五八話 私は今、たしかに幸せだから


ジン、あなたはお父上やお母上に此度こたびの」


「あ。いえ、伝える気もありません。私がこんなことになっているって知ったら遺棄いきしようとしたクセ「大事に育てた」だのと大嘘ついてでも豊かな生活にたかるでしょう」


「な、なんですって……?」


「? 殿下や桜綾ヨウリン様から聞いてません? 私は生後すぐ山奥に。むらに備蓄されていたわずかな実りが産声うぶごえをあげたばかりの我が子よりよほど欲しかったのでしょう。こどもが嫌いなわけではないようでしたし。私のあとに生まれたコたちは大事にされていました」


 だから、と私は言葉を区切った。続いたのはずっとずっと抱き続けてきた気持ち。


「だから、私は生後すぐ捨てたくなるほど醜かった、ってずっと思って。鬼面おにめんをつけていたのも嫌がらせと御守りであるのはそうですが、自分の醜さを見たくなかったから」


「静、あなた……」


「なにがきつかったかってなにも知らない実の弟妹たちにそしられてののしられたこと、でしょうか。私は絶対にあのコたちを想っちゃいけない穢れた存在で、小姐ねえさんじゃない」


 一度でいい。小姐さんと呼んでほしかった。父母が良識を取り戻していつか話してくれるかもしれない、なんて妄想は早々そうそうに、それこそ、私こそ早々はやばや廃棄はいきしてしまった。


 あいつらにとって私は、鬼妖きよう魅入みいられた私は穢れの権化ごんげであり、絶対の邪悪だ。


 娘じゃない。そう、生まれた瞬間から私はあいつらの娘じゃなかった。ただの物々交換にだされる粗品にすぎなかった。……ああ、こんな話するつもりなかったのになあ。


 私は生まれてひとりになり、ハオと一体になってひとりじゃなくなってでも邑の中ではたったひとり親もきょうだいもいないただの穢れでしかなくって。生き方、どころか生きるかどうかすらも他人に決められてしまった。だけど、今は選べるようになったから。


「どうして」


「?」


「なぜ、笑えるのですか、静?」


 なぜ笑えるか、か。慣れ、としか言えないとこれまでは思ってきた。すべては慣れなのだと自らに言い聞かせた。悪態あくたいも、罵りも、不当な義務も、淋しさも、つらさも、痛みもなにもかも慣れてしまえばへっちゃらになれる。すべてはいつか波引くよう消えゆく。


 いずれおおいなる闇に引っ張られて消えていくものに、そんな一時のものに心を割くのは無駄だと思った。だけど今、私が笑ってこの凄惨せいさんさを語れるのはきっと……――。


「最初は罰だと、思いました」


「え」


「殿下の相手なんて無理に決まっているのに嫌がらせでかごに封じられると思って悔しくて悲しくて辛くてたまらなかったです。でも、今は殿下のまっすぐな情が嬉しいのです」


「……」


皇后こうごう陛下、あなた方の愛情が殿下の性格をはぐくんだ。この世に生きる人間を憎んでいた私にとって殿下は眩しい御方おかた。激しいまっすぐさが、愚直ぐちょくな様がてついた心を震わせるほどに温かくて、まだ信じ切れてはいませんが、信じたいと思えた、はじめてのひと」


 本心だった。恥ずかしいことだとは思ったがこのひとに本当の心を伝えたいから。


 ひとりの親であるこのひとに、私が今、どうして笑えるのか。――幸せだからだ。


 あのひとに、殿下に大事だと言ってもらって。美しい、と手放しででられて恥ずかしさが去ったあとは嬉しくて、悲しくて、怖くてでもやっぱりとっても嬉しくて……。


 胸に溢れる多幸感たこうかん昂揚こうようがいつまでも去らなくて、去ってほしくなくて。大事に大事に胸の奥に秘めておきたくて堪らなくなった。これが、愛されるということならば私はやはりずっと愛されず、うとまれて、罵られるだけであるこの命に意義を見られなかった。


 だけど、今は生きていてよかった。命に意味を意義を理由を見られる。それはひとえに殿下のお陰。あのひとが多少強引であっても私をきさきにしたい、と言ってくれたから。


 意味をこの数日ずっと考えていた。どうして私がそんな大役たいやくに、と思わなかった日はなかったが、ユエいわくのろけ文句を聞くにまずれたのは顔立ち。私がずっと忌み嫌ってきたこんなものが。そして、この悪い口が潔くうつるほどに後宮こうきゅうという場で疲れていた。


 特殊な環境。理由をつけて擦り寄られる。かと思えば陰口にさらされることさえ。


 似ている。私と殿下はどことなく似た者同士だったのかも。だから殿下は無意識的に私は自覚してかれた。そうして伸ばしあった糸が結ばれたならこれ以上のさちはない。


「本当に、ありがとうございます」


「静」


「殿下を愛し、立派に育ててくださってありがとうございます。では、失礼します」


 最後、逃げるように感謝を述べて私は円扇えんせんを手にするとへやの外へそそくさ早歩き。


 気恥ずかしくて、私なんかが「愛」だなんて言葉を使ってしまった気まずさでいた堪らなかったので本当に逃げた、というか。うん。逃げたんだな、私。ずるいこと言って。


 黄獬宮おうかいぐうの外にでて陽射しの鋭さに目を細めていたが待っていた馬車の御者ぎょしゃをしてくれる宦官かんがんに合図して――馬もひともバテるからと木陰で休んでもらっていた――帰るむねを伝えた私は馬車に乗り込んでどうせ狐火きつねびでこっそり聞いていただろうから、そう思って。


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