この小説にはバッファローによる暴力シーンやバッファローによるグロテスクな表現が含まれておりません?

ペンアブ

織姫は水牛の夢を見るか?





だから真個ほんとの悪魔というものは誰の眼にも止まらないで存在しているのだ


─────夢野久作『鉄鎚』





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「………………」


「………………」


 俺は今、地獄にいた。


 六畳の和室。恐らく応接間として使っているのであろう、部屋の中心に卓袱台が置かれただけで、他にある調度品といえば、目下に使われている座布団二枚のみ。


 俺が一枚、お義母かあさんがもう一枚を使っている。

 卓袱台を挟んだ二人の間には沈黙だけが流れていた。


 本来であれば今この空間に、もう一人、俺の愛すべき恋人である閻魔天えんまてんかがみ──が居合わせているはずなのだが、しかし、今朝スマートフォンを見てみると『はずせない仕事が入っちゃって、申し訳ないけど今日は一人でお願い』というあまりにもそっけないメールが送られていたので、俺は渋々ひとりでこの地獄におもむいたのだ。


 俺一人なのにどうして来てしまったのだろうか。

 止まぬ後悔をよそに、俺は場の沈黙を破壊するべくかばんの中から手土産を取り出した。


「つまらないものですが、こちら……」


みずつよしさん」


 突然名前を呼ばれた俺は動きを止める。

 お義母さんはおごそかな表情で滔々と語り始めた。


「わかっています。貴方あなたが今日、娘のことで結婚挨拶にいらしたのは承知の上ですよ。娘のドタキャンがあったにも関わらず、今日ここまでいらっしゃった胆力は素晴らしいと思います」


 沈黙が苦しかっただけに、いの一番に褒めらたことは喜ばしいけれど。

 その割には、雲行きが怪しいような。

 俺はひたいの汗をぬぐう。


「しかし、剛さん。私としては貴方を家族として迎え入れることを──閻魔天家の末席に加えることを、許すわけにはいかないのです」


「そ、そんな……」


 ────まさかの先出しジャンケン。


『娘さんを俺にください』という常套句を言ってみたい気持ちもあったのだが、そんな流れになる前に見事完封されてしまった。俺の心は絶望し、落胆に暮れる。


 やはり挨拶は二人で行くべきだったのだろうか……? たしかに、単騎で挑む結婚挨拶なんて聞いたことがないよな……とは今朝の内に思っていたけれど。こういうのって大抵は紹介制で、一見さんお断りだよな。あーあ……初手は失敗か…………。


 きっと、次は帰宅を促されるだろうと予想していたので、これから食い下がる準備をしていた俺は、その言葉に面を食らった。



「これ以上、家系にバッファローの血を介在させてはならないのです」



 ……ば、バッファロー?


 唐突な、意味のわからない単語から話の流れが変わったことを感じ取る。

 ひとまず俺は答えてみた。


「えっと……野球のことでしたら、自分は特に贔屓目ひいきめで見てるチームはないので……」

「いえ、近鉄バッファローズの話ではなく────ウシ科アジアスイギュウ属。ちまたではバイソンと混同されがちな、あのバッファローです」


「はあ……」


 はきはきとした声で急によくわからない話題転換を始めたお義母さん。



「ほら、聞いたことがありませんか? 生ける公害、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ」



「……なんて??」


 なんか今馬鹿みたいな台詞が聞こえたな。


「ニュースなんかでよく取り沙汰されているじゃないですか。今はまだ海外での問題として収まっていますけど、日本でもテロ対策としてバッファロー税関が厳しくなったりしているらしいですよ」


