我、人生とは何たるかを得たり

秋田千花

アメ玉とガラス瓶

 結論を抱いた瞬間、緩やかな夜風にも似た恐怖が腹を撫でた。この飴玉の、行末を悟ったからだ。


          ・・・


 私は常々、人生とは何に例えたものかと考える。


 人生。

 ある人は鉄骨を独りで渡り続けるようなものと、またある人は回送する電車の如しと揶揄する、つまりは結論が出ようもない命題を、私は誰に言われるまでもなく抱え続けている。


 …と、まさに仰々しく語るわけだが、実態は甚だしく幼稚極まりなく、意味はまるでない。

 日常で目に映る物事を頭の中でこねくり回しては唸り声を上げる。そうして疲れてお腹が空いた頃に手元に残る結論を掲げ、

 「我、人生とは何たるかを得たり」

 と、さも知見を得た様な面持ちで眠りにつくのだ。

 ある日は「人生とは手の触れる範囲の空間である」と結論づけ、翌日には「やはり人生とは道路のように繋がるものなのだ」と、なんともまぁ要領を得ない言い分でひっくり返してしまうことも"ざら"である。


          ・・・


 さて、今でこそ斯様に成り果てた私だが、近日の醜態に至る"原因"と言える経緯は存在する訳で。


 そう、あれは大学入学初日のことだった。

 いいや、志望する高校を変更したあの時だろう。

 いやいや、やはり小学校の頃の"あれ"に違いない。


 …と、色々と遡ってはあれこれと思いを馳せるばかりだが、言ってしまえば「楽な方に流れた」という一言に尽きる。

 あと少しだけ努力を重ねれば結果が変わると認識してようと、過去の私にとっての"それ"は耐え難き"苦痛"だった…という訳でもなく、実際はほんのり面倒くさかっただけなのだ。

 夏休みの宿題では31日の晩御飯を食べた後にやる気を出した挙句に「まぁ素直にやってないと言えば待ってもらえるだろう」と早くに延長戦の覚悟を決める分際のくせ夜中には明日の事態を想像しては観念する。

 寝られないならせめて手を動かせば良いものを。


 小中高と年月を重ねてなお、この症状は悪化の一途を辿っていった。

 『10で神童15で天才20過ぎればただの人』とはよく言ったものであり、10の時点で人っぽい天才だった私は今の時分にて"どこに出しても恥ずかしいモンスター"に成長したのである。

 …思えば、やはりことわざには学ぶべき点が多い。そういった意味では人生とはことわざであると言えるのかもしれない。うん。



 我、人生とは何たるかを得たり。


          ・・・


 さて、私の手元におわしますは両手いっぱいのガラス瓶に詰め込まれたアメ玉達。

 家族の誕生日プレゼント用に通販サイトで購入したのだが、「流石に多い」と突っぱねられた珠玉の一品である。


 …言いたいことは理解できるが最後までお付き合いいただきたい。せっかくここまで来た仲じゃないか。



          ・・・


 両手で包めるかどうかの大きな瓶にこれでもかと投げ入れられた宝石達。

 一つ舐めれば芯まで蕩ける甘く優しいメロン味

 二つ舐めればよだれ溢れて酸味の轟くレモン味

 次は何かと手を擦り合わせ、さりとて残りは約半分。

 …なんだか変だ、この味さっきも食べたような。


 次第に手が止まり、やっと分かった。

 どうやらここには特定の味しか存在しないらしい。

 なんてことだ、半分食べ切るまで気付かないとは。


 いやしかし、これでは食べ飽きてしまうんじゃあないか?しきりに周囲を見るが、アメ玉を弄る手が止まる様子は一向に見られない。いや多少は居るか。


 なぜ続けられるんだ?

 と、隣を覗けば一目瞭然。


 雲間を裂いて煌めくが如く積まれた宝石の虹色。

 その色合いが、その種類が、私のガラス瓶には見られないものばかりなのである。


 そんな味、私は知らない。

 なにゆえそんなに色々と持っているのか。

 あれか、ギフテッドってやつか、天才ってやつか。


 そんなことを小一時間ほど問い詰めたいが迷惑だ、

 と思い込んでは周りをそぅっと見回すと答えはすぐに飛び込んでくる。


 皆一様に各々のガラス瓶を持ち寄ってはアメ玉を交換し合っているではないか。

 なるほど道理だ。

 一人一人の味は少なかろうとも、大勢と共有すればこそ、それは無数のステンドグラスとなり得るのだ。

 隣の彼/彼女も恐らくは同様に、どこかの誰かから貰ってきたのだろう。


 では私は?

 私は誰と分け合えばよいのだろうか? 


          ・・・


 結論を抱いた瞬間、緩やかな夜風にも似た恐怖が腹を撫でた。この飴玉の、行末を悟ったからだ。

 今後、私のガラス瓶がこれ以上に彩りを増すことはあり得ないのだろう。よしんば増えることもない。


 何故私のガラス瓶には同じ味しかない!

 今まで何を、何をしてきたのだ!私は!


 何もしてこなかったのである。

 正確に述べると、眼前に転がり込んだ機会からも目を背け、頑なでありつづけていたのだ。

 厳しくも暖かい現実に背を向け、楽な方へと転がり落ち続けた私にどうして彩りが生まれようか。

 開かれていた瓶に蓋をかけ、うずくまる様はまるで寝小便を隠す子供そのままであったに違いない。

 斯様な分際で、なぜ嘆くことができようか。


          ・・・


 それでも私は見知ったアメ玉を舐め続ける。

 「実はまだ知らない味が隠れている」

 「そうに違いない、食べ進めれば分かるはず」

 脳裏に漂う"正解"を払いのけ、私は蓋を閉ざし続ける。


 瓶の底に爪先が届いた時、私はようやく手を止めるのだろう。止めることができるのだろう。


 アメ玉を探す手で、ガラス瓶を叩き割るのだから。


          ・・・


 人生とはアメ玉とガラス瓶のようなものである


 我、人生とは何たるかを得たり。

           (終)

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