九話 避暑のお貴族様。殺気。引水不良原因


先客せんきゃくよ、ちんらのことは気にするな」


「そうですよ。遠慮せず涼んでいってね」


 朕、って。これってばごくごく限られた高貴こうきも高貴な御方おかたの一人称じゃなかった?


 ユエは手拭いであらかた水気を取ったあとは手のひらに火のを宿して軽く撫でて乾かしていく。こいつの図太さを、私はちょっとだけ羨ましく思い、見習うべきだろうか?


 高貴なお歴々れきれきだと月こそわかっているだろうにそれの前であやかしの片鱗を見せるなんてかなりどうかしている。……。月が私のあやかし、しきに見えれば全然いいんだが。


 この高慢こうまんそうな美女ぎつねが私なんかに従っていると考える方が頭がまれな方向に変だ。


 だけど、新しく来た者たちは私たちに遠慮するな、と示してあちら様こそこちらを気にしたようになく湖遊びをはじめてしまわれた。なんか、もう私たちが場違いな感じ。


 最高級のたん縫製ほうせいされた衣。略式りゃくしきにしてはあったが、見るからにきらびやかであるそれを着こなせる辺りそんじょそこらの貴族や豪商ごうしょうなんかじゃなさそう。車を二番に降りてきたのは黒髪緑瞳りょくどうの少女を連れた同じ色を持つ女性ですそをからげても品よく纏めている。


 他にも車それぞれから女性たちが降りてきて護衛ごえい、と思しき者たちと共に湖に寄ってきてそれぞれに避暑ひしょをはじめる。唯一少女を連れた女性は我が子と準備運動をして一緒に湖の浅瀬あさせに入っていった。ちゃぷ、と水が音を立てて親子で楽しそうに遊びはじめる。


 私と月のそばには最初、声をかけてきた男女らが近寄ってきて、私の顔、鬼をしたこの半面はんめんを見て驚いた表情となった。円扇えんせんに隠れていたが目が驚愕きょうがくに見開かれている。


 まあ、ね。貴族様が顔を面で隠す娘っ子なんて見るわけないし。当たり前、かな?


 そう納得して私はそっぽを向くのもなんなので湖に顔を向け、立ちあがった。なになんだこれ、急にこんな濃い妖気がどうして。それは月も思ったのか私の前にでてくる。


 男女は私たちが急に身構えた方にびっくりした様子でいるが、構えない。この感じすごくいやだ。まるで生餌いきえを見つけたケダモノがだす殺気、だもの。でも、そんなもの。


 いったいどこに隠れているんだ? だがそこはさすがに本物。月が見つけて叫ぶ。


「アレぢゃ、ジン! あの親子を狙いおる!」


「は? その方ら、なにを言っ」


「黙りおれ! さがるのぢゃ!」


 月の剣幕けんまくされて男女が一歩足を退いた。ほぼ同時に「それ」が姿を現した。なんてでかさ。この湖のぬしあやかしだろうか。見た目はバカでかいこいっぽくはあるが……。


 悲鳴。方々ほうぼうから放たれた悲鳴うるせえ。そばで警護していた者たちが水から飛びでた巨魚きょぎょに驚くも式を呼びだそうとした。が、一番近かった者がやられた。ひげに貫かれた男から血が噴出。湖の一角を赤く染めあげる。少女が驚いて固まったらば尾が襲いかかる。


 伸ばされた母の手の先、彼女は湖の深い場所に吹き飛ばされて落ちる。母たる女性は我がを助けにいこうとしているが、そこに襲来しゅうらいするのは巨魚の大口おおぐち。緑の瞳に浮かぶ絶望と恐怖。新しい血が噴きだす。横あいから巨魚のえらを串刺しにしたのは水の大槍鋒だいそうほう


 そのやりが繫がるのは私のそばの水だ。湖の水を槍にして巨魚を串刺しにしたのだ。


 巨魚あやかしの巨大な体が貫かれた勢いのままに地面に落ちた。女性はその場でへたり込んだが、すぐに娘を案じて立ちあがろうとして転ぶ。その先の光景は異質そのものだっただろうな。湖の水があやしく隆起りゅうき。大きな鬼の手が彼女をすくいあげていたからだ。


 きょとん、とぽかんとしたつらが揃った湖で私だけが手を動かして鬼の手をそっと移動させ彼女の体を預かり、呼吸を確認。はたかれた衝撃で気絶し、水を飲んでいなかった。


 そっと、頬を張ってやると叩かれたのと水に沈んだ恐怖あとは鬼の面の私に驚いてぐすぐす、と泣きだした。月が迷惑そうに耳を塞ぎ、見苦しそうにするので私は彼女を支えて水からあがってきた母親にたくして緑の瞳を真ん丸くしている彼女にひとつ、頷いた。


 そして、問題になる、される前に離れようと思ったのだが、月がいない。どこいきやがったあの狐!? そう思っていると例の巨魚のそばにしゃがんでいたので引っ張ったがすっごく抵抗された。なんで? とか疑問視したのは彼女の口元を見る前までだった。


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