「すみません……ニュースはあまり見ないので」


 ばつが悪くなり、俺は頭を掻く。


「それはそれで、ちょっと心配になる情報ですけれど……まあともかく、私の家系にこれ以上バッファローの血を混ぜられませんので、娘との縁談はなかったことに──」

「待ってください、その……バッファローの血を混ぜられないっていうのは?」


 社会情勢にうとい自分をかえりみる気持ちで、素朴な疑問を口にしてみた。


「それは勿論、全てを破壊しながら突き進むバッファローなんてものを、私の娘に近付けさせることはできないからですよ」

「いや、俺はバッファローじゃないですけど……」


 自分で言って笑いそうになるも、なんとかこらえる。


「貴方は知らないのかもしれませんが…………最近、流行ってるんですよ、バッファロー転勤族」

「……何なんですか、その、暴走族がひねり出したようなダサいネーミングの流行は」


「全てを破壊しながら突き進むバッファローに憧れた不良達の間で巻き起こっている、一大ムーブメントです」

「そ、そうなんですか……」

「剛さん、娘にヤブサメという兄がいることはご存知ですか?」


「え? 彼女からはひとりっ子だと聞いてるんですが……」


 またもや唐突な質問に辟易へきえきとする。


「その兄はバッファロー転勤族です」


「は、はあ……?」


 実は彼女には兄がいて、その兄はバッファロー転勤族? 意味がわからない。混乱で頭が痛くなりそうだ。


「そう、私の息子は偶然にもウサイン・ボルト並みに足が速かったばかりに……適合してしまったんですよ」


 適合。

 まるで適合できない人がいるみたいな言い方だが。


「バッファローになれなかった者は、現地の民族に捕縛され食われます」


 ……やっと事の重大さがわかってきたかもしれない。


「それでいうと……バッファロー転勤族になったお兄さんは、まだご存命なんですよね。今は一体どうなっているんです?」

「最近はアメリカの荒野を走りながら、群れの中にいる雌牛めうしに恋しているみたいです」


 みたいですって……まるで連絡を取り合ってるみたいな言い方だが。


「昨日から娘をアメリカに向かわせているので、息子の近況がわかるんですよ」

「ちょ、ちょっと待ってください向かわせてるって──」

「ほら」


 お義母さんはスマートフォンを取り出し、俺に向けて画面を見せる。


 そこには、『バッファローなう』という文面と共に、彼女──閻魔天かがみの自撮り写真が添付されていた。彼女の頭にはつのが生えていた。背景に無数のバッファローが映り込んでいる。


 満面の笑顔でピースサインをしている彼女。

 俺はその写真から目を逸らした。


「かがみ……なんでだよ……? この前、『まだ海の外には行ったことないから、初めての海外旅行は一緒に行こうね』って言ってたのに……あの言葉は嘘だったのか……?」


 目頭めがしらを抑える俺。


「新婚旅行の計画を立てるどころか、娘のことを下の名前で呼びくさるなんて……もうそんな段階まで進んでいるというのね、突き進んでいるというのね……」


 爪を噛みながら、うとましいようにそんなことをつぶやく。


「そんなこと今は関係ないでしょう……!」


 俺は座布団から立ち上がり、お義母さんに向かって叫ぶ。


「お義母さん、貴方が彼女をアメリカに行かせたと言いましたね! 娘にバッファローを近付けたくないと自分で言ってたじゃありませんか?!」


「それとこれとは関係ありません」


「それは詭弁だ!」


「それに娘はブラコンですから、私が言わなくても渡米していたと思います」


「そ、そんな…………」


 俺は足元の座布団に崩れ落ちた。


 彼女の実家で悲惨な思いをしている成人男性を目前もくぜんにして、さすがのお義母さんも同情心が芽生めばえたのか、静かにだまる。


 当の俺も、彼女の実家に来てまで何をしているのだろうかと気がふさいでうずくまっていた。


 沈黙。

 しかし、それでも。

 このまま逃げ帰るわけにはいかない。

 俺はおもむろに立ち上がり、



 ────沈黙を破壊する。



「俺はバッファローじゃない…………俺は、かがみの恋人です」


「自分がバッファローじゃないと、果たして証明できますか?」


 なんだそのふざけた悪魔の証明は……。

 でも──悪魔は現実に存在していないが、バッファローは実在する。


「俺のこの姿を見てくださいよ、これが全てを破壊するようなけものに見えますか?」


 胸を張って宣言してみたものの、お義母さんの表情は変わらない。


「……貴方、娘から聞いた話だと市役所につとめているらしいけれど」


「? そうですけど、そんなことは今──」


 俺の言葉を遮るように、お義母さんは言った。



?」



「……………………………………………………………………はあ?」


 いよいよ本格的に意味不明な展開になってきたけれど。

 絶対に傍点付きで言うような台詞じゃないことだけはわかる。


「バッファローかもしれない人間には興味ありません」


 それならむしろ歓迎してくれそうなのに……!!


