五七話 戦録を紐解いて思ったのは……


ジンはこれを読んでどう、思いますか?」


「……悲しいです」


「悲しい?」


「こんなふう、命をけているのは将兵しょうへいたちであるのに失態だけでなく功績まで皇族こうぞくの威光をさらにきらめかせる、だなんて。私だったら私にぶつけてほしい。怒りも悲嘆も感謝も賞讃も……それを重荷に思うひとがいるからこその措置だとはわかるのです。でも」


「……」


「私は理不尽さに慣れています。道理どうりの通らぬことにも、人間の身勝手に辟易へきえきしてはいるんです。けど、そうであっても懸けているのは私の命です。私が光を、ってああの」


 私はへやにこもるような重たい沈黙にハッとした。受講者と講師のようなアレであったからうっかりしていた。皇后こうごう陛下は皇后陛下。皇族だ。こんな図々しい発言するとか。


 嫌みったらしいにもほどがある。ようして「皇族ばかり敬われて尊く思われて」と。


 そんな不満を発したに等しい。証拠に侍女頭じじょがしらであろう歳嵩としかさの侍女がひたり、と冷たい視線で私を射抜いてくるので私は恥じ入って縮こまる。椅子の感触が妙に強く思える。


 硬い木の長椅子だったのだが、きちんと座布団が敷いてあったし、座り心地は不思議とよかった、と思ったのだが……。今は硬い木の感触しか感じない。座布団抜かれた?


 なんて奇怪現象のようなものを疑いだすほどに沈黙が痛い。無言が苦しい。侍女たちの冷ややかな視線が心身にこたえる。「なにを生意気な。ただの世間知らず小娘が」と。


「……そう。さすがね、静」


「ああの、出過ぎた口を」


「? なぜ、謝るの。あなたは当たり前のことを言った。そうね。最前線に立つつわものや将軍たちがなぜたたえられないのか。民たちの怨念おんねんから守ろうとした、だなんて言い訳しても結局すべて皇族が掌中しょうちゅうに握り込み、わずかな呪詛とおおいなる恩恵おんけいを受け取っている」


 だが、続けられた皇后陛下の声は穏やかで静かでかすかに恥ずかしそうで痛みをこらえるようで私はそろりと視線を差しあげると皇后陛下は私の対面の長椅子から立ちあがって私のそばに来た。そして、隣に座っただけでなく、そっと私の頭を撫でてくれ……え?


 私が目を白黒させていると皇后陛下はひとつ微笑み「わかりました」と一言だけ。


 なにが? なにがわかったなの。私はなにひとつとしてわかっていないんだがっ!


 で、侍女から木簡もっかんを受け取って私の目の前で「戦について進言いたしたく」とだけ書かれたそこに陛下の判を押してから侍女に渡して「すぐ、陛下にお届けして」と……。


 ちょ、待って。私なんかの意見をまじめに本気で受け取って皇帝こうてい陛下に進言する気ですか、皇后陛下。侍女たちが戸惑っているので彼女が戦について口をだすのは初、と?


 いや、そりゃあ本心だったけど。でも、だからっていって皇帝陛下に即、奏上そうじょうしようってのはどういうことでしょう? こんな素人小娘の意見なんて普通聞き流すでしょ!


「へ、陛下?」


「ありがとう、静。あなたのお陰で鈍っていた、権力に胡坐あぐらをかいた愚かな判断から抜けだせそうです。わたくしの父は二軍といえ一大隊いちだいたいを任せられた将軍でした。しかし、父が受け取ったほまれ戦場いくさばでの死、だけ。一度としてその名誉を認められず逝きましたわ」


「陛下……」


「当時、わたくしはまだたかがきさきのひとりでしたし、発言を許されるような立場でもなかった。将軍の娘として後宮こうきゅうに入ることが叶い、嵐燦ランサンを授かり、后妃こうひとなりましたが」


 そこで皇后陛下は自虐的な笑みを浮かべて「最も誇りたかったひとに、大好きだった父に逝かれてしまったのは痛恨事でしたねえ」と淋しそうに目尻をさげ、うなだれた。


 その様子が、殿下によく似ていて。このひとが本当に過去の悲しみに心寄せているのだとわかった。殿下はお顔立ちは皇帝陛下に寄っていると思ったが仕草は皇后陛下似?


 したたかで、美しく、潔い。悪意に敏感でひとを正確に評することができる奇特な方。


 桜綾ヨウリン様も美朱ミンシュウ様も殿下のことはよく悪くも一国を背負う王者に相応しい、とお考えでいるようだった。ただ、それもきっと外にでれば変わってくるんだろう。特に妃選び。


 厳しすぎる、と美朱様は言っていたっけ。皇后陛下も言っていたがめいっ子を推したのに見向きもされなかった、とその姪は証言していたそうだが、真相は殿下のみぞ知る。


 でも、殿下のことだ。きっとその姪になにかしら気に喰わない点があったのだ。当人や身内は見逃すような細かいことが気にかかってしまった。ある意味清廉潔白せいれんけっぱくなのだ。


 女が持つ多少のそういう点、こう、独特の「よこしまさとみにくさ」は見逃していいと思うもののそれは私が感じるだけだ。殿下の価値観は私と違う。ずっと後宮で女という生き物の「そういう部分」を目にしてきて、うんざりしているのにそうした女をめとれと迫られる。


 苦痛、だな。私が雨雲あまぐも続きだ、曇天どんてん続きだ、晴れさせろと迫られるのとどちらが無茶苦茶注文だろうか。私のはたいがいにふざけた要求だったが、できるか、と吐き捨てたら泥水に顔を押しつけられどころか何度も打ちつけられたものだ。「やれ、無能!」と。


 引水ひとつ出来ねえてめえの方がよほど無能だっつの、とは思ったが泥汁どろじるは腐れ不味まずかったので私は我ながらバカだ、とは思ったがかめ何個分になるか知れない水を抜いた。


 それが今はこうして整えられた室で勉強をさせてもらえる。なんて贅沢なんだろ。


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