はあ、気が重たいが、とっとと済めよう

三〇話 気は重たいが、両陛下へ会いにいこう


ジン支度したくはどう?」


「多分、大丈、夫……?」


「なんぢゃ、自信持て。鬼面おにめんがあろうと充分別嬪べっぴんに仕上がっておるわ。むしろ、その面がいい味になっておるかもしれんのう。美しすぎる顔を隠す為だあ、とか噂になって」


 なにそれ、生き地獄? この鬼面の下にあるのなんて醜い鬼娘の穢れた顔だけだ。


 他にはない。でも、妙な噂が立つのは。ああいや、だけど外すのはわりが悪い。私がもだもだ考えていると桜綾ヨウリン様が寝室にしてね、と貸してくれていたへやに入ってきた。


 で、鬼面をつけたまま着飾っている私に一瞬淋しそうな表情を浮かべたがすぐにっこりして私の肩に手を置いてきた。これつまり、励ましだろうか? 頑張ってね、とか?


 やはり面は外した方がいいんだろうか。しかし多くの人間、へたな街よりもひとが密集しているこの後宮こうきゅうで私の顔をさらして目を汚すのは躊躇ためらわれる。もちろん桜綾様も。


 彼女の綺麗な緑の目が、いつも優しい、砂漠地帯にあるとされる水と共に溢れる慰緑地オアシスだとかって呼ばれることもある、そこにある緑葉りょくようたちのよう、癒やされるこの瞳が嫌悪に染まる様なんて、見たくない。見るのが、とても怖い。違うと思えない、いやしい私。


 彼女はあのむらのやつらのような劣等れっとうな思想はしていない。国母こくもを支える為に尽力する淑妃しゅくひとしてとくの高い思想をお持ちなのはここ数日で知れている、と思うのに。なのに。


 そう思い切れない臆病おくびょうな私が本当にいや。嫌い。最低だと思う。のに、それでも。


 信じられない。信じてしまうのが怖い。気持ちを寄せただけ返されないのが、どんなにこちらが慕ってもその気持ちを汲まれない、というのはとてもつらいことだからこそ。


 それに、第一私が桜綾様のような高貴こうきなひとを尊敬するのもおこがましい、というものだろう。迷惑に違いない。特にこの後宮という特殊な場所では女同士は敵同士なのだから。小さな種火たねびでも息を吹きかけて発火させるだけで大火事にも発展しかねないのだ。


 今は、命の恩人としてぐうしてくれていても、そんな関係はいつまでも続かない筈。


 そんなことわかっている。皇帝こうてい陛下が私の処遇をどうするか、で桜綾様だって私への態度を改めるのはわかり切ったこと。さて、帰還時この優しい緑がどう変わるやらな。


 卑屈ひくつになっているつもりはない。でも、私は鬼妖きよう魅入みいられた鬼を宿す卑賤ひせん下賤げせんな娘だ。桜綾様のように高度な教養がくもなくば、綺麗な字も書けず、口も汚いときている。


 そんな私が、ここまで好待遇でもてなされたのはあの人喰い鯉、踊鯉ようりほふったからにほかならない。それがなければただのたかが薄汚れた下賤の娘で終わったのに、なあ。


 高貴な御方おかたと関わるような身の上でなかった。なんの奇妙で不思議なえんなのやら。


「じゃあ、車をまわさせますね」


「すまんのう、我があるじが恥ずかしがるせい」


「誰が主だ。だいたいなんでついてくんだ」


「おやあ? ひとりでいけるのかえ~?」


「……ぐ」


「ほほ、そうぢゃろうが。意地張り娘めが」


 見抜かれて先回りで随伴ずいはんしてくれると言っていたユエの機転、つか気回しのよさと気配りの素晴らしさに私はついつい唇を尖らせてしまう。悔しいが、ひとりは心細かった。


 月がついてきてくれるのは心強い。もしもの時にはすぐ後宮からであろうと逃がしてくれる、と言ってくれた。そういう意味でもついてきてほしい。なにせいくのは皇宮こうぐう


 後宮よりみやこの中心地に建てられている皇族こうぞくの為の住居。ここには桜綾様がどれほど擁護ようごしようとクソっ垂れた法案を結局通してしまったむかつく皇太子こうたいしも住んでいるんだ。


 私ひとりの私怨しえんだというのはわかっている。ぶつけどころがわからない理不尽を目に見えてわかりやすい対象に募らせているだけだってのも。わかっていても止められない憎悪のやり場がない。どこにもやれない。かわせない。それくらい「式無しきなし」はきつかった。


 ただでさえ、鬼妖に魅入られた穢れを宿す、だのなんだの無慈悲にののしられてきた身にはこたえた。私が望んだんじゃないっ。そう思うたび、考える度、息が苦しくなったんだ。


 まわりが呼吸するのと同じ域で私を罵るから私はそれに反抗することにさえ無意味さを覚えていって、邑人たちが私をそしる度、私の彼ら彼女らへの関心やらはそこなわれた。


 息を吸う。吐く。罵る。この一連の、独特すぎる呼吸を聞いて育った私にとって他人はそういうものという認識だけが育った。私を卑しいと謗るてめえらが卑しいだろう?


 そう、心の中で舌をだしてきた。心の底からすべて貧しかったあの邑での認識が捨て切れない私は桜綾様が手配してくれた馬車に月と一緒に乗って、窓の外に手を振った。


 みやの主人である桜綾様と娘の優杏ユアン様は手を振ってくれたが侍女じじょたちは「やっといってくれた」とばかり胸を撫でおろした様子でいたのでやはり相当目障りだったんだろう。


 主人を平然と「てめえ」呼ばわりする私はうとましかったに違いない。わかっているので私はもう戻ることもないだろう、というのでふう、とため息をついて別れにえた。


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