六一話 恥ずかしいこと言われたから、だから


ずるいことよ。こやつのぷるぷるお肌は化粧品のたぐいを一切乗せぬ、と言いよるでの」


「では、ジンのその肌は」


白粉おしろい頬紅ほおべに口紅くちべに眉墨まゆずみも目元をいろどるであろう金粉きんぷんもすべからく弾き飛ばしたわ。ぢゃがなあ、そのすっぴんも別嬪べっぴんなのが余計に腹立たしいのう。シミしわのひとつもない」


「……。そう、か。道理どうりで。静はあのせ返るようなのがなく清水しみずのにおいがする」


「褒めすぎでは、ないか?」


「俺が、愛するつまでてなにが悪い?」


 げふっ!? ちょ、不意打ちやめて! 恥ずかしいだろうっ。くう、どいつもこいつも私で遊びやがって。……ただ、意外だ。殿下がこんな不機嫌そうに不貞腐ふてくされている。


 それがなんだか、どういうわけか、胸の奥を叩いてならないのはどうしてだろう。


 これを、どういうふう表現したらいいのか、私にはわからないことだけはたしか。こうしたこと、その、アレ、れ、恋愛というものに詳しくないし、私。あ、いやでもこれは後宮こうきゅうの婚姻だからいろんなアレは置いておいて政略婚せいりゃくこんで恋愛じゃあない、のだろうか?


 よくわからない。知りたいとは思えども理解の範疇はんちゅうをぶっ飛んでいて不可能だし、というわけで早々に白旗をあげて振りまくりなのはいけないことなのだろう。努力不足。


 努力が足りないのはわかる。わかりつつも目の前の課題をこなすのが忙しくて頭の容量が足りない。だから、目に見えない恋だの、愛だのに構うことができないで、いる。


 ダメだってわかっているのに。構いたいけどどう構っていいかがわからなくって。


「あの、殿下。そろそろ……」


「ああ、すまない。せっかくの時間をふいにしてはもったいない。お茶にしようか」


「はい」


「……静、正直に言ってほしいのだが」


「はい?」


「俺と一緒にいるのは、その、いやか?」


 は? なんでそんなことを訊くんだ? いやだったら茶会ちゃかいになんて来ないだろ、私の性格なのだから。いやならその時点で蹴っているというのが、なぜにわからないのだ?


 なぜか、今の殿下はこの間と違う。なんだ、もしかして他の女と会っていたから?


 他に四夫人しふじんの座におさまる女性たちに会っていたからそれで私に悪い、と思っているとか。引け目を感じている、とか。そういうアレだろうか。別に気にしないのになあ。


 それはそれで言わない方がいいことだと思うが、こう「あなたがどこで誰と逢引あいびきしようと気にしません」なんて言ったら「あなたなんて私、どうでもいいです」に同義だ。


 なにが殿下をここまで悩ませているのか不明だ。不明ではある、けれど私は……。


「殿下」


 私はもう偽りを告げることも思ってもないことを意地張って言うつもりだって一切ないように決意した。皇后こうごう陛下にたずねられて自分の心に気づいてしまった。私はきっと。


「殿下は、温かい」


「?」


「私のまわりにいた人間共はみなずっと、じっとり冷たかった。だから私は私の方からやつらに見限りをつけた。どうせ、利用されるだけならと心を頑固に頑強に閉ざした」


「……静」


「殿下は私によくも悪くもまっすぐぶつかってきてくれた。熱くくすぶらせる心の熱を伝えてはじめて私に好き、愛……そんな目に見えないのにとても優しい情を教えてくれた」


 それ、そんな些細ささいなことがとても、私はとても嬉しかった。俯いて私に自身の隣はいやか、と訊いた殿下の大きな手を取る。熱い、拳に握られた手。二度目の会合時、私が思いっ切り拒絶して暴言を放ったからこそ固く握られている手を私は自分の頬に当てる。


 円扇えんせんに貼られた薄布の向こうで殿下が驚くのが、息を呑むのが聞こえてきた気もするが私は敢えて気づかないフリをして殿下にそっと告げていく。ひねくれた私の、本心を。


「憎み、嫌う。嫌悪し、憎悪し、ひとを同じ生き物と思えなかった私などののしられていずれひと知れずちていくものだとばかり。それを殿下が認めてくれたのが、嬉しくて、舞いあがって様々な勉強も修業も苦でないほどに胸いっぱいの幸せを教えてくれたのに」


「……」


「どうして私が、こんなにも恵まれておきながら、幸せに浸りながらあなたを嫌っているとかいやだ、と思うのか逆に訊きたいくらい、この先を知りたい。そう、思うのに」


 言っていてだんだん恥ずかしくなってきた。でも、殿下の手をいまさら振り払って誤魔化ごまかすのは不義理ふぎりだ。私はこの数日で本当に幸せを知った。幸せに思えたというのに。


 そこのところを、殿下が疑わないでほしい。たしかに一度目、二度目と無礼で失礼な口を叩いて、二度目にいたっては相手をそう、と認識して敵意を向けたから無理ない。


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