参の幕 入内とそして、初陣へ――

正式な入内祝い(?)に茶会

六五話 慈愛深き鬼妖は想い


 昔。昔々より我は、恐れることも者もなく、ったことをいまさらに、痛感する。


 十八年と少し前、我はひとり、柄にもなく憐れなややを救った。山の奥深く、祠の前ににえとして差しだされていた小さな、本当に小さなその姿を今なお鮮明に覚えている。


 小さな体はほんの少々の慈悲か白い布で包んであったが明らかに生後間もないどころでなく産み落とされた直後、といったふうであった。だからこそ、憐れに思ったのだ。


 数年に渡る、大凶作と聞いていた。だが、その飢えをしのぐ為、こんな小さな小さな命を贄に仕立てたやからの正気を疑ったものよ。このままでは、永くない。消耗するもしないもなく生まれてからなにひとつ、乳も水一滴さえ与えられず捨て置かれたこのコは……。


 すぐにでも果ててしまう。命尽きてしまう。どういうわけか、本当に意味もなく理由もなく放っておけなくなった。ずっと、ひとりだった我。そして、生まれたのにひとり死にゆくだけの、やや。それがどうしたわけかふわりと重なったのだ。不思議なえにしよな。


 そう。これも縁だろうと我はややに宿ることを決めた。これでこのコは救われ、我ももしかしたら、このコを通して外を見れば孤独を埋められるかもしれないという打算。


 永すぎる孤独。孤高、とすれば聞こえはよいかもしれんが、そうそうよいものではないと思う。少なくとも我は、いやだった。静かなだけならまあ、許容したかもしれん。


 だが、この山奥に今、泣き叫び救いを求める小さなか弱すぎる命がある。この声が弱まって消えていくのを聞き続けるのか、考えた時、我から迷いは消えた。触れた、先。


 冷たくなりゆくややに自身を統合していく。不思議と不自然なほどに抵抗はなく、すんなりおさまった。このやや、もしかして退魔の力を持ったなら特等とくとう術師じゅつしになれたやもしれん。もう、無理だが。なにせ、この我を宿してしまったのだから。だが、救えた。


 ……救えた、と思ったのに。この地に住まう人間共のなんと邪悪で醜悪しゅうあくなことか。


 このコが、ジンと名づけてやったこの娘が我の力を扱えると知るなり、むらで「使ってやろう」だと? なんという腐敗ふはいした思想か。なんと汚らわしいことか。なんと醜いっ!


 我は、生まれてはじめて怖気おぞけを覚えたし、悲哀に暮れたがなにより、静が、我の娘が憐れだった。まだうまく力を使えていなかった幼い体のこのコは体罰に耐えかねて邑の人間共に水を恵んでやっていた。それで礼を言うならまだよし。だが、まるで、当然と。


 当たり前だ、とばかりに誰ひとり静を気遣わず、じつの親すらこのコを家に迎えることなく、きょうだいに小姐あねだ、と教えてやるでもなく無関係を貫いていた。腹が立った。


 それこそ当たり前に我は腹を立てた。心の底から憎悪してはらわたが煮えくり返る心地、というものを生まれてはじめて味わった。なのに、静はただ粛々しゅくしゅくと諦め受け入れていた。


 自身を醜い、と。自ら先んじてけなし、そしり、中傷していたことに最初こそわけがわからなかった。しかし、気づいてしまった。このコに寄る辺はない。誰にも、頼れない。


 だから、傷つく前に傷つくことで慣れることをしていた痛々しい様にこの大鬼妖だいきようである我でさえ泣きたくなった。なのに、静は泣かなかった。だから、我も一緒に耐えた。


 幾年、経ったろう。静は歳頃の娘に成長していたが、歳頃らしからぬ思考を持っておったな。まず、鏡というものを毛嫌いし、水面みなもすら見なかった。己が姿をうつすものを嫌った。我は、内側にいるがこのコが力を、特に妖力水ようりきすいをつくる時は外に意識を流せた。


 静はいつからか、いや、邑での飼育が決まってそう間を置かず鬼の半面はんめんをつけるようになっておった。が、いかに面をつけようと我の目は誤魔化ごまかせぬ。……美しくなった。


 我が娘ながら愛おしい。愛らしい。とうとい美を持つ静なのに、相変わらず自虐へきがひどいのはどうしたものか。せめて水面でいい、見てくれたら。面を外して、勇気を持ち。


 だが、どんなに我が内から念じようと静には届かぬ。鬼妖の思想を影響させるわけにいかなかった。このコには人間らしく生きてほしかった。いつか、異性と恋に落ち、愛をはぐくみ、子を成して育てて……いや、無理か。このコにそんなことを望んではいけない。


 へその緒を切られてすぐ捨てられ、親に子と認知されず、邑人たちから忌み嫌われ、自尊心なるものを育て損なった我が娘は悲しくなるほど孤独と、無縁を願っていたから。


 それを我が憐れむこともたいがいに侮辱かもしれない。我が宿ったからこそ在る命ではあったが、我が宿ってしまったからこそ利用され、心殺され、冷ややかに淡々と日々を生きるだけの、たま抜かれた人形のようであった。悲しかった。悔しかった。つらかった。


 我のいとはぞんざいに扱われても恨み言吐かずいるばかりか、はいはい、と流している剛胆ごうたんさだ。強いコだ。しかし、本心でなにを願っているのだろう、と心配になる。


 そして、そうするうちに静はなんと山で九尾きゅうびきつねを拾いおった。……捨て置けなかったのだろうな。特にあの場所でいき倒れられていては。その狐だが、ちゃっかり静の中に在る我の妖気を着服している。別によいが、それで静に牙を剝きさえしなければ、な?


 さらにその狐の「悪さ」が起因して邑が静を追いだしてくれた。ああ、よかった。


 これでこのコは自由に生きられる。そしてわずかばかりでも幸福を知ってくれたら言うことはない。阻む者は我が力を貸してやる。ぎ払え、静。娘よ、我がついておる。


 そしてそして、これまた奇妙なめぐりあわせでこの国、天琳テンレイの絶対者たる皇帝こうていたちに貸しをつくった静は後宮こうきゅうに招かれ、そこで運命の出会いを果たした。この、わっぱは。


 この真摯しんしで、曇りないまなこ。静にはじめて正直な気持ちでぶつかったわっぱならば、と我は期待した。そのわっぱが皇太子こうたいし――しきをつける法を通し、静に式無しきなしとの謗りを増やした張本人ではあったが、その心はやはり清く、潔白でこれまでに見た人間中ダントツ。


 このコを、静を愛してくれる。なのに、ただ溺愛されるのが居心地悪いらしい静は将軍にく、とも言いだしておる。……進んで穢れに突っ込まなくともいいのだがなあ。


 穢れ負うのは我だけでよい。静は清く正しく生きてくれればそれで満足なのだよ。


 我はひとに友好的でも非友好的でもなかった。それでも静は別よ。自慢の娘――。


 静は我をどう思っているだろう? 迷惑か、それとも、これは願望だが、父のように思ってくれたら、頼ってくれたらこんなに幸福なことはない。静。我の、可愛い愛娘まなむすめ


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