五四話 一通り終わってばったんきゅー


ジン、招待状を差しあげてもいいかしら?」


「……えっと、あのう」


「うん? ああ、大丈夫よ。気を張るものじゃなくて徳妃とくひ賢妃けんひにも紹介したいの」


 いや、それあなたが気を張らないだけで私は気が、こう、なまりどころでなく重いっ!


 でも、私に拒否権なんてある筈もなく、「いいかしら?」とは「それまでに徹底授業でしごきあげますから大丈夫でしょう?」という意味で取っておくべきなんだろうな。


 このひと、さすがは国の母とされるだけある。ただ皇子おうじを産んだだけじゃないのはたしかなしっかりとした自己を持ち、荒ぶる周囲に水を浴びせてしずめる、そういう御人おひと


 水のが強いひとだから常に冷静で時に冷酷な面を見せる彼女はなるほどたしかに国母こくもに相応しい人格者だ。桜綾ヨウリン様とも美朱ミンシュウ様とも違う。為政者いせいしゃらしい威厳に満ちたひと。


 こんなひとに礼儀や行儀を教えてもらえるなんて最高の栄誉だ。女性として、ひととして尊敬する。公平に厳しく、優しく。冷徹な水のしょうならではの目でまつりごと俯瞰ふかんできるからこそこの国は隣国りんごくからの脅威も少なければ、国内での不満も最低限に抑制されている。


 皇帝こうてい陛下も泰然たいぜんとした土性どしょうが公明正大な判断をくだせる要因になっているも、そこへさらに第三の視点で見られる皇后こうごう陛下が加わることでより冷静に決断をくだせている。


 つまり、三年前の皇太子こうたいし殿下が発した令はある意味臣下の暴走に等しく、だが正式に令を発せられる皇族こうぞくの中でもまだ若く、当人が言ったよう未熟だった殿下が割喰った。


 ……悪かった、なあ。あんなふうにののしってしまったことは反省しておかねば。胸に刻んだ私はひとつお辞儀して皇后陛下に承知した旨を伝え、今度こそさせてもらった。


「うああああぁぁ……」


「なあんぢゃ、やかましい」


「だって、茶会ちゃかい。あと顔も見られて。うう」


「図太いかと思ったそばから繊細よのう?」


 うっせえ。ひとがやっと帰ってきた侍女たちの一画にあるへやで絶望の呻きをあげているというのに図太い、というのも心外だが繊細だというのも違う気がするんだが、ユエ


 まあ、それで月を睨めど月はもう慣れたもので「はいはい」と流されてしまった。


 こいつ、私が苦悩というか懊悩おうのうを抱えて悶絶もんぜつしている、もだえてじたばたしたいのこらえているというのにどういう言い草と流しっぷりだコラ! てめえは本当に、こん畜生!


 はあ、と私が深くため息を落とすと月が茶の道具一式持ってきたのでれてやる。


 月はこういうのは好かないそうだ。なので、私が担当することになっている。昼間の侍女じじょたち、皇后陛下の侍女たちには劣るだろうが、味「だけは」まあまあ自信がある。


 少なくとも飲める味だ。けど、な。それを思うと殿下の茶は、あの時は頭が大混乱し大混線していてわからなかったが、美味しかったんだろうか? 挙措きょそはさすがの威厳とよどみなさで素晴らしかった。きちんと飲めばよかったな。もうあんな機会ない筈だし。


 そうこう思いながら茶を淹れて月が飲みはじめたので私も飲む。一応、今日の授業で少し触れた通りにできるよう、復習もねて袖で口元を隠して静かに音立てないよう。


 月は人目がないし、高貴こうきな者がいないからとぐいぐい飲んでいって窓の外をちらりと見たので私もつられて見る。と、陽がだいぶ傾いていて濃い一日を象徴するように空を焼く赤光も濃くて訪れる夜の気配も深い。なんとなくはじめて後宮こうきゅうに来た日を思いだす。


 殿下と出会った、あの日のことを。それからもめくるめく日々だった、と思うが。


 これからきさきに相応しい教養を身につけつつ、戦事いくさごとにも通じるようにする、となれば兵法ひょうほう軍書ぐんしょたぐい紐解ひもとかねばならないのだろうなあ。ああ、本当に月じゃないが忙しい。


 けど、それもこれも私なんかを后妃こうひにすると言って聞かない殿下が負う忙しさのじゃないのだろう。月情報によれば彼はこれまで以上に執務をこなし、私に負担がないよう計らう、と皇帝陛下に上申じょうしんした、というし。……本当に、熱心だことだ。あのひとは。


 私のどこにそんな魅力があるのか私が教えてほしいくらいだ。私はずっと、引水しか能がないクセ、生意気だとそしられてきた。てめえらこそ引水ひとつ出来ねえクセにさ。


 そうこうして憎い懐かしさを片手に茶器ちゃきを傾けていると夕餉ゆうげが持ち込まれたので円扇えんせんで顔を隠しながら感謝を述べて、でも食事の大半は月に食べてもらった。胸がつかえる。


 それがなにで、なのかはわからない。元々食べないでも生きていける体だからあまりに過分かぶんな食事に驚いてしまっているのか、それとも……。これが恋のわずらい、なのかな?


 阿呆あほうなことを考えたが、月から景気づけ(?)にと誘われた酒も断って早々に寝台で横になった私は顔を触って改めて鬼面おにめんをしていないことに気づくも、諦めて寝入った。


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