三三話 予想を超過しすぎな事態、連続


 男は国守り、女は家守る。それが鉄則としてある筈だ。それをくつがえすなんて真似、皇帝こうてい陛下といえどできるとは考えにくいんだが。とか私が疑問の花畑でうろうろしてたら。


「なに? 大事な客人の相手中だと」


「しかし、お苛立ちのあまりおへや小火ぼやが」


「まあ、困ったこと。陛下、話だけでも。きっとジンのことですし、気にかけないと」


「あの、お気遣い、なく?」


「むう。……すまぬ。息子がなぜかな」


 息子。また皇太子こうたいし。私はさっさとこの皇宮こうぐうを去りたいのだが、両陛下は話を詰め終わるまで私を帰す気はないようだし、聞いても大丈夫な内容なら聞き流すことにつとめよ。


 私が決意新たにぬるくなってなお香り高い茶を一口含んで嚥下えんげすると、隣のユエがなにか気になることでもあるのか首を傾げている。なんだろうか。と、思ったのは束の間。


 この応接間の外、陛下たちの背中側にある扉の向こうから荒々しい足音が聞こえてきて扉が叩かれた。……あの、ひょんなことで壊す気でいるんだろうか、向こうのやつ。


 陛下が扉の側に控える官吏かんりに手で合図して開けさせると男がひとり足取り荒く入ってきた。顔の前に御簾みすを垂らしているそのひとはこちらに気づくことなく皇帝に訴えた。


「なぜ見つからないのです、陛下!?」


「そうは言うが、お前……」


「あのよう美しい者が目撃もされないなど」


「落ち着きなさい、嵐燦ランサン


「しかし、しかしっ」


 皇后こうごう陛下に「ランサン」と呼ばれた男は切迫したというか鬼気迫る剣幕であろう口調で詰め寄っている。これが、皇太子。なんか思っていたのと印象が違う、ような気が。


 もっとこう、ひとを見下みくだしたような男を想像していた。なのに、これでは身の内にくすぶる炎に身を焦がし、それを鎮めるすべを持たずいる無様な男、という感じに見えるなあ。


 よわいは私と似たり寄ったりだと噂に聞いていたが、もっと幼く思える。そう思って隣の月を見るとなぜか、まなじりを吊りあげて威嚇いかく、に近しい目で皇太子を睨みつけている奇妙。


 なんだ、どうした? そう、思ったのも一瞬だった。風が吹いた。室の熱気を逃がす為に開けられていた窓からの涼しい風が皇太子の御簾を舞いあげさせてその顔を見た私は、血の気がザザァ、と引いていくのを感じた。気づくな。気づくな。こちらを見るな。


 だが、現実とは無情の極み。風に目を乾かされたのか皇太子が目をまたたかせてこちらに視線を寄越してきた。そして、固まる。舞いあがったままの御簾の向こうの漆黒。


 月のとは違う、黒い双眸そうぼうに宿る獣のような感情に含まれているのは焦り、焦燥しょうそうだったが私を視認して即、それは霧散むさんしていった。驚愕の表情でそのひとは私のことを見る。


「お前、な、ぜここにい」


小燦シャオサン、失礼ですよ。きさきたちを救ってくれた御仁ごじんでわたくしと陛下のお客人に――」


「……お前が、湖の妖魚ようぎょほふった強者つわもの?」


 なにか、なにかしらが怪しい、という感じでもない。信じがたいことを聞いたような声色だったが私はそれどころではなかった。まさか、そんな。月が高貴こうきな者だと言ってはいたがそれでも、あの時の男が、私の醜さを見たのが、皇太子だっただなんて……っ。


 恥ずかしい。身の置き場がない。どうしたらいい。いや、それ以前に見ないで、私を見ないでくれ! こんな醜い鬼の娘を、私なんかをそのんだ瞳にうつさないでくれ。


 私が気まずくておろおろと無意識だったが顔を隠すと隣の月も私を庇うようにして腕を伸ばして私を大袖おおそでで隠してくれた。これに皇太子はなぜか気色けしきばんで一歩踏みだす。


不躾ぶしつけぢゃのう、皇太子ともあろう者が」


「お前、あの時のあやかしっ」


「だったらなんぢゃ。ぬしが発令させたしきをつけよ、の令で苦しみを上塗りされてきたクセ、わらわなんぞというくたばり損ないを救った酔狂すいきょう娘に妾が味方する。なにが疑問か」


「俺、の? だが、その娘は水を」


「ふん。ぬしに話してやる義理はない。それより両陛下になにか訴えがあって来たのであろうに余所事へ気を取られてどうする。どぉうやら次代の天子てんしは愚かで阿呆あほうらしい」


 ざわり。周囲がざわめく。月の発言で。でも、そうだ。両陛下になにかしら訴えがあって接客の場にまでずかずかやってきたんだろうに。私をじろじろ見てこないでくれ!


 両陛下もいぶかしそうに皇太子を見て、私を見る。視線に慣れない私は身動みじろぎしてのがれようと長椅子の上で身をじらせた。と、いうかいまさらでも皇太子相手に、大丈夫か?


 月の無礼な発言のせいで室で控えていた武官ぶかんたちがざわざわと騒がしい。騒がしかったが、燕春エンシュン陛下がじろりと睨みつけるとそこから波が引くように静まり返っていった。


「嵐燦、何事なのだ?」


「父上、この娘ですっ」


「? 待て、話が見えぬ」


「俺が探していたのはこの娘です!」


 なに、を言っているんだろうこの皇太子という生き物は。探していた。私を……?


 どうして、だ。あの晩、月に燃やされかけたとがを私になすりつけようとか、無礼な口を叩いた報復を考えていたとか、そういう手合いのことか。また、理不尽に遭うのか。


 そんなことの為に四夫人しふじんこそ除けどすべてのみやに住まう妃たちに触れをださせるほど怒り狂っている、ということなのか。よくわからない。私とは違いすぎる生物だから。


 でも、その四夫人のもとに身を寄せさせてもらっていたお陰で触れで呼びだされることがなかった。逆にいえば、今日こうしてのこのこ皇宮にやってきてしまった上に、皇帝陛下たちの前で月の無礼と私の荒くて汚い言葉をばっせられるかもしれないとしたら……?


 完全にしくじったとしか思えん。そう思ったのに続けられた皇太子の言葉は――。


「父上、母上、俺はこの娘を后妃こうひとします」


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