八〇話 緊張の朝を準備万端に迎えて


 翌日、陽ものぼらぬうちに起きだした私はいつも着ている殿下おすすめの服ではなく軍事ぐんじに相応しい服装に着替え、久しぶり、本当に本当に久しぶりに鬼面おにめんをつけておく。


 これは私の独断だ。別に自軍うちへいに顔を見せるだけ、顔バレしちゃいけないわけではないと思うがそこにあの紙を使った式神しきがみを送るような陰険いんけん共の手がまぎれていないとは限らない、と考える。できることはしたい。重ねてよい用心ならば重ねたいのが私の必定ひつじょう


 そういうわけで今日はこちらも久しぶり、になるが口調を戻してみようとくわだてた。


 他人を「てめえ」と呼び、路傍ろぼうの石以下に思っているが如き無愛想に戻そうかと。


 こういうのの区分けはきっちりつけておきたい。きさきらしく、将軍らしく、ってな具合にやっていけたらとは考えている。それに対しては賛否両論さんぴりょうろんわかれまくるとは思うが。


 だけど、じゃないと中途半端な変装は怪しいだけでなんの意味もなさないからな。


「よし」


「鬼面の将、のう? まさに対極よの」


ユエ


「恐ろしい面をつけた将軍と皇太子こうたいしちょうを浴びるほど受け取っておる后候補の女性にょしょう。これを容易につなげることができるやからがいたらそれはそれで褒めてやらねばなるまいな?」


 なんつー嫌みくさい物言いだろう。月らしいっちゃーそうだけど。こいつ、昨日は夜遊びにでていないので殿下の様子は訊けない。それになにか知っていても言わなさそう。


 それもこれも月なりの思いやりだ。嫌がらせ、と受け取られる方が多いだろうが、実際の月は意地悪でも嫌がらせはあまりしてこない。さすがに昨日は少しごねられたが。


 てめえ、このきつね。どんだけ飲み意地張ってやがんだと突っ込みはしたが夕餉ゆうげには酒をだしてやったし、付き合った。どうせ酔えやしないんだから、と諦め半分つか多分で。


 が、結局うわさに聞いただけの酒の席での失態なるものと無縁に夕餉を終えて茶で一服した私は早めに休んだ。月は付き合い悪い、と愚痴ぐちっていたが一応締める時は気を締めねばならない。ケジメというのはつけておくべきだ。だからこそ、緊張を保っておく判断。


 で、月もこんな時間に起きているということは緊張しているのだろうか? これがというかこのあやかしの中でも上位じょういに喰い込むという白面金毛九尾はくめんきんもうきゅうびの狐が緊張ってなに?


 そうは思ったが、一応私は面越しに無言で問うてみたら相手の狐は肩を竦めてみせたので緊張、ではないらしい。だが、ならば、だったらなんだというのだろうか。はて?


「一応主人ぢゃしの、心配はしておるさ」


「あそ」


「反応薄いのー。よよよ……」


「嘘臭演技じょーずじょーず」


「……腹の立つ言いようが上達しおって」


「誰かさんのお陰だから以上はやめておけ」


 そう、誰かさんの。誰しもが腹に飼う不機嫌の蟲をつつく物言いは月のにならった。


 なので、それに文句つけても特大の、そう、回帰性かいきせい抜群の発言にしかならないさ。


 なので、月もわかっているので押し黙るもとい恨めしそうに自己反省、はないか。でもそれ以上私に噛みつくことはしなかった。ん。まあ、不利な口合戦だと知れたこと。


 普段は月が誰よりも口達者だけど、こういう回帰性抜群というか、西方さいほうの国の言葉でなんといったか……「ブーメラン」だっけ? なる言葉にはさすがにぐうの音もない。


 と、いうわけで不機嫌月ではあるが私の身嗜みだしなみを見てふふん、と鼻を鳴らした。格好だけは決まっている、そう言いたげに。悪かったな格好だけで。でも、何事も形からって大事だろうし、別にそこで月と激突、無理にぶつかる必要もないか、と思ってはいる。


 たまに、本当たまにではあるが「このクソぎつね、水浴びどころでなく溺死させてやろうかしら?」なぞという不穏当ふおんとうを考えちゃうこともたまに、多分たまにくらい頻度ひんどで発生するがそれ以外では私たちにぶつかる理由も因果いんがもない。月はおちょくりまくるが愛嬌あいきょう


 これはこの狐独特特有の愛嬌だ、と自身に言い聞かせている私は今日も月の小バカにしたような鼻笑いを無視してあの時の、ガオいわくの妖作ようさくたるよろいを着込んで、寝室しんしつをでた。


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