一四話 世間話しつつ。花街を臨みつつ


「ジ、ン様はどのようなしきをお使いですの」


ジン。呼び捨てでいい。こいつのこともユエで呼び捨てにしてくれ。調子狂いそうだ」


「あ、はい。それで、あの水のなにかをお従えでいらっしゃるから月をさらに仕えさせられない、ということであっておりますでしょうか? それとも、なにか諸事情しょじじょうでも」


「いいやあ、なんのことはない。こやつのこれはただただ意地張っておるだけぢゃ」


 答えにくいことを訊くもんだ、この公主ひめ様。そう思ったがすかさず月が逃がしてくれた。多少言葉にとげが含まれているのは黙認もくにんしよう。私個人は月が善意ぜんいを持とうが、悪意を持とうが知ったことじゃねえし。不利益ふりえきにさえならないなら干渉かんしょうしない。いつも通り。


 優杏ユアン様は不思議そうに私と月を見比べたがおとなしく冷茶れいちゃの続きを飲んで、せっかくだからと譲られた水菓子みずがしを頬張っている。……可愛くて、綺麗で、まるで花のようだ。


 私が彼女のようになれるなんて思っていない。想像したくもないっ。気色悪いことこの上ないじゃないか。私が、ハオを宿した鬼娘がこんな、皇族こうぞくのお公主様のようにとか絶対ない。陰謀いんぼう野心やしん策略さくりゃくが渦巻く皇族こうぞくに生まれた彼女のぜいさちは穢れとえんが切れない。


 私が不穏と不吉の象徴である鬼を宿す代わりに強大な力を操れるのと同じように。


 まったく違うけどある意味同じ。幸がようなら不幸はいんになるのだろうか。男は幸を引き寄せて女は不幸を受け止めていく。陰陽いんようは正しく働かねば途端、歯車が狂っていく。


 陽が強すぎても、陰が強すぎてもダメ。それはなんとなくわかる。理屈じゃなくてなんとなく、本当にぼんやりとだけ理解できる。強すぎる片割れは双方を崩しかねない。


 対極にある力だからこそ、正しく運営されねば先に待つのは破綻はたん破滅はめつ、だろう。


 とと、がらにもなくどうでもいいことを考えて遊んでしまっていたが、茶くらい口をつけておこうか。一応、お義理でもご厚意でだしてもらったんだし。く、と含んで飲む。


 ……美味おいしい。素直に、美味びみだ、これ。舌に心地いい苦味と爽やかな渋味あとに残るのはほのかな甘味。こういうのを甘露かんろというのだろうか? もったいないので少しずつ唇を湿しめらせる程度の速度で飲んでいると車がならされた道に入ったようで揺れが激減した。


 車窓しゃそうの外を見ると華やかな街並みが広がり、客引きをする妓女ぎじょたちがそれぞれ思い思いに着飾って男を誘惑している。昼間からご盛況せいきょうだことで。話にしか聞いたことないが妓女の中には茶を一杯れさせるだけで銀の一〇〇、二〇〇取る高級妓女もいるという。


 金銭感覚がバカになりそうな価格設定だ。店を切り盛りする経営者がやり手なのかもしくは強欲なのかはたまたそれこそが適正な価格として女を価値あるとしているのか。


 最後者さいこうしゃならばこの世も捨てたもんじゃない。これまでの旅路で戦の火から逃れて惑ううちに敵地に迷い込み……いや、戦の火の手がなかろうとそういう手合いの男はいる。


 女に尊厳そんげんを見ていない、獣同然のオスが。どこにでもいる。一見華やかな花街はなまちくら鬱屈うっくつとした裏路地。女に飢えたいやしい考えの男衆が集まるむら。女をなぐさめの道具と見る。


 反吐へどがでそうだが、それもあの名君めいくんおさめるとされる国の一部で悲しいが実状だ。


 幸いなこと。私は浩が中にいる穢れ者、まわしい鬼娘とされてそうした対象にならなかった。もうひとつ、浩に感謝だ。……ま、どんなに感謝したって触れえず、話せない相手ではあるんだが。でも、感謝しているから感謝するだけだ。他の理由なんてない。


「静は花街をはじめて見るのかしら?」


「ああ、まあね」


 私が窓の外を熱心に見つつ浩に思いはせていると桜綾ヨウリン様が声をかけてきた。私の顔なんて半分しか見えないのに、よく興味津々ぶりがわかったな。それとも私は私自身が思っている以上に素直な感情を零しているのだろうか? こんなに凪いでいるというのに?


 それか、桜綾様がすごいだけだろうか。後宮こうきゅうの中でも淑妃しゅくひという地位におさまった御方おかただし。いろいろなめんで多大な努力をしてきたんだろう。そんなひと相手に私なんか。


 いやいや、比べるのは失礼。比較なんてもってのほか。相手は貴人きじんで私は平民へいみん以下であり、鬼を宿す娘。いやしく汚らわしいしず。なのに、それがきさき相手に対等な口など。


 普通は叩いていいもんじゃない。私にそれが今、許されているのは私がこのふたりの高貴こうきなる女人にょにんたちを助けたからだ。それ以外にはない。あってもらっても、私は困る。


 ――汚らわしい。鬼。穢れ者。醜い。式無しきなしめ。いろんなののしりとそしりがあったな、そういえば。もう一年が経つなんて。今、あの邑はどうなっているやら。水の引手がいなくなってもやっていけるなら結構。潰れるならご自由に。……ふっ、薄情だことだ、私も。


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