四〇話 私史上最も不機嫌になった瞬間だ


ジン。さ、茶を選んでくれ」


らない」


「遠慮はしないでいいのだが」


「違えし。つか、寄るな」


「その、めんを外してはくれないか、静?」


「いやだ」


 皇后こうごう陛下に無情宣告を喰らっただけでも衝撃激しかったというのに皇帝こうてい陛下にまでトドメをしっかり、とっても、平民へいみん以下に厳しすぎねえ? というくらい刺されてのち。


 室内に突撃してきた時の剣幕はいずこ? といったふうすこぶるご機嫌そうなクソ皇太子こうたいしと一緒に応接間を追いだされた私はユエを見たが、彼女は肩を竦めるばかりだった。


 こ、この役立たずっ! やっぱり私に仕えたいなんだかんだは口デマか、クソぎつね


 そう、私が心中で悪態という悪態をつきまくっていたらなにやら物々しい、服装を見る限りは後宮こうきゅう勤めの宦官かんがんのようだが、を見ていると皇太子から命令を受けている様子。


 急ぎの仕事を片したらゆくからそれまでに私をどこだかの間に通しておけ、とか。


 ……。思考がもう、混線を極めすぎていて頭から煙がでそうだ。知恵熱とかない?


 具合が悪い、急な重病かもとかってので後宮の廃屋はいおくかなにかに追放されたらしめたもんでとっとととんずらぶっここう。そんな算段を立てる私の前に恭しく膝をついてきた宦官に背が寒くなったが、我慢してなんだろう? と見つめてみる。手を差しだされた。


嵐燦ランサン殿下のご命令により、懷慕かいぼの間にご案内させていただきとうございますので」


 その先を彼は言わなかった。言わなくてもわかった私もたいがいにアレだが「無駄な算段を企てる真似もなさいませんよう」と言いたいんだろ? くっ、なんてことだ!?


「月」


「言うたぢゃろ、腹をくくれ。女は度胸ぞ、静。どーんと構えておけば不自由など」


「今もうすでに不自由極まりない」


 と、言いはしたがここで叛意はんいを見せたらむち打ちにされるのは目の前にいるこの宦官になるのだからずるいもんである、権力者というのは。まったくもって不愉快でならない。


 不愉快で不快で不機嫌の底もぶち抜く勢いではあったが、仕方がないので宦官の手に手を乗せて案内を頼んでおく。ほお。安堵の吐息が聞こえてきたんだが、気のせいか?


 だいたい、なにに対して安堵する、と? そう思って先を見ると皇太子が不満そうに唇を尖らせていたが、こちらが余計不機嫌でいるのを見て取りふと微笑み去っていく。


 私は月と共にその背中を片や睨みつけ、片やおかしげにくっく、と笑って見送る。


 私は口を、自分でもわかるくらい尖らせて不服不満を表明したが、手を引かれるに任せて案内に従って執務のみや、というだけあり数多ある文官ぶんかんらのへや前を素通りしていく。


 官吏かんりたちは不思議そうな顔を並べている。宦官の群れと一緒にいる私という女に。


「こちらでお待ちください。窓はいかがい」


「必要ない」


「……。わかりました」


 窓は、と言って窓のじょうを外そうとした宦官に私は冷たく切り捨てる言葉を吐いて壁にもたれる。それだけで彼には不機嫌が伝わったようだったが、同時に首を傾げられた。


 あのクソ皇太子がどう私を言ったのか知らないがどうでもいいったらいい。構わないでほしい。ここ一年で起こさなかった癇癪かんしゃくにも似たナニカが破裂しそうなんだよ、私。


 癇癪玉? いや、正当に持っていい怒りだよな、これ? だって、私の気持ちなんて徹底無視じゃねえか。どうして私があのアホのきさきにならなくちゃならないんだよ。どうして、どうして……っ。私は、生きている。そして、あいつのせいで散々な目にって。


 なのに、なぜ大嫌いなあんな男にほぼ強制的にとつがせられそうなんだ。おかしい。


 おかしい。変だ。この世はどこまで残酷を極めて私にぶつけ続ければ気が済むの?


 悔しい。自分の身ひとつ好きに振れないこの理不尽が悔しい。……狡い。てめえらだけ狡いんだよ。私はこんなに耐えて耐えて、こらえて堪えて、押し込め押し込めている。


 なのに、てめえらは声ひとつでなんでも好き勝手出来るなんて。そんなの変だろ。


 もう、いっそ、私なんて……――。


「静、それはならぬ」


「月、てめえになにが」


「ぶつけどころのない苦しみをだからと己への殺意に変えてはならぬぞ、静。広く大きな視野を持つがよい。望もうとて后妃こうひになれない女もおる。ぬしが、どう考えようと」


「知るかっつーの! 私は、だってやっと」


「わかっておる。あのむらで歯を食いしばってきたのぢゃろう? では、なおのこと自害などと考えてはならぬ。そのようなことの為にぬしの中の鬼妖きようは命与えたのではない」


 わかっている。わかっているさ、そんなこと。ハオが望んでくれたのは私が、あの時生贄いけにえにされて可哀想だった私がせめてまともに生きられるように、歩めるように、って。


 そう思ってくれたんだってのは。でも、だったら私はこの女のそのなんかで幸せになれるのか? なれないだろうがっどうしたって私は他のきさきたちに何歩も劣っているんだ。


 なのに、どうやって幸せになれと? あのクソ皇太子の寵愛ちょうあいなんて要らないのに。


 それすらも贅沢だ、ということか。私は言ってはいけない我儘わがままを垂れる、幸福という蜜を求めて花を荒らす害蟲がいちゅうだとでも? この幸福をえたい女が何人いると思っているんだって話だろうが、知ったことか! 私はようやっと自由になれたんだ。それ、なのに。


 ……。もう、ヤダ。なにもしたくない。息するのもだるい。月はとがめるけど、でもいっそ一思ひとおもいに殺してくれた方がよほどいい。幸せになどなれはしない私の命なんて、もうどうでもいいのに。月はよくわからない。なんで、私の苦しみを知っていて、なぜっ!?


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