一七話 どうやら到着してしまった模様


「これは主上しゅじょう、お早いお帰りですがなにか」


「うむ。湖に妖魚ようぎょがでたのだ」


「なっ、みな様、お怪我は!?」


「みな無事だ。とある者が救ってくれたでな。その者を特例として入れる。身分証は追って全区画に届けさせようぞ。ひとまず淑妃しゅくひもとに置いてもらうように計らっておく」


「は、ははっ」


 前の前のそのまた前、最前にある車からの声が聞こえてくる。風に乗って、私の下へ届けられた音は少しどころかかなり解しがたかった。身分証? それって貴族が持つものなのではなかったか。……。ああ、身元不詳だから保証書? 身分保証書ってことか。


 ならば納得。他には考えられない。お貴族様、特に殿上人てんじょうびとでありて天子てんしであらせられる皇帝こうてい陛下のお考えを私如きがはかれるわけもないが。嫌みっぽくなったな、これは。


 私がこっそり思っていると鋭く察したユエがふふん、と笑ってみせたので彼女的にはありで、笑えるぞ、ということらしい。私は月の忍び笑いを黙殺もくさつし、いつも通りをよそおう。


 これに考えを悟られるのは慣れっこだが別に進んで悟られたり、読まれたいわけではない。ただまあ、なんというか。なんとかのこう、というやつだ。さすがに一〇〇〇年を超えて生きているだけはある。ひとの思考に鋭敏だし、必要とあらば笑ってくれる、月。


 そんなだから、なんだかんだでこの天狐てんこを嫌いになれない私がいるというわけだ。


 そこのところも月のことなので汲んでいる。だから、しつこくその気もないクセにしきになってやろうか、と申し出て私をおちょくっている。当狐とうこは本気だと言っているが。


 信じられない。誰が信じられるものか。物心つけられた瞬間から絶望の只中ただなかにありながらそれを当たり前に受け入れざるをえなかった。誰も、なにも信じられないのは私の弱さだ。知っている。わかっている。でも、受け入れたくないし、受け入れるのが怖い。


 信じた先に待つ残酷を見たくなくて言い訳がましく「相手てき」の本性に「ほらな」と舌をだしてやる。それが傷つかないでいい方法。幼くて弱くて臆病で冷たい対処方法だ。


 でも、仕方ないだろうが? 他に思いつかなかったんだ。思いつく間もなかった。


 まわりは全部敵だった。月を中立に置いて、懐には誰も入れないことで自分を、この弱い心を守ってきた。ハオが守れない、ズタズタの心を。まわり近所のクソガキに当然のようにる親すら私にはない。許されていない。いちゃいけない。消えてしまいたいっ!


 だけど、そうした感情を覚えるたび、決まって浩と出会った夢を見た。さとすように私の中の浩が見せているんだと思うと余計つらくなった。「生きよ、ジン」と言われたようで。


 浩。あなたは立派なおおいなる鬼妖きようだと思う。思うが私という人間のもろさを、弱さを理解できないのですね。だからそうと思わず冷酷に無惨に、慈愛を持って無慈悲に「生きろ」と言ってくる。……こんなに満たされない、空っぽの私などいなくてもいいのに。


 永遠に飢えと渇きを覚えない私にとって永遠に満たされることなく生きるは痛み。


 あやかしであるあなたに理解できないのはわかる。あやかし混じりの私だからこそうっすらと理解できる。ねえ、浩。あなたにとっては孤独などともない、のでしょう?


 私がこんなにこたえる孤独と孤立しているという現実と事実と実際がどうして私をえぐるのか、あなたは理解できない。そのことを淋しく思う。いっそわかってくれたならば。


 わかった上で試練だ、とそう言ってくれたら少しは救われるかもしれない、のに。


 獅子ししが我が子をたにへ突き落とす。そんな心境おもいで私に試練を与えていると言われる方がよほど救われる。じゃなきゃただただ残酷なだけだ、浩。あなただけが私の……――。


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