四四話 鏡の催促。ナニカ。と、私……?


「ほら、ジン


「っ……いや」


「大丈夫だ。俺が保証する」


 なにを保証するんだ。よくわからん。わからなかったが、そろり、と顔をあげる。


 ちょっとだけあげた視界にうつるのは優しい笑みを浮かべた殿下と興味津々といった様子のユエだけ、だと思ったが殿下の背後にある棚の影があやしくうごめいた、かと思ったら。


 ナニカ、としか言えないナニカがぼたたと影をしずくのように零して殿下に襲いかか。


 私は咄嗟にガバッと顔をあげて暑気しょきの中にある水分を大気たいきから剝離はくりさせて水のつぶてとしてそのナニカに差し向けた。いきなり顔をあげた私にひとりと一体驚いたようだが、それよりなにより突如、攻撃姿勢など取ったものだから何事、と固まったのも一瞬だけだ。


 即、正気に返った月が振り向き、私の水礫みずつぶてに貫かれて各所崩れかかっているナニカにトドメを刺す。あがる火の手。燃えあがる影、だと思っていたナニカは月の火柱ひばしらの中で紙型かみがたとなってそのまま燃え尽きていった。ついでに断末魔だんまつま、にしてはいやにはっきりと。


「くっくく、油断するべからずうううっ!」


 だ、などと残して消えていった。月が炭とすすだけ残った火柱跡地に歩んでいって元紙型の一部をちょい、と摘まんで持ちあげ、すんすん。においを仕草しぐさを取ったあと。


「こいつは、泉宝センホウの紙ぢゃなあ」


「セン、ホウ……?」


「泉宝。ここ天琳テンレイから東にずっと向かった先にある国だ。紙の産地で有名なんだが」


 私がひとり話題についていけずにいると殿下が説明してくれた。紙の生産がさかんな国の名を泉宝といい、有名だということ。この国より東に位置している、ということを。


 が、わからない。それがなぜ、なにがどうして襲撃みたいなことを仕掛けてくる?


 それも紙を型とし、しきのように操ってとなると狙いは殿下の、命だったんだろう。


 それこそよくわからないのは私が不勉強ふべんきょう、ということなんだろう。なにか因縁いんねんでも持たれてしまっているんだろうか。詳しそうな月に話を聞いてみよう、と思って口を開いたがその月は私の方を見てびっくり仰天以上に驚いた様子で黒曜石こくようせきの瞳を見開いている。


 なんだ。と思い、考えるのはほんのまあ一寸ちょっとばかりで済んだ。殿下がなにか寄越してきたので思わず受け取り、持ち手を両手で握って首を傾げながら持ちあげる。きらり。


 光が反射され、私は目がくらむ。が、まばたきを繰り返して見つめた先にうつる誰かにぽかんとした。……綺麗な、ひと。水のに満ちた髪と肌。そして、瞳は不思議な色。


 蒼に金色の影が加えられた色で瞳孔はやや鋭くあるがそれがまた加工され、研かれた宝石のような美を放っているのだ。この色、どこかで……――あ、そうだ。ハオの、瞳。


「美しいだろう?」


「これ、誰の像?」


「……。鏡に別の人間がうつるのか?」


「へえっ?」


 思わず、間抜けた声がでた。思いもかけない言葉に驚いたとも言う。鏡、これが?


 そこから? と突っ込まれそうではあるが、だって鏡なんて無縁だったんだもの。


 え、え。ちょ、待って。この綺麗なひとはまさか私だと言うのか、言いたいのか?


 ありえなくはないか。これは私、目が疲れているんだろう。うん、絶対そうだっ!


 そう思ったので鏡をたくに置いて手のひらに水を集めて少しずつすくって目を洗うのを殿下は不思議そうに見ていたが、ややあって私の行動がなにを意味するか悟り、笑う。


 いや、笑い事じゃねえし。幻覚が見えるなんて危なすぎる、私。それもこんなまやかしが見えちゃうなんて危険な眼病がんびょうかもしれない。なので、洗う。しっかり執拗しつようなほど。


 そうこうする間に殿下は茶葉を選んで鉄瓶てつびんで沸かされた湯を急須きゅうすに一度入れて茶器ちゃきに注ぎ、選んだ茶葉を投入し、湯を戻す。そして、完璧な所作で茶器に茶を注いでいく。


 教養のひとつだろうか。どうでもいいや。と、いうわけで私は最後にしっかりすすいで美しい刺繍ししゅうを施された上等な上衣じょういの袖で目元を拭ってもう一度、意をけっして高価すぎる玻璃はり製の大きな手鏡に私をうつしてみた。で、変わらない光景と鏡像きょうぞうのせいで頭痛。


「静、どうしたのだ?」


「いや、本当、誰だよこれ……」


「静だとも。どうだ、美しかろう?」


「んで、てめえが誇らしげなんだよ」


「自慢のつまを誇らしく思ってなにが悪い?」


 げふぶっ。な、なぶ、なに言ってんだこいつはそれも真顔で堂々と。なんだって?


 自慢のつ、ま……? あれ、私もうそれ決定しちゃっているんだろうか。マジで?


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