とあるふゆの日

@moyokohuadou

今日という日がきて心の底から嬉しいな

私はいちごみるくが好きだ。コンビニやスーパーで売られているいちごみるくではなく、果物の苺に牛乳と砂糖をかけて食べる方のいちごみるくだ。スプーンの裏で苺を潰し、潰れる苺の感触と苺の果汁が、滲み出てくるのを見つめるのも好きなのだ。雪がしんしんと降る室内で暖炉の火がチラチラ燃えるのを眺める。今と季節は反対の小学生の夏の頃、友達と学校のプールで午後めいっぱい遊んで着替えて帰る頃の心地よいくたびれた心地。大人になった今は、子供の頃のようにプールで遊ぶことはないけれど、あの時の程よい疲れは今でも思い出すことができる。こうして苺を潰していちごみるくを作る時も子供の頃同じことをして、その時の記憶がふっと呼び覚まされることがある。季節の変わり目で空気の匂いが変わったのを感じるのも昔から変わりなくその時がくると同じように感じることができるのだ。私は、このような変わらず思い出したり、感じることができることを幾つ自分は持ちながら生きることが出来るだろうかとふと考えた。

プールに入って遊んだ友達は、もう1人を除いて疎遠になってしまった。その友達は、そうした昔の記憶を大切に思い起こすのと同じように大切にしている。彼女の家で焼いてきた焼き芋を一緒に食べたり、ぶらぶら散歩しながら猫の写真をそれぞれ撮りながらまたぶらぶら散歩したり。2人の関係は、子供の頃遊んでいたのとあまり変わりはない。それが私にはとても誇らしいことと思っている。

2人ともまだ結婚してないけれど、変わらずこのままいられるだろうか?それとも、この先、お互い相手を見つけて変わっていった方がいいのかな?同性同士でこんなに長く仲良くしている人は彼女だけだから、彼女が離れていってしまうのはあまり想像がつかない。自分は時々こんなことを考えるが、彼女に口に出して伝えたことはない。彼女も同じようなことを考えるのだろうか?この考えに正しい結論があるとは感じないが、1つ私は行動に出てみようと思っている。彼女とも行ったことがある保護猫カフェで最近入った黒い猫。この子はなんだか彼女にも良く懐くし、私も彼女とどことなくこの黒猫が似ていると思っていた。だから、今日からこの子は私の家族になってもらおう。彼女がこの先私とどんな関係でいるかは分からないけれど、今はこの子も含めて彼女と家で会って遊べたらそれで私は更に感じたことを忘れず生きていける気がする。よろしくね、てんちゃん。

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