ……食べてい、ない?


 私は月が殿下に「今日は馳走ちそうだった」云々言っていたのを思いだして朝の残り(月が昼と一緒に食べる、いつもだったら)、取っておいたそれを皿に盛って大盆に乗せた。


 予定よりもずっしりした盆を持って応接間に抜けると殿下が嬉しそうに尻尾をふりふりして、は多分もなにもなく幻覚だから視覚情報を整理し直しておいた。殿下は笑顔。


 笑顔で、それこそ満面の笑みでお花でも散りだしそうな表情で私が置いた盆の上に乗った食事を見て心底幸せそうに唸る一歩手前の音を零した。……本当にしょうがない。


 私は円扇えんせんを置いて茶を飲みはじめる。月も菓子を一口齧ってから茶をすする。いつだったか皇后陛下がだしてくれた胡桃くるみの菓子を真似てみたんだが、遠く及ばない。当然。


 殿下は、といえば用意した食事に箸をつけて嬉しそうに花、だけでなく星とか、なにかの旋律せんりつでも流れだしそうなくらい幸せそうに食事をつつき、食べ進めていっていて。


 はあ、本当に幸せそうに食べて。これが嬉しくないなんて血が凍っているだろう。


 無邪気に、こどものように振る舞う殿下。できれば、私の個人的な意見としては威厳を以て皇太子に相応しく振る舞ってほしいのだけど。だって、なんか、台無し気分だ。


 殿下には言えない。言った方がいいのかも迷いどころである。それくらい他まわりに見せる顔と違っていて、私の前だけの本音で本心なのかと思うと、こう、言いにくい。


 私の前で無防備になってくれている。それだけ信用してくれていると思ったら、言うべきことも言えなくなる。それが甘やかしであろうとどうだろうと、私はいつからか。


「……すまない、静」


「はい?」


「ちょっと、もやもやしすぎていて」


「……。殿下の我儘わがままは今はじめてではありませんので私に気を遣っていただく必要はありません。ただし、食べて飲んだら皇宮こうぐうにお戻りください。仕事はしていただきたい」


「ああ。そうだな、静にも皺寄せがいく」


「絶対的な権力と引き替えの無休労働であり、心を粉砕し続ける気苦労は理解したいと思いますが、私は殿下ではありませんのでなんとも言えません。言ったところで――」


 嘘臭い。ただの虚飾きょしょくだ。いつわりで飾り立てて空っぽの言葉を投げて傷つけるくらいなら私はなにも言わない道を取る。そういうところがなぜか殿下にはいさぎよく見える、らしい。


 この程度のこともできないのだろうか。公主ひめとは、裕福ゆうふくな家の娘たちというのは。


 それはそれでむなしい。女に生まれたのならわかっている筈なのに。よりよい家に嫁いで家の、親、特に父親の面目めんぼくを保つ為に在る命だと認識、理解できるなら。だったら。


 家、というよりは殿下の場合、国を守っている御人おひとなのだから、それを支える女も相応に覚悟をようすると考えいたれないのは悲しく、憐れなことだ。そんなこともわからないだなんて。そりゃあ、殿下が切り捨てまくるわけだ。理解しない、なにひとつとして。


 殿下の立場も。自らの努めるべき事柄も。だから、殿下は私を見据えてくるのだ。


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