六〇話 あー、へー、うん。私は無縁なので


 私ががらにもなく物思いにふけっていると扉の外にひとの気配がした。ユエに合図して私は窓を半分だけ開けた状態にして長椅子のそばへ移動していく。戻ってきた月が背に連れていたのは私を茶会ちゃかいに誘った皇太子こうたいし殿下、そのひと。だったのだけどなにか機嫌が……。


 どう、かしたのだろうか。もしかして義務で私を誘ってくれたけど本当なら茶会なんてどうでもよかったとか、本当は他にやりたいことがあったとか、もしくは具合でも。


「皇太子よ、その顔をやめんか」


「こんな顔にもなるさ」


 なんだ。やはり、私と差し向かいでの茶会は大変な苦痛を伴うものなのだろうか?


 が、私の心配と不安は殿下の次なる言葉で吹っ飛んでいった。殿下は苦々しく吐き捨てるように愚痴ぐち、というかそういった手のものを吐いていった。気兼きがねなく、堂々と。


まつりごとの量もさることながら、あの女共はなにがしたくてここに参内さんだいしたと思っているんだろうか。俺の前でも平然と他者をきおろして、虚仮こけにして、侮辱して……はあぁ」


「……あー、お疲れ様、です?」


ジン、ちょっといいか?」


「? 構いませ、ってわっ!?」


 一息に大量の文句を垂れた殿下は私に一言断ったかと思ったら私の前で少し膝を折って私をぎゅ、っと抱きしめてきた。ええええぇえっ!? なに、ちょ、殿下ご乱心!?


 そう焦った私の腰を抱きしめる殿下の男らしく逞しい腕はどこか甘えてすがるよう。


 不思議に思った私が円扇えんせんの陰から覗き見すると私の腹に顔を埋めた殿下は心底安心したようにほお、と息をついてぐり、と頬を擦り寄せてきたので私の困惑もぶっ飛んだ。


「あの、これの意味って」


「お前の存在で安心したかった。あと鼻腔びこうの洗浄というのも目的のひとつにはある」


「?」


「今日面談に来たきさき候補のきしめられたこうと化粧のにおいで悪酔いを増幅された」


「はあ。化粧品ってくさいんですか?」


「は? 静、お前は化粧をしないのか?」


「しない、というかできないというか」


 そう。きさきとしての教養、というよりはたしなみのひとつに当然化粧が含まれていて美朱ミンシュウ様が一通りの手順を教えてくれたのでいざ、やりなさい。と言われたはいいものの私の「頑固」な肌は化粧品を邪道じゃどうだ、とでも言いたげに拒みまくったのである。挙句あげくの果ては。


 美朱様が御自おんみずから施そうとして四苦八苦しくはっくするだけに終わった。白粉おしろいは滑り落ちて乗らなかったし、べにの類は水で溶けど油で溶けど弾き返される始末。眉はって整えたが眉墨まゆずみで色を足そうという試みもまた無意味に終わってしまい、美朱様は愕然がくぜんとなさっていた。


 こんなこと、ある!? と言いたげに。せっかくの綺麗なお顔がすさまじく残念になっていらしたが、その美朱様を間近で見て、思いついた私は手をわずらわせたびをした。


 日光のせいで肌がお疲れのようだったので一度化粧を落としてもらっていつだったか桜綾ヨウリン様にも施した妖力水ようりきすいでのお手入れをしてあげたわけだが。すっぴんもお綺麗な美朱様は完成したご自身の顔に触れて鏡を覗き込み、手を触れて感触を確かめまくっていた。


 そして、私の顔を見て深々と息をつきはしたものの、しばらく鏡像きょうぞうたわむれていた。


 で、結局私に化粧をするのは労力と化粧品の無駄遣い、という結論にいたって別の授業をしてくれたわけだが、帰り際「あのお水、化粧水にしていただけないこと?」と。


 まあ、なんともちゃっかりとしてしっかりしたおねだりをされたので私は美朱様がおひとりでしても大丈夫な濃度まで妖気を薄めて美朱様が寄越した空の硝子瓶がらすびんに詰めた。


 美朱様はご機嫌よろしく私に効果的なお手入れを聞きだして爪にも効果があると聞くなり即行で爪に筆で極低濃度の妖力水を濃度が低い分重ねて塗り、手入れしてさらに頬を上気じょうきさせ、爪を眺めて嬉しそう「うふふ」と微笑んでいたので喜んでいただけた模様。


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