八一話 正でも負でも、ある方がいい


「食材は調達済みぢゃぞえ」


「ん」


 短い会話。でもそれで充分だから以上にはなにも言わない。お互いに互いの性質せいしつをある程度は理解しているが故だ。そうじゃなきゃもうちょっと詰めて話すのが普通だろ。


 話しあいがどうのよりとっとと朝餉あさげをつくって食べて出発しよう。禁軍きんぐんとの顔あわせ場所はみやからまあまあ距離がある。普段から鍛練たんれんはげむ彼らは皇宮こうぐうのそばに詰所つめしょを構えるそうだが、鍛練はそこからさらにはずれでこなしているらしい。詰所ではなく鍛練場で。


 これは私から皇后こうごう陛下を通して皇帝こうてい陛下に伝えてもらってある。詰所で、だといかにも偉ぶっている印象を与えかねない、というのと普段通りの彼らを見たいからだった。


 けっして猫かぶらない姿。ありのままでいてほしいとの願いからの要望でもあるし私は陛下たちがした一応「しき持ち」実力者としての紹介だ。きさき候補だなんだは、ない。


 ハオのことは式には加算されないと、厳密げんみつにはそうなるだろうと思ったが、他の視点からは似たり寄ったりだ、というのは殿下の反応からも知れたこと。なので、誤魔化ごまかす方向で話を詰めてもらった。それに、いざとなれば私の朝餉づくりを眺めるきつねがいるので。


 ……そう考えると贅沢だ、私。浩とユエ。二体の高位こういあやかしたちの力を使役しえきできることとなっているんだから。式がつかない、つかなかった一般兵たちからはねたまれそう。


 ただ、それもこれも、だ。嫉んだりうとんだり恨んだり憎たらしく思ってゆく負の感情も人間が人間らしく在る為に必要なモノだろう、と私は痛感している。私が、そうだ。


 負の感情を、むらの連中へ対する恨みつらみを気力の無駄浪費だと手放していたあの頃が最も人間らしからぬ私だったと思えるからこそ。正負せいふあわせて呑みくだしてこそ、だ。


 清濁せいだく、という感じではない。清くもなければにごっているとも思わないので。ただ正しいことと間違いを知っている。そう思い込みでもいいから感じていたい。それだけだ。


 私に、今の私にできることなんてたかが知れているのはそうだし、将軍がどういうものかの正解不正解なんてわかりっこない。せいぜい書冊しょさつを読み込んで偶像ぐうぞうを膨らませるのが関の山だ。あとは、そうだな。殿下に初陣ういじんの感想を訊いたし、梓萌ズームォン皇后陛下にもね?


 いろいろお話は聞いた。耳だけ年増としまという言葉があるそうだが今の私もいくさに関してはそんなようなもんだろう。実体験などがない、まさに耳にしただけの浅い知識だけだ。


 でも、なにもないよりましだ。特に皇后陛下が聞かせてくださった父の戦の思い出話は有用ゆうようで、有益ゆうえきだった。よくふみ戦況せんきょうを教えてくれた。当時は「え、やめて」とさえ思ったそうだが、いなくなったあとは、くなったあとはなによりのざいとなっているとか。


 特に、嵐燦ランサン殿下の初陣について彼女の父の戦況報告とどう手を打つか、の記述はたいそう役に立ったようなので。陛下は実際に読んでみるか、と訊いてくださったけれど。


 今は亡き大切な父親の思い出をお借りして彼女から遠ざけてしまうのは胸苦しい。


 そう思って遠慮し、代わりに事細かなことを陛下に訊いて、訊いて、訊きまくってしまった。だって、陛下の父親は大隊だいたいの将軍だっただけあり、あらゆる戦況、戦地せんち戦術せんじゅつけていた御方おかただったのは話の端々はしばしにも感じられたので話に夢中になって聞き入った。


 陛下は「おかしなコね」とでも言いたげだったが私はどちらかというと大衆たいしゅう向け物語などよりかは現実的で悲惨ひさんさも含めた実話の方がよほど人生に役立つと感じてしまう。


 まあ、アレだ。私が大衆向けの書籍しょせきと無縁だったという方がより正確ではあるが。


 いつだって生きるのに精一杯だった私はたかがつくった話より実際の経験にきるすべ技量ぎりょうの方がなにより大事だった。……今は少しだけ、違うけど。少しでも理解をと。


 いつか、殿下とのそ、そういうこと、というのに向けて授業してくれる桜綾ヨウリン様からもらった教材の一種に大衆向け恋愛の小説がある。読んでも実感は湧かない。それでも。


 それでも読み続けるのは続刊ぞっかんを待っているのは変わりたいからにほかならない。殿下は別に私は私のままでいい、無理に可愛い女らしい女など演じなくてもとは言うけど。やっぱりそれじゃあこの後宮こうきゅうという世界はまかり通らない箱庭はこにわに等しい。せめて、せめて。


 殿下が舐められないようにはりたいじゃない。初対面というか二度目ましてに際して失礼極まりなかった私が、私は許せない。あんなクズったらしい私が、私は嫌いだ。


 ひととは改められる生き物だと思いたい。改めて正しいと思う道を進みたい。先々でその道も間違いだった、邪道じゃどうだったとしたって自分にできる努力を尽くして道を選ぶ。


 それが悪いことだとは思えない。道に迷ってしまう時もあるがそれも、迷いもまた道のひとつでいわゆる隘路あいろ、というやつだ。迷い込む。もがく。出口のその先にもしも。


 ――……そう、幸福こうふくというものがあったならそれでこそ苦楽くらくのある、ありふれていてもただのひとつ私だけに許されたとうとい人生の道だったんだと実感できることであろう。


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