どうか、都合よくとも伝わってほしいと願う

五九話 戻りの馬車でお喋り。予告されたお誘い


「私、殿下の隣にいてもいいのかな」


「いまさら辞退は不可能ぢゃろ。第一ぬしも皇后こうごう相手に思い切ったこと言いおって。あのようなことはきちと婚姻を結んでというか入内じゅだいしていても不敬と非難される不遜ふそんぞ」


「盗み聞き達人たつじんめ。仕方ないだろ、私は人間以下だが将軍も張る予定なんだから。それに皇后陛下も忌憚きたんない意見を聞いてみたくておっしゃったんだ。遠慮する方が失礼だ」


「変なところで度胸があるのう。顔を見られるのはいまだに気後きおくれするクセに、な」


 盗み聞き、のところをユエは無視した。ので図星であり、知られているならとこいつこそがずけずけと言いはじめたので今度は私が無視しておいた。不遜だろうがなんだろうが私は後宮こうきゅう戦場いくさば双方で顔を使いわける。ならば、せめて戦地に赴く者としての希望を。


 で、私が変に度胸があるというのから顔見せはまだちょっと抵抗がある部分をつついてきた。こいつは本当に意地悪だと思う。私だってそりゃあ、まっすぐ見られたいさ。


 気後れするのはあのむらの「のろい」がいまだに胸を締めつけていて滅多刺しに突き刺してくるから。鬼妖きようが中にいる。たしかに恐れられる事態だ。その鬼妖が私を憐れみ、同情した理由を棚上げしてののしっている。そう理解できても孤独はとてもつきりと冷たくて。


 もし、殿下がある日、正気に戻って「やはりらない」と言いはしないか、心配は尽きない。そんなこと絶対にない。なのに、これまで見てきた人間の醜悪しゅうあくさが邪魔する。


 これまで見てきた人間と殿下は違う。理解できるのに浸透しないのは、人間に、ずっと長く虐げられてきたからだろうか? 人間と見るや邪悪で醜悪で汚らわしいとでも?


 ハオ。私のまもり鬼。あなたの心配からくる心の波だろうか、これは。ざざ、ざざと押し寄せては還っていく。無へ、闇へ。私の深部にある「人間嫌い」な心が刺激されるの?


 そして、それっきり車内にお喋りがでることはなく、馬車は皇宮こうぐうのところにつけられたので降りて借りているへやに帰った私は円扇えんせんを机に置いて長椅子にごろん、と転がる。


 はあ。疲れた、ような気がする。疲れる。そんな人間としての当たり前の現象すら浩の妖気にかかればなかったことになる。少なくとも肉体の疲労は感じないようにる。


 我ながら化け物同然だなあ、と思った。ふう。息を吐いて言いようのない、心の疲労を追い払う。で、届けられた昼餉ひるげを私は少しつついた程度で終えて月に残りをやった。


 月は「美味びみぢゃのにのう」とか言っているが私に元より食欲という概念がいねんがないのを熟知しているので以上にはつついてこない。つついたところで、水浴びするだけだしな。


 ――トン、トントン。不意に扉を叩く音。私はさっと円扇で顔を隠し、呆れ顔の月がはしを置いてでる。で、誰かに用向きを聞いてふふ、と笑ったのが聞こえてきた。なに?


 月も女にしては大柄おおがらな方だ。伝えに来た誰かの頭しか見えない。声の感じからして宦官かんがんだろう彼は伝言をするだけではないのか、その場で待機しているようだ。月がこちらに戻ってきてさも楽しそうに教えてくれた伝言の内容に私の顔は少し迷って赤くなった。


 蒼くなるべきか、とも思ったがそういえば、と皇后陛下の話を思いだして恥ずかしくなったのだ。それは「彼」が私と茶会ちゃかいをする為、時間をつくる為、まつりごとを頑張っている。


皇太子こうたいしから茶の誘いぢゃ」


「ああ、うん。いく」


「……。ちょおっぴり素直になってきたの」


 月は私のいく、という答がわりと即答だったことにほんの少し驚いた様子だがこちらこそ即行からかってきたので私は円扇の向こうから睨みつけてやり、立ちあがりすそを正す。そのまま殿下が私に、と送ってくれた服の一着である橙色が綺麗な交領こうりょうの服をひるがえす。


 室の外に月と一緒に抜けた私は緊張感を逃がす為、浅く呼吸して気持ちを整える。


 そうして宦官の案内でこの皇宮に来て最初に殿下とお茶をした間に通されたので窓辺に寄って遠く、みやこ一個に等しい後宮のにぎやかさに「すごいところだよなあ」と思う。


 ここにいるだけで研かれていく。誰に強制されることもなく自発的に女性の美を競って皇帝こうていちょうをえたくて。その努力を怠った者は脱落してはいされる厳しい世界でもある。


 はなやかで、醜くて、可憐で、穢れに満ちている女たちの美しいようで汚さに満ちたひとつの世界。それが後宮。ここで生まれ、育った殿下が毒のみ嫌うのはわかる。


 女の、おとしめあう醜さとくささから目を逸らし、耳を塞ぎ、鼻を摘まんでいたかった。


 ただ、皇太子だから。その一個の理由で目を逸らせず、直視せざるをえなかった。女らしく在れば在るだけそれは殿下に裏をにおわせてきたのだろう。だからこそ、なのかわからないが、殿下は女らしさからかけ離れた私を選んだ。選んでくれた。光栄で怖い。


 そう、少しだけ、怖い。いつか突き放されるかもしれないと思うと恐ろしいけど。


 でも少なくとも今は気に入ってくれているようなので甘えたい、と考える浅ましくて弱い私が憎たらしい。殿下のご厚意に甘えて、愚かしくも愛されたい、だなんて、ね。


 本当に現金げんきんなこと。アホ臭いこと。惨めだ。惨め、だがそれも含めての私である。


 この浅ましい私を見た殿下がどう思うか、ちょっと怖いものの知りたいと願う私。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る