七〇話 遅刻者を待つ無駄、しないらしい


「かけていていいわ、ジン


「え。え、でも私は」


「よいのです。時間に来ないのが悪いので」


 ぴしゃり。いつだったか私のみやに逃亡してきた殿下の尻を叩きまくった時の、あの音が鼓膜こまくの記憶に蘇ってくるような気がするくらいの鋭い音だった。より正確には声だ。


 時間に、指定した時間に来ないのが悪いのだからという理由で私に席をすすめてくれた梓萌ズームォン陛下の対面から少しずれて腰をおろす。もちろん美朱ミンシュウ様と桜綾ヨウリン様が座ってから。


 私の念入り用心、というかカチコチぶりに三妃さんひはくすくす笑っている。まるで、なにひとつ身構える必要がないのに、と言わんばかりだが。無理でしょうが、それこそさ。


 ただでさえ会ったことがない上に殿下の評判が悪いきさきふたりに会う為の茶会ちゃかいだぞ?


 緊張しないなんてどういう剛胆ごうたん? 私には無理です。約二月前の私だったら今生で二度と関わらないから、という理由で無礼もかましたかもしれないが、今は違う、ので。


「涼しくなってきたわねえ」


「ええ。幾分すごしやすくなって」


「そろそろ秋の花が植わる頃かしら」


「あら、一番の花ならそこにいるわよ?」


「まあ、そうでしたわ」


 なぜだ。なぜ皇后こうごう陛下の言うよくわからん「一番の花」なる単語でふたりの妃が私を見るんだろう。私は「?」と後ろを振り返ってみた。……なにもない。池しかないが?


 御三方にはなにか見えているのか? なんて私が当たり前に「普通」のことを考えているとユエがくっ、と噴きだす。ちなみに、皇后陛下たちについてきた侍女じじょの列にいる。


 が、それは四阿あずまやを囲うように列がなされているので月はちょうど私の真後ろに立っているんだが、なぜ笑う? 私が月をじろり、と睨むも月も慣れたもの、というよりは。


 ぶっちゃけ気にしていない、のだ。私如きの視線に刺されても蟲刺され以下に覚えているに決まっているわけだし。こいつに関してはもう、気にするだけ損な思いをする。


 ヂヂヂ、と火花散らして月を睨むも月は我関せずとばかりなので私の方が折れる。


 で、そうこうしている間に侍女のひとり、皇后陛下お付の古参こさんその中でも一番くらいが上だというひと――漣雨れんうさん――がお茶と菓子を配ってくれた。……温かいお茶を、だ。


 あれ? つまりなにか、遅刻したのを待たずにはじめようということでしょうか?


 私が円扇えんせんの陰で困っていると同じだけど違うように円扇で顔の下半分隠した皇后陛下がおうぎを置いて茶に口をつけはじめてしまわれた。他の妃たちも倣う。ので、私も、か?


 私はきょときょと周囲を見渡してから円扇を置いて茶をいただ、こうとしたが、ばっと円扇を構え直して三妃に「はい?」みたいに見られたけど。でも、だってさ……っ!


 庭の緑を踏まないよう道に敷かれた玉砂利たまじゃりを踏む音がふたつ。ついでに月がちら。


 彼女の視線が動いたのが大気中の水の動きでわかったので私の心臓は爆打ばくうちだ。あの潔癖殿下があんなにも会うのを渋ったひとたちだ、と思うと緊張してならないだろっ。


「皇后陛下、あたくしたちがまだですー」


「……見知らぬ顔が、顔すら見えんな」


 うわー、うわー。これはいろんな意味で危険。殿下なんかなんとなくあなたがやめておいた方がいいと言った意味がもうすでにわかった気がするぞ。この感じ、苦手人種!


 と、いうか最初に口開いたの。皇后陛下に文句つけたのか? てめえが遅刻しておいてなぜ皇后陛下が悪いような言い方? 意味がわからないんだけどこれ私の気のせい?


 そして後攻(?)のひと。顔が見えんってそれはどうもすみませんが、ダメなんだよやっぱり私こういうの。つか、異様にぶっきらぼうというか、無愛想っぽい感じだな。


「はて。時間はとうにすぎておりますのに一向に来ないものですから無断欠席かと」


「そんなー。ただ準備に手間取ってしまっただけですわあ。陛下、あたくしはー飾り気のあまりおありにならない、女であることをお忘れ気味のあなた様と違うのですよお」


「そうですか。女人にょにんである前に人間としての礼を通せない時点であなたのおっしゃる女性らしさ「お化粧」というのはあまり意味をなしていない。わたくしはそう判じます」


「ふふ、そんなお顔の陛下はあたくしがねたましいのです、と素直におっしゃって?」


「あら。どんなお顔かしらね」


 えーっと。これは舌戦ぜっせん、と区分してもいいものか。私が美朱様と桜綾様をこっそり窺うとふたり共呆れていたり、ため息をこらえている。そういう微妙極まる顔でおいでだ。


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