雨の日だって

コマチ

第1話

 よく雨の降る日だった。こんな冬のド真ん中に、雪ではなく大雨。おかげで気温は氷点下になる事も無さそうだが、明日の朝は凍結に注意しないとな、と窓越しに降り注ぐ大粒の風景をぼぅ、と眺めた。


「今日はあのお店に行こうと思っていたのに」


 誰に聞かれることも無い独り言を零して、お気に入りの珈琲豆をミルでゴリゴリ回してゆく。馨しい香りに気分は少し明るくなって、ゴリゴリし終えた粉末を瓶に詰める。

 時計を見ると午後2時で、まだまだ一日は長いようだ。


 うだうだとクッキーを貪っていた。やはり予定通り大雨でも行ってみるか、どうしようか。

 窓外をチラ、と見て、何度も悩む。うーん、と本日何度目かの天井を仰ぎ見た。

  ピロピロ

 スマホが鳴った。仰向けのまま画面のロックを外すと「あのお店」の公式サイトの新情報だった。


「本日は大雨ですが、私はは元気に営業中です!」


 ふふ、と笑ってしまう。

 やっぱり行こう、と思うのだ。


 濡れても良い靴を履き、ボトムを履き、暖かいニットを着て、ふわふわのニット帽を被った。大きめの傘を手に持ってアパートを降りる。雨が強いだけで風はない。ありがたい事だ。


 雨のなかゆっくりと歩くこと十五分。


「ほんとにやってる」


 そりゃ公式サイトで営業中と発信されてるのだから、それはそうなのだが。

 カラン、カラ。ドアベルを鳴らして店内に入ると、穏やかな空気に満ちていた。


「いらっしゃいませ」


 優しい女性店長が私の顔を見て微笑んだ。


「こんにちは」

「雨すごいでしょう、いつもので良かったかしら」

「大雨ですよ。はい、おまかせで」


 今年になって何度ここに来ているのだが、数える気もしないけれどよく来るお店だ。

 この優しい店長さんはとても美人で、なのに可憐でいて、最初来た時はドキドキしたものだ。それでいて気さくなので、カウンターに初めて座った時、店長さんから話しかけてくれた。


「いつも来てくれるのね」


 そんな一言から。




「ねぇ店長さん」

「どうしたの?」


 洒落たコーヒーカップに満ちた本日のブレンドを飲んでいると、ふとした疑問が浮かんだ。


「喫茶店とカフェって何が違うんですか?」

「そうね、色々と人によって捉え方とか、看板にどう書くか、にもよるんだけどね。

 ざっくり言うと、火を使った調理が出来るか出来ないか。喫茶店は火が使えないのよ」

「……たしかに。喫茶店ってパスタとかオムライスとか、無いですね」

「でしょう? そういう事よ」


 なるほど、と頷きながらコーヒーにミルクを足す。最初はブラック、途中でミルク、最後の方にお砂糖を足すのが私流。


「ここは、どうしてこの店名に?」

「それがねぇ、付けたの私じゃないのよ」

「あれ、店長さんじゃないんですか?」

「ウン、私の主人が付けたの。アメリカ人だから」

「……? それとどう関係が」

「あのね、アメリカ英語とイギリス英語ってあるでしょ?」

「はい、何となくは。違いは分からないんですけど」

「そう、それよ。その分かりやすい例が、コーヒーって発音か、カフィって発音か。カフィって言うと英語齧りって感じであんまり気持ちよくないんだけど、まぁ、カフェね。そうそう、それでね、主人はアメリカ人だから、コーヒーショップだろ? って当たり前みたいな顔をしたの。だから、ここはコーヒーショップ乾」


 そういう事でしたか、と大きく頷いたら店長さんは少し恥ずかしそうに笑った。


「ここも私が店長してるけど、オーナーは主人なのよ」


 そう話していると、ドアベルがまたカラン、カラと鳴った。


「言ってると帰ってきたわ」


 店長さんは表情を崩して手を振った。その先を見ると、背の高い、ブロンドに青い瞳の、件のご主人が帰ってきたのだった。


「……お客サン?」

「オープン中だもの」


 店長さんはそこだけを日本語で言って、その後は英語で何かを話していた。

 何となく、「仕事は終わったの?」「終わったよ、雨だから今日はもう帰っていいって」だとか、そんな感じだった。


「……ああ、彼ね、デザイナーなの。オートクチュールのお洋服を作る人なのよ」

「オートクチュール」

「オーダーメイドって感じよ」

「ああ、なるほど。凄いですね」

「うふふ、そうなのよ。あ、そうそう。Dear」

「Uh?」


 店長さんはレジ横に向かって、小ぶりのダンボールを手渡した。指をさして何か話していると、ご主人は分かりやすく喜んだ顔をして店長さんにチークキスをしていた。おお、海外文化圏、と目を大きくしてしまった。


「OK,Thanks darling」


 ダーリンって女の人相手でも使うのね、と新たな知識を蓄えた。そしてご主人は私にヒラヒラ手を振って、二階にある自宅へと去っていった。


「素敵でしょ?」

「はい、とても格好いい人です」

「うふふ。あぁさっきの荷物ね、彼の仕事道具が届いたから。新しい鋏が欲しい、持ち手が黒いやつがいい、ってきかなくて。私の瞳の色のやつがいい、って」

「愛されてるんですね、すごく素敵」

「ありがとう、私も彼に感化されちゃって」


 店長さんはウフウフ笑った。幸せそうな夫婦だな、なんて思う。私自身にそういう願望はないけれど。

 そう思って釣られてニマニマしていると、上からダダダッと駆け下りてくる音。その扉の方を見ていたらご主人が勢いよく飛び出してきた。


「Sweetie!!」


 私は首をかしげ、店長さんも少し首をかしげてご主人を見る。早口の英語がペラペラ飛び出して、流石に何を言っているか分からなかった。そこまで英語は得意じゃないので。

 矢継ぎ早に何か話して、店長さんが何かに驚いてから、はぁ、とため息をついた。その後仕方なさそうに笑って、ご主人の鼻をつつく。子供や犬の鼻をつつくみたいに、ちょんちょん、と。

 ご主人はどうやら何かに怒っていたみたいだったが、店長さん、愛しの奥さんの鼻ちょんちょんに簡単に絆されてクシャッとカッコよく笑っていた。


「鋏、色が違ったんですって。ダーリンの瞳じゃない! って」


 店長さんは仕方なさそうに、でも凄く嬉しそうに笑って、サービスよ、と手作りのケーキを出してくれた。

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雨の日だって コマチ @machimachi

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