これはいったいなにの意思は作用だろう?

一二話 やる気、なくなったまま淑妃の車へ


「よかったのか、ジン?」


「どうしろってんだよ」


わらわねてきてやってもよいが」


かどが立つだろ、バカユエ


「おおっ? はじめて名を呼ばれたわ」


 だからなんだよ。そう、やさぐれる私に月はしかし、嬉しそうにして手を繫いだ。


 私はなにもする気になれなくて従って歩くだけだったが、月が段差をのぼっていくのに手を放してきたから私も段差をのぼっていった。そして、視線をあげてみてそこが馬車の中だと気づいた。広い。ひとつのへやのような広さがないか、これ。もしくは家とか。


 少なくとも私が長年住まわされたあばら家よりよほど上等なつくりと装飾がされている馬車の中、見渡すと月が座席に座っていて隣をトントン、叩いていたので腰かける。


 対面には美しい女性。黒い絹糸けんしの髪に緑の瞳がうるわしくて。その容姿は夜の闇に隠れる乾燥地帯の湖のような、引き込まれそうなくらい綺麗な目と髪だった。お化粧は水遊びだから最低限。それでも差されたべにいろどる唇は柔和にゅうわな笑みを浮かべている。まさに、だ。


 深窓の公主ひめ君のような麗しさと美貌びぼう、さらには体の方も素晴らしくていらっしゃられる。月も綺麗な体をしているが、この女性はどちらかといえば柔らかく女性美溢れる。


 豊かな胸。くびれた腰。真ん丸の尻は座ってなお形潰れることないという驚きだ。


「ねえ」


「?」


「お話してもいいかしら?」


 たずねられて断れる立場でないのでひとつあごを引いておいたらなぜか輝く笑顔を向けられた。なんだろう、はじめてだ。月以外でこんなふう無邪気に私に笑いかける存在は。


 女性は馬車に最後、足場を片づけて乗り込んできたおそらく侍女じじょ冷茶れいちゃを頼み、自身と娘はぐっしょり濡れそぼった髪の毛を手拭いで拭いていくが口をだすのがこいつだ。


「手を貸してやろうか、女」


「はい?」


「おい、月」


「なんぢゃ、静が礼儀だなんだの言うのは珍妙なことよのう。なに、別に怪しいことなぞせぬわ。ただ、きゃつらの身支度を待つのが面倒臭いので妾の火のを貸してやる」


「そうじゃねえよ。死にてえのか、てめえ」


「たわけ。わずかな間といえ衣食住せいかつを持ってくれおるのぢゃから多少は貢献こうけんせねば」


 ぐう。それを言われるとなにも言えなくなってしまうだろうが、このクソぎつねめが!


 私はこの女性、たしか桜綾ヨウリンと呼ばれていたこのひとが断ってくれればと願うのみ。


 だけどもまあ、なんというかな。


「まあ、助かりますわ。では、娘からお願いできますか? このままでは風邪をひいてしまいますもの。まさか全身濡れるとは思っておりませんでしたし、着替えもなくて」


「ふむ。話がわかる人間は好きぢゃよ」


「では」


天狐てんこの月ぢゃ。先から不機嫌なこやつ、静に仕えさせろと言うに拒否されてのう」


 おい、月。いつ、てめえが私に仕えたい、だなんて殊勝しゅしょうなこと言ったってんだよ。


 好き放題言いやがって。いいけど。不機嫌なのは違いないし、こいつのお陰であの腐ったむらをでられたのは事実。……ああ、一応助けられて今があるんだな、私にも――。


 桜綾、様が頼むと言ったので月は立ちあがって彼女の娘、たしか優杏ユアン、様といったっけかな? あの少女の髪に火の気を宿した手をすべらせはじめた。私は車中を見渡した。


 豪奢ごうしゃ、とひとくくりにできない精緻せいち細工さいく随所ずいしょに施されていて絢爛豪華けんらんごうかな中に独特の静けさというか、ただキラキラしているだけでないというか。まともな美を感じる。


 洗練せんれんされている。高貴こうき御人おひとに相応しい車中は気のせいでなければ黒い調度品ちょうどひんが目立った。黒が好き、というのも考えられるけれど、ちょっと違う気がする。例えば……。


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