弐の幕 変わってゆく日々と人々と環境

ここに生まれた者の運命だ、とわかっている

三四話 夏真っ盛りのとある日


 アレは、うだるような暑い日のこと。


避暑ひしょに?」


「ええ。陛下とわたくしと四夫人しふじんとで」


「ご遠慮申しあげます、母上」


 一言で母であり、皇后こうごう陛下の言葉を捨てた俺は読んでいた本を再び読みはじめた。


 避暑にいく、と言うがそれは父と母だけならば俺にとっても避暑となっただろう。だがしかし、四夫人共がいるなら話は別だ。幼い頃から見せつけられてきた醜い女のおとしめあいをまたまざまざと見せつけられるかと思うと気がせる。母に他意たいはないだろうが。


 あんな醜悪しゅうあくなものを見ると思うとそれだけで避暑になるので遠慮する。違う意味でゾッとするというもの。それよりかここで本を紐解ひもとき、少しでもまつりごとの助けとなる叡智えいちを。


 三年前のあの発令によって民たちに不満が生じているのは聞こえている。特に北の方では武に優れる者と、しきの扱いに長ける者とで不要ないさかいまであがっているというし。


 ひとりにつき式を、あやかしを一体つけた者に優遇ゆうぐうをもうける、という法案に俺自身は首を傾げたが、当時原案を提示したのが古参こさんの中でも最古といっていい者だったのもあり、父の、皇帝こうてい陛下の顔に泥を塗らないように俺の声で、未熟なる身の方で発したが。


 アレには抜け穴があって、あやかしたちの中でもごく低位ていいの者は計上けいじょうしない。それによって中位ちゅうい高位こういの式をつけた者にだけ優遇が与えられ、格差がより広がったわけだ。


 それは当然、不満のたねとなったが、声を発したのがまだ修練しゅうれん中の俺だったお陰で陛下に不穏な囁きが向くことはなかったのはよかったと思っている。しかし、不甲斐ふがいない。


 あの官吏かんり高慢こうまんなしたり笑いが浮かぶようだ。腹立たしいがもう発してしまったものはどうしようもない。せめて、この法案で無情さを極める者がいないことを願おうか。


 ただでさえ、皇都こうとに式をつけたから減免げんめんを願ってきた者たちが不平を吐きながら追い返されて帰っていく話を聞いて心の臓が軋むような心地があるというのに、この上理不尽さに声をあげることもできない、などという者が現れないよう祈るばかりである。


 窓を開け、風を入れる。すような暑さは少し風の撫でつけで変化。室内であっても避暑などかなう。わざわざあの性根しょうねの腐った徳妃とくひのねちねちした嫌みなど聞きたくない。


 四夫人の中でまともなのは淑妃しゅくひ様くらいだろうか。桜綾ヨウリン様は苛烈かれつ南領なんりょうと計算高い西領さいりょうさかいにある豪商ごうしょうの生まれだそうだが、商人あきんど血筋が強いのか、勝てぬ争いは好まない。


 逆に徳妃様、魅音ミオン様は計算高いというよりはひとを落とし穴に押し込んで仕込んだつるぎや槍で串刺しにして高笑う性根の悪さ。東領とうりょうに強く血が残る木性もくしょうが影響してだろうな。


 あの女はかつて俺を身籠みごもっていた母に栄養価が高いと嘘をついて妓女ぎじょふく堕胎だたい作用のある香辛料こうしんりょうや珍しい茶を匿名とくめい、どころか下級妃かきゅうひたちの連名れんめい、にして送りつけたそう。


 当然だが、みかどの子を堕胎させるのは未来の天子てんしを殺害するに等しく名を利用された下級妃たちは流刑るけいならばまだしも肉刑にくけいに処された者もいるというので背筋が凍るようだ。


 俺が生まれたのはそういう場所ところだ、と受け入れねばならないが受け入れ切れないその軟弱さをあの官吏につけ込まれた。俺のとがだ。わかっている。しかし、今年は晴天に恵まれたお陰で民の不満は少しおさまっているらしい。各領かくりょうは。みやこの近辺は、違っていた。


 どういうわけか、引水がうまくいっていないようで水源地であり、此度こたび母たちが避暑に向かった湖に様子を見にいった者もいるそうだが、漏れなく帰ってこなかったとも。


 なので、のろいを恐れた民たちが祈禱師きとうしを手配してほしい、とうれいをかろうじて学問がくもんに通じる者に頼んで文としてしたためて送って寄越しているとか。……バカバカしいな。


 呪いなどあるものか。あやかしはかろうじて信じようもあるが、呪いやそれにじゅんずるものなどありえぬ。なにか原因があるのだろう。祈禱師も明日あす中には手配が完了する。


 性質たちの悪いあやかしがなにかしでかしているのを目撃者が誰もいないからと呪い、たたりだのと騒ぎ立てているだけだ。本当にバカバカしい。俺は目に見えるものを信じる。


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