三八話 嬉々鬱々とした、新しい日々


「父上、母上に急ぎ、取り継ぎを!」


「は? いえ、ですが殿、下……?」


はようっ! 火急の頼みがあるのだ!」


 早速、いや、即座に父母へ面会を求めて先ほど見た娘を探しだしてほしい。その為ならば明日のきさき面談はさも楽しそうに笑顔で終える、と約束して後宮こうきゅう中に触れを頼んだ。


 父であり皇帝こうてい陛下である燕春エンシュンは俺がここほど興奮をあらわにしていることに驚きを隠せず、呆気に取られていたが触れを了承してくれた。娘の口の荒さから後宮で最高妃さいこうひとされている四夫人しふじんみやには出入りしないというよりできない、と思ったのでそれ以外だ。


 俺のあまりのたかぶりには普段あんまり口をだしてこない母であり皇后こうごう陛下の梓萌ズームォンも何事なのか、と心配そうにしてくれたが、俺はそれどころではなかった。早く、もう一度。


 もう一度、あの娘に会いたい。否、いたい。次逢ったらならばそう、今度こそ娘が抱く誤解をといてやって、ああ、そうだ。あの娘が皇后こうごうだったらどうだ? 最高だっ!


 あんな遠慮のない口ははじめてだった。まあ、宦官かんがんだと思われていたようだったしそこは仕方がないとしておく。ただ、あの瞳、あの美貌、あの声。すべてが愛おしくて。


 こういうのをとりこにされる、と言うのか。


 そんなバカになったようなことを考えて一日、二日では見つからないだろうが、後宮がいかに広かろうと限度がある。なのでいずれ尻尾しっぽを掴める。また逢える。そう考えると朝昼晩関係なく興奮が押し寄せては落胆の引きにって、胸苦しい日々がはじまった。


 報告を受けるかたわら、妃候補たちとのつまらん面談をこなし、まつりごとを片づける日々は退屈極まりなく、特に妃候補として来た女たちの相手はちょっとした苦行くぎょうじみていたなあ。


 美しい、と一般には言われるであろう顔だがあの日の晩に出会ったあの娘の神秘しんぴ的で妖艶ようえんで美しいあの顔が、あの驚いた表情が、自らを醜く見るにえない、そう自虐する様が同時に思い起こされては、この女共のなんと醜く悪辣あくらつなことか、と拳を握りしめた。


 両親に、両陛下にああ言いはしたが顔をつくろうのも大変だし、醜い臭気しゅうきゆがみそうになる顔に笑みを貼りつけておかねばならない。苦痛だ。いつわるのも、さらけだせないのも。


 いっそ、俺もめんをつけてみようか? ……いやいや、それはやはりまずい。仮にも一国の皇太子こうたいし公主ひめや裕福な商家しょうかの娘に会うのに面をつけておく、というのは、いかん。


 羨ましい。なあ、ジン。面をつけてもいいお前が。素直な感情を遠慮なくさらけだせるお前の正直さが。あらゆる権力を持ちえているよううつる皇太子、である筈なのにな。


 俺が本心の底から望みうるものは手に入らないようになっているのか? ……まさかだがお前も、この俺が唯一かれた女であるお前も望む限り手に入らないというのか?


 俺は最初こそ翌日が楽しみだったが、数日が、五日以上が経とうというこの日を朗報ろうほうなく迎えてはさすがにこたえた。もっと簡単に見つかると思っていた。あんなに美しいのだ。心の内から光を放つぎょくのような、清水のような娘。なぜ見つからない、と苛立った。


 苛立つあまり、仕事が手につかなくなっていき、妃候補たちの相手もぞんざいになっていったが構わなかった。俺には彼女だけいればいい。未来をになう皇太子としてはひとりに執着するのはしきことだとはわかっている。だが、それでも、彼女が欲しいのだ。


 七日目。もう、イライラが限界だった俺は反古ほごにしてしまった木簡もっかん火性かしょうで燃やしてしまった。ダメだ。こんなに感情や五行ごぎょうが制御できなくなってくるだなんてはじめて。


 皇族こうぞくに生まれた俺は中央にみやこがある皇都こうとしょうである土のが最も強かったが、歴代皇太子の中でも珍しく、五行混在魂こんざいこんという特異体質だと祈禱師きとうしに診断されたのだそうだ。


 普通は生まれた地の性を強く血に引くが、俺は五行すべての気を持って生まれた。そのせいか、気持ちが乱れた際には五行の均衡きんこうも崩れやすくなり、周囲に影響を与えた。


 苛立ち、怒りが高まれば苛烈かれつな火性が優位に立ち、火の手をあげる。逆に冷めた心地というか、冷徹れいてつさが覗く時は水性すいしょうが優位になって花瓶を割るほど水を荒れさせたとか。


 故に冷静に。公平に。乱れなき整えた心でらねばならないと幼き時よりしつけられてきたし、俺自身も周囲に迷惑をかけるのが忍びなくて五行を整えようと努力してきた。しかし、静が、彼女がいまだ見つからない。掌中しょうちゅうから零れ逃げたと思うと絶望が襲った。


 手のひらの中で燃える木簡を床に叩きつける。土の気が乱れ、皇宮こうぐうの基礎となった箇所が崩れだした時はさすがにまずい、抑えねばと思えど思うたび、静の後ろ姿が浮かぶ。


 彼女の徹底して冷徹な思想を持つであろう水性でこの苛立ちと鬱屈うっくつを晴らしてほしいと願うのに、その彼女は、ここにいない。そんなふう考え、いても立ってもいられなくなっていった。これは、水の気が強い母にたくすか、父の土の気で無理矢理押し込めるか。


 いずれにせよ、本日ここ、皇宮の執務の場にて例の湖で妖魚ようぎょほふった者をもてなす予定だと聞いていた父母に助けを求めねば、そう冷静さを欠片だけ取り戻した俺は控えていた官吏かんりに頼みにいってもらい、へや床を燃やそうとする木簡に花瓶の水をかける。鎮火。


 これくらい容易に俺の心も落ち着けばよいものを。そう失笑して陛下らの答も待たずに室をでた俺はいった先で、使いにだした官吏に頷かれたので扉を壊す勢いで叩いた。


 扉を開けられたので中に入り、両陛下に彼女、静についてを訴えていた俺はきもを抜かれるほど驚いた。だって、そこにいたのは、室内で陛下たちが接待していたのは、静?


 彼女の方は身を捩って俺の視線から逃れようと必死になっている様子。両陛下はいぶかしんで俺をとがめてきた。だが、信じがたい。静が湖の妖魚を仕留めた者と同一人物だと?


 いや、今はそんなことはどうでもいい。やっと、見つけたのだからこれ幸い、だ。


 嬉しくて、気持ちが浮いた。ここ数日の鬱々うつうつとした気持ちが晴れて光が差し込んだ心地となって。両陛下の疑問と不可解さに端的たんてきに答えたが伝わってくれない。興奮するあまり端的に言いすぎたようだ。だから、俺ははっきり俺の気持ちを口にすることにした。


「父上、母上、俺はこの娘を后妃こうひとします」


 そう、堂々と胸を張って宣言してみせた。


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