六四話 ここからはじめる私の新生活


 それがなぜ皇宮こうぐうから離れたこの寂地さびちにあるみやに来ているんだ。いや、私は知らないからね、あとで叱られても。と、いうかしばらく茶会ちゃかいの時間も割けないんじゃなかった?


 そんなようなことを言っていたような気がするんだが、そこんところどうなんだ。


 私がぽかん、としている間に殿下は宦官かんがんたちになにか知らんがいちゃもんをつけているのでなおさら私は呆けるばかりだ。なんかアレ「お前たちばかりずるい!」とかって。


 なにが狡いって言うんだ。あなた、至上の御身おんみである皇太子こうたいしうらやむことなにもな。


「大事なつまの引っ越しだぞ、俺が手伝いたかったのに母上に笑顔でおどされてくさい女共と密室で茶とびをこれでもかと浴びせかけられて俺がどれだけ心労抱えたと思う!?」


「や、殿下。それは陛下が正しいです」


「とてつもない阿呆あほうぢゃのう、こやつ」


 いつになく真剣な声色ではっきりぶった切ったユエ。殿下には悪いが私も月に賛成。


 いかに臭いっつったって一応当人たちは一生懸命着飾っているんだからそんな心労だなんて大袈裟に言わないであげてもいいのに。その中にもしかしたらましなひともいるかもしれないのに、もったいない。……ちょっと待って。と、いうことは抜けだし――?


 面談を放っぽって来たってことだよね。あの、それってあとで皇后こうごう陛下の雷が落ちるかもしれないってことだよね。わ、私には被雷ひらいしないといいんだけど、この宮を逃げ場にされた時点で避雷ひらい不可ってことだよね? なるほどふむ。殿下、なにしてくれている?


 私まで巻き込まないでくれ。殿下、あなたも身をもってご存じの通り、皇后陛下、めちゃくちゃ怖いんだからな! 特に笑い成分が欠片も混ざっていないあの微笑み、恐怖!


「へええぇ?」


 唐突とうとつに空気が急冷された、寒気を覚えたといいますか。こう、なんだ? 冷茶れいちゃじゃなくて温かいお茶の方がよかったかな、とついうっかり現実逃避しそうになりつつ見た先にいたのは先からそれぞれに違えども頻出ひんしゅつしている単語の主で、顔、ひきつってません?


 いつもだったらすごみのありまくる笑みなのに、今日はどういうアレなのかそれに加えられたアレな要素で顔が痙攣けいれんしていらっしゃるように見えるのは私だけでしょうかね。


嵐燦ランサン、あなた、なにを、しているの?」


「は、母上……っ、な、なぜここが?」


「はあ? このわたくしがいったい何年あなたを見てきた、と? いきそうな場所など限られていてよ。よってわたくしも馬にこれでもかとむち入れしていただいたのですわ」


「あ、あえ、えっと……」


「でえ? 弁明は、先ので、よろしくて?」


 うわあ、陛下、意地悪ですよ。なにもそんな一語、一語強めに区切って言わなくてもいいのに。殿下の健康的な肌から血の気が全部落ちていっているような気がするです。


 ただ、まあ、私にできることは一切ない。


 なんて、早々そうそうに悟ったので、先ほど殿下に茶を取られた宦官に私の茶を月から渡してもらい、「早く飲んで退散した方がいい」と円扇えんせんの裏でちょこん、と頷き、合図した。


 とばっちりが当たったりしたら可哀想ならぬカワイソウな事態になりかねないし。


 そして、それは宦官たちも鋭敏に察したようで風が通って適度に涼しい筈が流れ落ちる滝の汗を補うように茶を一気飲みしてさささっと頭をさげて退宮たいぐうしていった。ほっ。


 と、したのも束の間。殿下が母后ぼこうになんと口答くちごたえをはじめなさってしまわれたぞ。


 お陰で私は胃が痛くなる心地だ。これがただの親子喧嘩ならまだまあ、いいけど。皇后陛下対皇太子殿下、という対戦札カードは滅多お目にかかれないというか、かかりたくないと言いますか。ともかくアレだ。お願いですからどうぞ余所でやってくださらないかな?


 私、宿題が残っているし、荷物の整理もしたいしでもこれ放置するのはなんだし。


 どうしよう。とは思ったが、結局、嵐燦殿下が大敗たいはいして皇后陛下に、比喩でなくマジで尻を叩かれるというなんとも表現しがたい事態で展開になっちゃった、んだが。


 いいのかなあ。これ、私が見ていても。というところで殿下と目があう。殿下が蒼白顔から羞恥しゅうちで真っ赤になる顔色変貌へんぼう芸を披露してしばらくは私の宮にぺしーん、ぺしーん! という非常に軽快でありつつ、痛そうな音が響きまくって四半刻しはんこく、決着しました。


「さあ、帰りますよ!」


「は、い……っ」


「あ、あの、おもてなしもできず」


「まあ、ジン。甘やかさなくて結構。後日また伺わせていただきます。ああ、そうだ」


「はい?」


「宮のお名前は決めていて? 門に掲げる看板職人に依頼するので教えてくれる?」


「あ、はいっ! これ、です」


 宮の名前。当然だが古い宮を改修したといえほぼ新築した宮で名無しだったそうなので両陛下のご指示で宮の名前を引っ越しの当日中には決めておくようお達しがあった。


 私は悩んで考えた宮の名を記した木簡を月に渡して皇后陛下に持っていってもらったわけだが内心ドキドキだ。却下されないだろうか、と。でも、一応これもアレ、だし。


「……。そう、いいお名前だわ。わかりました。こちらで注文をかけさせますわね」


「あの、変じゃ、ないですか?」


「あら。あなたにとって月はそうだ、と思えたのでしょう? なら、よいのですよ」


 月。そう、私が考えた宮の名前は「金狐宮きんこぐう」。もうずうっと昔のような気がするが月がはじめて私に名乗った時言っていた月のあやかしとしての名称をもらった宮にした。


 白面金毛九尾はくめんきんもうきゅうびきつね。白はもう四夫人しふじん皇太后こうたいごう、殿下のお婆様時代のきさきらが使う宮に使われていると聞いていたので、残った金を使った。私の瞳にもある色だし。そんなこんなで引っ越しは始終にぎやかに終了。私の、本当の意味で新生活が開始されるのだった。


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