四七話 まだ、午前なんだなあ。はあ……


 私がむす、としているとユエが窓を開けた。昼前の、まだ午前の陽光だというのにすごい照りつけだ。ぐう、と音。月だ。さっき散々菓子や塩味えんみものを食べただろうにもう?


 昼だから、習慣で腹が鳴るのか。それとも食欲がいつにも増して旺盛おうせいになっているのだろうか? いずれにせよ、私には食事など不要なので月の分だけ頼んでおこうかな。


 夏のさかり。火のあかり。どちらも眩しく温かい、いや、前者は暑いになるか。ともかく北の奥地でいた私には馴染みが少ない熱気なので珍しくあり、暑気しょきを胸いっぱい吸い込んでみる。と、へやの外から香ばしいにおいがして月が期待顔をしたので目で許可をだす。


 扉を開けた月は侍女じじょ、濃い黄色のようなだいだいのような衣を纏った女をふたり通した。


 ふたりはそれぞれに足のついた小さい台? のようなものを持っていて上には見るからに美味しそうな食事の皿が乗せられている。彼女たちはそれらをたくに置いて一礼。さがっていった。……かなり、高度にかつ気配りのなんたるかを心得た侍女たちであった。


ジン、食わんのか?」


「や、あんだけ食って食えるてめえが怖い」


「あんな軽食なんぞ食うたうちに入るか」


 そう言っていそいそ食事に手をつけていく月が私は心から怖い。まあ、でも私も食べられないわけじゃない。飢えを、渇きを覚えないってだけで満腹も、覚えないからだ。


 空っぽな感じも満たされた感覚もない。なんと淋しいことか。でも、それでいい。


 満たされたら飢えてしまいそうだもの。満たされたいという気持ちが優位に立ってしまって私はなにをするだろうか。殿下はああ言ってくれた。今すぐでなくていい、と。


 ――私、どうしたいんだろ?


 食事をみながらふと、考えてみる。殿下の気持ちに応えてもよいかとか、自分に気持ちはあるのかとかと、これまでなんの情も与えられずってきた不自由さから理解できないことに苛立ちを覚える。どうしたいのか、どう在りたいのか、ただ、ただ……っ!


 あの優しさに満たされたい、と思ってしまった浅ましい私が憎たらしいのはそう。


 だって本来なら雲上うんじょうのひとだ。さらには無縁のひとでもあるのに。それ、なのに。都合よく愛をください、とねだるのか? そのお返しに将となって皇族こうぞく安寧あんねいをとでも?


 そんな都合のよい、現金げんきんにもほどがあることを告げてもいいのかな。未知の感情である愛を恐れると同時に切望し、羨望せんぼうに似た感情を抱いてきた。あい、ってなんだろう?


 なんて、この後宮こうきゅうにいる女たちから鼻で笑われそうなことを考えて悲しくなった。


 きっときさき教育の一環いっかんでそうした教養は一通り心得て入内じゅだいしている彼女たちからしたら愛とはなにで、愛されるとはどういう感じで、愛するというのがどういうことかなんてそう、呼吸に等しく理解できてしまうのだ。そして、その上で皇帝こうていちょうを争うんだろう?


 すごい、尊敬する。でも、そうした女らしさに憧れを寄せる真似はしない。殿下のまっすぐな瞳に見つめられるだけで私、満足できる。だから、もっと相応しい女性――。


「静、疑っておるのか、あのわっぱを」


「! ち、違」


「では、そのよう、悲しげにするでない。……だいたいなにを考えおるかは察する。どぉうせあの美貌の皇太子こうたいしにはもっと相応しい女性がいる筈~、だのぢゃろ。違うか?」


 うぐ。さすがに鋭い。私が言葉に詰まっていると月は私の食事もちょこちょこちょろまかしていき、あむあむ噛んで飲みくだしたと思ったらすぐ真剣な声で言葉を放った。


 先ほどしおれるな、のようなことを言っておいて放たれた言葉はとても優しかった。


「あのわっぱはなかなか見どころがある。静を一等いっとう大事にしてくれることぢゃろう」


「でも、私には女らしさなんて」


「ほう、あのわっぱがぬしにしおらしさやしとやかさだの女ならば~、というのを求めたと言うつもりかえ? はてのうー、わらわが聞く限りそのような内容はなかったのぢゃが」


「でも、ここは後宮で、殿下は……」


「そう。至上の御身、皇太子よ。そう生まれたからには必ず世継よつぎを残さねばならんので皇后こうごう以外にも四夫人しふじんなる上級妃じょうきゅうひ、他にも家柄や素養により中級妃ちゅうきゅうひ下級妃かきゅうひまで揃えてこそ安泰あんたいとされておる。ぢゃが、それは今代こんだいの皇帝までの話であり、あのわっぱは違う」


 なぜ、そんなことを知って、というか断言できるんだろう、こいつ。そう思ったのが口元にでもでたのか、月はふふ、と微笑んでなんでもないことのように言ってのけた。


 それこそ軽く、とんでもないことを。


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