一九話 ちょっとした、でも重大問題


「やっぱり、ユエが詳しい?」


「他にどう見えるよ。アレだぞ?」


「う、うん。だからかな」


「は?」


「すっごく詳しそうだから少し怖いの」


 ああ。とんでもないねや知識を披露してきそうってことであっている? たしかにあのきつねならとんでもなく深く広く知っているな。それこそ男のせいを根こそぎ吸い取りそう。


 押し倒した筈が、実は喰われているのは男の方でした、とか普通にやってそうだ。


 怖い怖い。そりゃ、このおとなしそうなお公主ひめ様が訊くに訊きにくい筈だよなあ。


 ただ、だからって私に訊くなよ。欠片も粉一粒の知識すらないっつーの。とかやっている間にみやからでてきた侍女じじょたちが優杏ユアン様を丁重に連れて宮に入っていった。で、ほくほく顔の桜綾ヨウリン様と月が続いた。私は躊躇ためらい、戸惑って、踏みだすに踏みだせないでいる。


ジン、いらっしゃい。湯をもらいましょう」


「……ぁ、はあ」


 すると、桜綾様が戻ってきて、優しく名を呼んで手招いてくれた。私は、拳を握って一歩踏みだし、彼女の住まう黒亀宮こくきぐうに足を踏み入れていった。で、ちょこっと驚いた。


 中が意外なくらい片づけられていたからだ。もっとこう、調度品ちょうどひんや装飾の品をおさめる箪笥たんすなんかが溢れているのを想像していた。桜綾様の性格上さっぱりしているのはわからなくもないが片づきすぎでは? そうは思ったが訊くのは不躾ぶしつけなので黙っておいた。


 黙ってついていった先。きさき専用に用意があるのか湯殿ゆどのがあり、すでになみなみ湯が満たされているらしい。湯には香油こうゆも混ぜてあるのか、ほのかに薔薇そうびの香りがただよう。


 美肌効果があるんだったっけか。あと心をほぐすのにも使われる香りに似ているらしく貴族たちの間では人気の香油だ、と交易商こうえきしょうの詰め所で商人あきんどたちの茶会ちゃかい内容を聞いた。


 心をほぐす方の香りは「匂天竺葵ゼラニウム」という花のものになるだのどうのだったけど。さすがは後宮こうきゅうの、当人明言は避けてこそいるが四夫人しふじんと呼ばれる上級妃じょうきゅうひのひとり。こういう部分にこだわりがある。ってのも置いておいてどうしよ。どうしたものか。言えない。


「静? どうかして? あ、こうは嫌い?」


「いや、そう、じゃな、くて」


 もうとっとと服を脱いで支度したくを終えて優杏様と一緒に湯殿に入っていく月の背を一瞥いちべつして確信してしまった私の現状を裸の桜綾様に言ってもいいかすら迷いどころで困る。


 桜綾様はこの香がダメだったか、と訊いてくれたがそうじゃない。もっと根本こんぽん的な部分で困っているんだ、私。その私は服も脱がず、そわそわもぞもぞと落ち着きがない。


 ただいつまでもこうしているわけにいかないので、めん越しに桜綾様をうかがってから意をけっして口にした。重大なこと、今この場で最大級の大問題というやつを訴えてみる。


「……が、んだ」


「え?」


「入浴、したことが、ないんだ」


「……え?」


「水浴びはしてきたけど、湯船につかったりしたことなくて……。入り方がわかんねえんだよ。だ、だから私、入りたくないっ。第一てめえらみたいに誇れる体でもねえし」


「……」


 ぽかーん。桜綾様の美貌びぼうが間抜けたつらに。そりゃそうだ。この歳まで入浴した経験がなくて入り方すらわからない娘がいるなんて予想外だったに違いない。のうたみでもちょっとしたおけに湯をめて入ることがある、と聞いたことがある。入浴経験が私よりある。


 そして、月も当然長く生きているのだから湯につかった経験くらいあるだろう。私はあのむらでは水を引いても入ることは固く禁じられていた。水が穢れるからと言われて。


 だから、自炊じすい用に汲んだ水を沸かして水で埋めてそれに浸した手拭いで軽く拭く程度だった。月と旅をしはじめてからは川や湖なんかで水浴びをしてきたが、入浴は別だ。


 作法がわからない者が入っていいとは思えなかったのもあり入りたくない、そう明確に拒否しておいた。おまけで桜綾様、優杏様、さらには月のような体もないとつけた。


 豊満ほうまんな女性美に溢れる体の桜綾様。その血を受け継ぐ優杏様も成長途中とは思えぬいい体だし、月については適度に引き締まっているが優雅な線を持つ素晴らしい美体びたいだ。


 それに引き替え私は……やめておこう。自傷行為にほかならないくらい肉がない。


 絶壁ぜっぺき、とまではいかないが三人に比べたらげた? と言われかねない感じだ。そんなわけで拒否した私の顔は熱い。赤く火照ほてっているとわかる。それこそのぼせたよう。


 湯、というものにつかってもいないのに。かぶってもいなければ、服すら着ている現状なのにどうして私ひとりゆでられたようにならねばならない? クソ恥ずかしいっ。


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