なにを言っているのか、さっぱりなんだが?

三九話 な、な、なんだって、こいつ。は?


「……は?」


 誰かの声と誰かの声と私の声が混ざった。少なくとも両陛下と私の声は一緒になったように感じられた、というか聞こえた。な、なぶ、なにを言っているんだ、こいつは?


 そう、がっつり言わなくてもわかる。誰の耳にも届いたであろう声ははっきりものを言ったのにとても信じがたいことを言っていた。てか、言いやがったとでもしようか。


「な、ん……? 嵐燦ランサン


「俺は、ジン立后りっこうさせます」


「は?」


 今度こそ間違いない。両陛下が間抜けた声をあげた。皇后こうごう陛下は円扇えんせんの向こうで怪訝を通り越して悪ふざけを疑う顔をしている。綺麗な眉がとがめる形となっている。多分。


 これは放っておいたらいかに実の息子といえどこの男を「小燦シャオサン」と、ちゃん付で呼んでたしなめていた彼女のお説教が落ちるかもしれない。……いいな、それ。ぜひ落として!


 なんなのこいつ。いきなり押しかけて来たかと思ったら意味のわからん、わけわかんないことほざいて。そんなに私の困惑と戸惑い、驚愕と動揺をさかな、あてにしたいのか?


 なにそれ。ふざけんな。私は塩辛い対応だけどそれでも食べ物じゃないんだから。


 この皇太子こうたいし、どうやら相当頭が沸騰している模様。私を立后させる、だとかなんとか聞こえたがひょっとしてアレか。私の聞き間違い……な、わけはねえか。だって堂々と胸張って宣言しやがったんだから。本気なのか、それとも超絶性質たちの悪い嫌がらせかな?


「ら、嵐燦、待て、待つがいい」


「なにをですか」


 おいコラ。皇帝こうてい陛下の混乱を流すな。てかすげえしれっと「なにをですか」って訊くのはいったいどういう神経をしているからだろう。陛下の「待て」なんててめえのとち狂ったおバカ発言に決まっている。私を后妃こうひにしたいの、立后させるだのだ。もちろん。


 陛下は痛みを訴えている、激痛に悶えたそうな表情で皇太子、嵐燦に向き直った。


 で、もんのすっごーく後悔している。そういう横顔でいるのとこの皇太子だというがどう考えても阿呆あほう発言かますおバカにしか見えんあんぽんたんは……といえば真顔だ。


 え、え。……え? マジなのか。まじめに言っている言っていたのか、さっきの。


「嵐燦。あなた意味を理解していますか?」


 不意に厳しい声が響いた。この硬直した場に冷たい声はとてもよく、大地に水染み込むように落ちてきた。あの、先までの穏やかな声が嘘で偽物だったのか疑うんですが。


 それくらい、皇后陛下の声は冷ややかだ。息子であるといえ、未来の天子てんしである皇太子に向かって、これでもか、とすごみを利かせた声は恫喝どうかつの響きになぜかよく似ている。


 その様に私の脳裏にふと「水剋火すいこくか」のことわりが浮かんできたので皇后陛下は水性すいしょうの強い北方ほっぽうの生まれなのか、と思った。私と同じで。あの寒くてかじかむ人心じんしんも冷えた土地の。


 皇帝陛下のそばにっては穏やかだったが、息子には水性を持つ者特有の、火性かしょう苛烈かれつさなど生ぬるい激烈げきれつさを備えているご様子。こ、怖っ。よかったあ、鉾先ほこさきが違って。


「この娘を後宮こうきゅうしばりつける、そう言っていると理解しているのですか、あなたは」


「それは、はい。彼女は俺の」


「このコは誰のモノでもありません」


 ま、まともーっ。なにこの常識人。後宮に、皇帝によめ入りするくらいだからこのひともそれなりのじれた価値観を持っていると思っていたけどこの調子なら大丈夫そう。


 皇后陛下が反対するならいかにこいつが皇太子といえども道理どうりのない、一切ありえない無理は通せないに違いない。そう思うのに、思えるのになぜでしょうね、この寒気。


 どうしたことか、寒気がする。しばし皇太子を睨んでいたように見えた皇后陛下、なのになにその顔というか、目!? ね、ねえねえ、なんで「仕方がない」と言いたげ。


「そう。静がいないとまつりごとも手がつかなくなってしまうのですね? 仕方のないこと」


 なにが!? なにが、仕方がないと言っているのだ。わからん。せん。はてえ?


 私が困りに困って隣のユエを見ると九尾きゅうびきつねは事態の急転直下というか急転換の超展開になぜか薄く笑みを浮かべていやがる。……は? なんで。こんな困っているのにっ!


 で、次なる言葉はどちらがより早かったか。いや、おそらく私の耳がたしかなら皇后陛下が先んじた。彼女は先と打って変わってにっこにこと満面の笑みを浮かべている。


「と、いうわけです。静、先の将軍に云々はなかったことにしてくださる? 代わりにこの嵐燦のきさきとして、このコが照らすこの天琳テンレイとうとき明日を共に支えてくださいまし」


「こうなってはダメぢゃな。腹をくくれい」


 後宮で最も権威と発言力を持っている皇后陛下の発言もなかなかに解せなかったが味方だと思っていた月が神妙にダメだの腹くくれ、と言ってきたことに私は大混乱だぞ。


 な、なぼべぼぶ……? な、にを言っているんだこのひとりと一体は。それが正直な私の感想です。他にはない。て、てめえらいったいなにを言っていやがるんですか!?


 なんで私がこの男に、皇太子なんて未知の生物に嫁ぐ云々で話を詰めようとしているのか、訊いてみてもいいだろうか。それとも敢えて訊かず、知らんぷりを決め込むか?


 だが、そうすると無視の罪で最悪も極悪な処遇にかかったら私、即行の入内じゅだいが大決定してしまうだけに飽き足らず、今夜にでもこの理性が吹っ飛んでいそうなアホと……?


 い、いや。いやいやいやっ! さすがにそれはないだろうと思いたいのに先ほど皇后陛下が見せた凄みのすさまじき激烈さを思いだすに充分ありえそうで恐ろしいのだが。


「嵐燦がまさかここまで執着するか……それに梓萌ズームォンの判断こそ後宮では絶対である」


 は? え? ちょ、待、嘘だろ? そんな史上最悪の罰ってなくないか、そんな。


「よかろう。静、これより後宮にそなたのみやをひとつ用意する。手配までくつろがれよ」


 最後の頼りが断たれ、私がひっそりでがっつり落ち込んだのはおおやけの事実であった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る