せめてものお返し代わりに、だったのになんで?

二六話 いろいろ活用方法はあるんだ


 それからの数日は、まあ平和なものだった。私は特になにをさせられるでもなく桜綾ヨウリン様にわずかばかりお返しする、衣食住代せいかつひのつもりで身なりのというかお肌や髪それと爪のお手入れを手伝ってすごした。近年にまれな猛暑で肌もなにもかもがバテバテであった。


 特に爪は貴人きじんらしからぬ荒れ具合だったのもあり、特別に妖力水ようりきすいを用意したほど。


 訊けば、花街はなまち流行はやりの爪紅つまくれないをしていたが使ったべにがあわなかったのか、ひどく荒れてしまったのだとか。よって、私が知りうる限り最も効果が高くて特別な補修ケアをする。


「ねえ、ジン? 妖力水ってどういうもの?」


 私が水に妖力を溶かして準備しているかたわら桜綾様が質問してきたのにはユエが返答。


 この作業は集中していないと補修どころか逆効果になりかねない。特に桜綾様のような普通の人間でしきを扱うこともない高貴こうきなひとにとっては。なので、月に任せておく。


「水をつかさどるあやかしがつくれる特殊な効能を秘めた水ぢゃよ。字面じづらの通りな。効能は数にすることもできぬほどある。ひとに限らず生き物に作物にあらゆる恩寵おんちょうをもたらす」


「へえ。それで爪がどうなるのかしら」


「やりゃあわかるっつーの」


 ちょうど作業を終えた私がぶっきらぼうに応えると桜綾様は早速と両手を差しだしてきたので私はまず彼女の右手を取った。借りた筆に妖力水を含ませて爪一枚ずつに丁寧に塗っていく。特に甘爪あまづめのところは丹念に。続いて左手の爪にも同じように塗っていく。


 桜綾様は不思議そうな顔で見つめているが私が別のおけに汲んでもらっていた煮沸しゃふつ済みの綺麗な水に両手をつけさせる。すると、荒れてすじができていた爪が淡く色づいたようになって透明感のある薄紅色に、そしてつややかになった。ちょうど、私のと同じ色、に。


「まあっ」


「もう少しつけていて。……はい。手拭い」


「綺麗になったわあ。それに淡い紅を塗ったみたいになるだなんてとっても素敵ね」


 喜んでもらえたようでなにより。居候いそうろうさせてもらった分は返せただろうか? あとはお肌の日焼けというか熱気と日光の荒れ、かな。そう思った私はもうひとつ桶を取る。


 そこに新しい水を注ぎ、妖力水を新しく、今度はさらに注意して濃度を調整して、っとできた。新しい妖力水を綿わたに含めて桜綾様の頬や鼻の頭、顎先、額に乗せていった。


 そのまま塗り広げていって一定の厚みで妖力水を乗せたあとは薄く紙のように仕立てた綿を貼りつけるように乗せてしばらく放置。その間に私はあの時、湖からの帰りにれてもらった冷茶れいちゃをもらって水分とわずかに栄養を補給する。やっぱり疲れるう、これ。


 桜綾様も冷茶で休憩してもらい、触ってみて乾いてきたのでそっと薄綿うすわたがして水洗顔してもらい完了。桜綾様はご実家から送られたという珍しい玻璃はりの鏡で顔を見て。


「すごいわあ。ぷるぷるのつやつや~」


「お綺麗ですわ、桜綾様」


 はたで見ていた、私たちに茶を持ってきてくれた侍女じじょが思わず、だろうが覗き込んで感嘆の声をあげた。で、にっこにこでご機嫌が大変よろしそうな桜綾様は思わぬことを。


「ねえ、静? いつもあなたこのお手入れしているのかしら。今の私よりうるつや」


「私が美容に興味があるよう見える?」


「うーん。でも女の子だし?」


「あるわけねえだろ。これは私の中に渦巻く膨大ぼうだいすぎる妖気が溢れてこうなだけだ」


 一蹴。思わぬ水を向けられそうになったがもうあの日の、あの夜の会合を忘れていきつつある私はすっかりいつもの調子だ。ここ数日、私の様子を心配していた月も、だ。


 月が心配するので桜綾様も優杏ユアン様も心配していたようだったが、私はつとめてなんにもないを貫いたし、貫かせてもらったと言うべきだろうか。いや、それよりなによりも。


「引っ越す理由ってなに?」


「あら。やっぱり気づいていたのね、静」


「いや、わかんねえ方がどうかしているし」


 きさきの引っ越し。その理由は私では見当もつけられない。もしも、だ。ここ、黒亀宮こくきぐうがある地区よりひなびた場所にいくんだったら事実上の廃妃はいひ、も考えないといけない。しかしこののほほんとした反応からしてそういうのじゃないっぽい。じゃあ、なんだろうか?


 桜綾様は私のいぶかしむ様子と裏腹に私のお手入れですごく上機嫌なせいか、にこにこして軽く教えてくれた。どこにどうして引っ越すのかを。ついでにすげえいやなことも。


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