五二話 緊張過多で胃が痛い、です……っ


 そうして皇宮こうぐう内を移動すること少々で目的地に到着してしまった。ああ、胃痛。特に桜綾ヨウリン様には装飾品の件で謝らねばならないかと思うと申し訳なさでない胸が潰れそう。


 ……。自虐寸劇コントしている場合じゃなくて。というので気持ちを切り替えた私は案内の宦官かんがんにお礼を言ってさがってもらい、進みでたユエが扉を叩いたのに返ってくる軽い声。


 軽やかで気さくで優しい声の主が自ら扉を開けたのに私は驚いたが、突如抱きつかれて乗倍じょうばい的に驚いてしまって自分で意識していなかったが思わず「うわっ」でも「うお」でもなくどうしたアレなのか「きゃあ」だなんて一声あげてしまって月が真顔になった。


 やめろ。私だって自分の口からこんなのがでるなんて予想外どころか予想にすら入っていなかったわ! だからその怪訝けげんというか「ぬし、そんなんか?」みたいな目よせ。


「聞いたわ、ジン。殿下とのことっ」


「え、ええ?」


「んもう、静ったら。ふふ、お顔見られちゃったのが殿下に、だったなんて運命?」


「いや、そういうの信じていない」


「そう? 素敵だと思うけど。あら?」


 そこで声の主、抱きついてきたひと、桜綾様が不思議そうに首を傾げたので私は気まずくて円扇えんせんがあるのに目を逸らした。多分、装飾品どころか服の違いも鋭く察知しているし、今私がこのおうぎの裏でめんをしていないのすらも熟知していそうな予感がするですよ?


 証拠に桜綾様は頬に手を当てて首を傾げた。が、へやの中からのいやに鋭い咳払いで背筋を伸ばしたかと思ったら私を招き入れてくれた。いたのは皇后こうごう陛下、そして深紅しんくの服と銀細工ぎんざいくで着飾った女性がひとり背に供となっているのだろう侍女じじょをふたり従えていた。


 皇后陛下の背には女性にしては長身な――私もひとのことは言えんが――それでも上背うわぜいのある、威厳もみなぎらせた綺麗だの美しいだのいうよりはこう、失礼だが強そうで逞しそうな女性を筆頭にして侍女が計五人控えていた。で、皇后陛下当人は、笑顔なんだが。


 これはアレだ。油断したら頭蓋噛み砕かれるであろう獅子ししが如き微笑みであった。


 あとおそらくもなく貴妃きひ様であろうくれないの衣を纏った女性は手にしていた扇子せんすを閉じて私をひたり、と見るというか睨みつけている? え、っとなにかしたでしょうか、私?


美朱ミンシュウ様ったら、そんなに目くじら立てなくてもいいんではありませんこと? こ」


上級位じょうきゅういの、それも正式なきさきたちがいるのに顔を隠したままいる。そのような無礼者にこのわたくしが教えてやれることはありませんわ。桜綾様、だいたい寝耳に水もいい」


「おやめなさい。なんと恥ずかしいこと」


 桜綾様の発言から、あのひと、紅衣こういの美人は「ミンシュウ」様、というらしい。どんな字を書くんだろう、と思った矢先、桜綾様の擁護ようごをぶった切る勢いで彼女は私に敵意、といって差し支えない感情を向けてきた。うん、たしかにそうなんだけどまだ、その。


 慣れない。顔、この顔をさらしていいものかどうかっていうのは、悩ましいのだ。


 殿下や月は「美しい」と言ってくれるし、鏡にうつった顔は鏡のうつし損ないでなければ綺麗だったが、私はなんというか、嫌われるのは全然いい。慣れている。だけど。


 でも、私の顔で気を悪くさせたり、吐き気をもよおさせたり、嫌悪を抱かせるのは本意じゃない。ああ、私は自己否定ばっかりなんだ。肯定できることなんて水の力だけ。


 で、美朱様に睨まれるままこんな無礼で非礼な娘に授業なんてしない、と言われるかと思ったら他の誰でもない皇后陛下がたしなめの言を吐いた。鋭く、厳しく、ぴしゃりと。


「そのコは長い間、虐げられ、利用されてきてつらさを紛らわせる為に鬼面おにめんをつけてすごしてきたのです。それがこちらにあわせて覗き込めば顔見られる円扇に変えてくれた」


「そ、れは……」


「だいたい、小燦シャオサンめいが気に入られなかったから選ばれた静に当たるなど言語道断ごんごどうだん


「なっ、そういうわけでは!」


「では、なんなのです?」


「……っ」


「異論がなければ、本日は触りだけ。静」


「は、はいっ」


「もしも、心が許すならお顔を、見せていただけないかしら? わたくしもまあ、義娘むすめになろうあなたの顔を一目見ておきたいという欲目よくめはあってよ。だってねえ。うふふ」


 うふふ、と微笑む皇后陛下はなにかを思いだしてくすくす笑っている。私はひたすら疑問符にまみれた頭だったが桜綾様に一旦離れてもらって、室の中に入って少し躊躇ちゅうちょ


 躊躇ためらいがちではあったが、円扇をそっとずらして、外して、背についてきた月に預けておずおず、と顔をあげた。私の顔を見た皇后陛下、だけでなく美朱様も桜綾様も目を丸くしたので私は三人の気分が悪くなる前に月の背に隠れた。心臓が早鐘はやがねを打っている。


 は、恥ずかしい。ダメ、墓穴ぼけつ欲しいっ!


 で、私がなにを考えているか察してか、月が円扇を返してきたので私は羞恥心しゅうちしんで真っ赤っかになってはいたが、返却されたそれで顔をまた隠した。うう、お目汚しを……。


 現在後宮こうきゅうにおいては最高位の権力を持っている女性たちの目を汚してしまったあ!


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