二話 大凶作。贄に生まれた私の一粒幸


 私が生まれたのは北領ほくりょうのとても辺鄙へんぴな場所で周囲を山野さんやに囲まれた自然豊かな地。


 でも、私が生まれた年、むらは災厄に見舞われて大変だったんだ、と教えられた。三年に渡る日照にっしょう不足で、いわゆる冷害れいがいで。これで米をはじめ穀物が育たなかったのが発端ほったん


 邑は決断を迫られた。口減くちべらしか、一縷いちるの望みで山ノ神に慈悲を願って実りをいただく代わりに生贄いけにえを置くか。大人たちの会議は七日七晩続いた。山には恐ろしいあやかしが住まい、無事食料をえられる保証もない。だが、口減らしをして未来が昏くなるのは。


 そして結局その会議の日々の最中、産み落とされた私を生贄にすることを選んだ。


 へその緒を切られて間もない、本当に生まれたばっかりの私は名を与えられることさえなく山の奥深くにある神を祀る祠の前に放置され、大人たちは念入りに祈って去った。


「ふええ、ふええぇ……っ」


 しばらくは私が泣く声がしていたそうだ。だが、大人たちは山ノ神が私に気づいてあやしてくださるだろうと思い込んで山の実りを採取した。邑が生きるには充分な量を。


 そして、私の泣き声を背にさっさと山をおりた。これ以上の長居は山ノ神の怒りの気に触れて、お怒りに障ってしまうから、と。……私のことなんて、どうでもよかった。


「うえええ、うえええぇんっ!」


「ずいぶんと、にぎやかだな」


「ふえ、え、えっええぇええんん!」


「……これは、なんの真似だろうか」


 その時の記憶なんてありっこない筈だが、いやに鮮明な夢をずっと見続ける、私。


 深く暗い山の奥で腹に響く声がした。その姿まではくっきり見えないが男の声だというのは、かろうじてわかった。声はひたすらいぶかっていたのを覚えている。なんの真似。


 そりゃあそうだな。生後間もない赤子あかごを山奥に放置するなど正気の沙汰さたじゃない。


 でも、私はそのひとが、「彼」が人間じゃないとわかったのか鋭敏えいびんに察したのか激しく泣いて泣いて泣いて、疲れたのか徐々に赤子の声はひそめられていって代わりに彼が喋ったのが聞こえてきた。呆れ返った、それでいて同時に同情する。そういう声だった。


「大凶作だ、とは聞いていたが」


「ふ、ふ……ぇ、えぇぇ」


「まさか、このような赤子をにえにするとは」


「……ぇ、うぇ」


「ああ、泣くでない。無駄に余計に不要に消耗しょうもうする。ややよ、ぬしは生きたいか?」


 ああ、そう。この時、私は願えばよかったんだと夢に見るたび思う。「生きたくないし生まれたくなかった。一思ひとおもいに死なせてほしい」……と。そう願えればよかったのに。


 でも、人間という生き物の本能で心の奥底が死を恐れたのだろう。だからこそ「彼」は私などに同情と憐憫れんびんでそっと手を伸ばしてきた。私の小さな手に触れる大きな、手。


「生きたいか。なれば、このハオを宿せ」


 私ははじめてこの記憶の夢を見た時、この瞬間驚いて目が覚めた。彼を、「ハオ」を宿せとそう言って、彼は赤子に確認を取る無駄をせず私の否応いやおうわきに入ってきたのだ。


 巨大な気が自身の中に取り込まれていくのを夢に感じた。嫌悪は不思議となかったが違和感はあった、と思う。そしてのちに知ったが、彼は、浩という名の彼はその山に住まう古きあやかしで、膨大な妖気を備えた鬼妖きようだったのだ。名のまま、彼は水鬼すいきだそう。


 彼と一心同体となり、私は生まれてはじめての乳すらもらえていなかったのに、その瞬間から空腹だとか渇きを覚えなくなった。浩の巨大にすぎる妖気が私の命を繫いだ。


 その後、三月みつき後のことだ。皇都こうとからようやく支援の物資が届けられたのを機に大人たちが私を「迎え」に来たわけだが、そこに赤子はいなかった。いたのは幼子の歳まで浩の妖気で成長した私。よわいは見た目から三つといったところ。そう水面みなもの鏡を見て思った。


 大人たちは困惑し、皇都から物資と一緒に祈禱きとうに来ていた祈禱師に頼んでこのこどもはいったい「なに」だろう、と訊ねた。私はなにも言わなかった。夢夢ゆめゆめに見ていた浩。


 彼は私に名すらないことを憐れみ、「ジン」を名乗れと名までくれた。命だけでなく名をつけた。私を私たらしめる音を贈った。祈禱師の老人は私を一目見てぎょっとした。名の通り、静かな凍てつく表情の私に宿る妖気におきなの体は芯から震えていた記憶がある。


「こ、この女童めわらべは鬼妖を宿しておる……っ」


「き、よう? 鬼を!?」


「なぜ、なんだってそんなものが」


 いや、てめえらが言うな。私を祠に捨てたてめえらがなにを言う。浩が私を憐れんで境遇きょうぐうを悲しみ、たしかに鬼らしからぬ慈しみの心で私と一体になったのはそうだけど。


 祈禱師のじじいは私に触れるのを恐れていたが一枚の銅鏡どうきょうを差しだした。爺が言うにそいつは「妖映鏡ようえいきょう」という道具だそうだ。私はなにひとつ感じぬ静かな水面のような心地でよーえーきょー、とやらを覗き込んでそこではじめて浩と対面した。私の背にいる、浩。


 そして、妖映鏡の中を見た祈禱師は腰を抜かした。そこにうつっている浩を見て悲鳴をあげた、が正しい。そのあと小耳で聞くに浩はかなり有名高名な大鬼妖だいきようらしかった。


 鏡にうつったその姿は私の表情とは違って少々荒々しくなのに沈着ちんちゃく雰囲気ふんいきであったなあ。だがいつも夢に見る彼はひたすら優しかった。少なくとも邑の人間たちよりか。


 邑の人間は再び話しあいの場をもうけた。祈禱師の老人も加わって。こんな恐ろしい鬼妖を宿したこどもを放っぽっておいてあとあと水に関す災害が起こってはことだと。


 議題は簡単。私の処遇について。私は話しあいの場に同席させられたが、口を利いたのは唯一、浩がつけてくれた名を口にした時だけであとは空気のように扱われていた。


 静と名づけられた私はこの祈禱師だけではめっせないとまずはじめに言われた。浩が大鬼妖の中でもずば抜けて強く、賢く、慈悲深い鬼だったから。彼は私を守ってくれた。


 いや、彼「だけが」私を守ってくれた。他の人間は私を山ノ神の気を引く為に捨てたこちらこそ鬼畜きちく共である。死にゆくだけの私に浩は命をくれた。名をくれた。……でも、けっして幸せをくれはしなかった。こればかりは私が自分で掴め、と突き放すように。


 それは彼なりの愛情だったのであろう。あくまでも人間でれ、と示してくれた。


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