「──なるほど、あくまでも俺が破壊者バッファローだと主張し続けたいわけですか。悪魔だけに。しかし、その主張が通るのなら──『』──それも否定できないでしょう!!」


「ぜ、絶対に傍点付きで言うような台詞じゃない……!! …………ともあれ……なるほど、潜伏バッファローである可能性について語れば相身互いになってしまうようですね…………」


「そうです。人間、誰もがバッファローである可能性があるからこそ、不幸を破壊することができる。だから彼女に降りかかる不幸も、この俺が破壊────」


「自分の恋人が勝手にアメリカへ行くことも止められないような軟弱者に、よくそんなことが言えますねえ?」

「うぐっ……」


(無断で渡米する彼女にも非があるだろうという意見を除けば)それは、たしかに正論だった。

 決め台詞みたいなことを言って議論を終わらせようという画策かくさくが、お義母さんのそんな発言によって破壊される。


「くそ……どうしても結婚を認めてくれないというのか……」

 すべなし。もう何をすればいいのかわからなくなってしまった俺は卓袱台に突っ伏す。



「どうすれば……どうすれば結婚を許してもらえますか……? 腹踊りの動きでライオンから逃げつつ燃える火の輪をくぐって三点倒立すれば許してもらえますか……?」


「誰がなんと言っても、決して貴方と娘との結婚を認めることはできません。我が家に野蛮な血が混ざってしまうようなことがあれば、死んだ夫に顔向けできないのですから」


 お義母さんはそう言って俯く。


「夫も、晩年は息子がバッファローになったことを悔いていました。…………もしも、息子がこの家に帰ってきてくれれば──私もバッファローを憎まなくてもいいんだけれど」


 もっともそんな不可能、私には破壊できませんが。

 お義母さんは自嘲するように微笑んだ。




 もう……諦めるしかないのか、なんて思っていた。

 正直なところ、この家族とは今後関わらないほうが良さそうだなあと、思い始めていたんだけれど。

 今はそんな逃げ腰を──壊された気分だ。


 お義母さんは覚悟を持っている。

 絶対的にバッファローを憎む覚悟を。

 ならば俺も相応のものを見せなければ。

 ──覚悟を。


 めるときもすこやかなるときも、っていうアレ。

 ただの様式美だとしか認識していなかったけど、やっと意味がわかったかもしれない。


「共に生きることをちかうのが──結婚、か」


 俺はスマートフォンを取り出して、飛行機の予約を取る。行き先は言わずもがな。

 職場に連絡を取って、明日からの予定を破壊する。

 めちゃくちゃに怒られたし、有給も使えなかった。



 全てを破壊することなんてできないし、群れるといえば過言だけれど。



 俺はつがいになるために──突き進むことにした。











 突き進むことにした直後、部屋のふすまが破壊された。

 

 今ここに、どうしてかわからないけれど、襖を突き破ってバッファローが現れた。


 そんなバッファローの上に二人、上裸の男女が乗っている。女の方には見覚えがあった。

 男女は──頭に角を生やしている。


 自分の角を撫でながら、男は軽快に話し始めた。


「よう。久しぶりだな、お袋。オレ婿入りしたから、その報告に来たぜ。っつーわけで閻魔天ヤブサメ改め、偶蹄たまわなヤブサメ。で、こいつが妻のクジラ」


獰猛ドウモ! 偶蹄クジラ出数デス!」


 バッファローののどから日本語がうなる。

 お義母さんは、そんな事態に驚きながらも口を動かした。


「ヤブサメ……お前はアメリカにいたはずだろ、どうやってここまで来た? バッファロー税関は……」

 かなり前から気になってたけど、何なんだよバッファロー税関って。


「海を渡ったんだよ。バッファローは不可能を破壊する」


「そ、そんな……もうバッファローはそこまで進化しているというの……?!」


 お義母さんは頭を抱えている。

 まあ。真偽はともかく。

 やっと事の重大さがわかってきたかもしれない。

 明らかに人語を介していたバッファローの存在が、俺の理解を後押しした。


「それじゃあ、オレたちは行くぜ。盆と正月には帰ってくるからよ、襖はちゃんと治しとけよな」


「次も土足でうちへ上がり込んでみな……! お前の陰茎ツノ、へし折ってやる!!」


 お義母さんは息子を強くにらんでいた。息子の息子を睨んでいたのかもしれない。

 そんなやりとりを他人事のように眺めていると、ヤブサメさんは俺の方を向きながら言った。


「ああ、そうだ、忘れるところだったぜ。結婚式には出られないからよ、祝儀はこれで勘弁してくれよな」


 バッファローの背中に乗っている女を下ろそうとするヤブサメさん。俺はすぐに駆け寄って、彼から祝儀を受け取った。



 俺の腕に抱かれながら眠っているのは、閻魔天かがみ。

 勝手に渡米しやがった────俺の恋人だ。



頭頭頭頭頭頭頭頭頭頭ズズズズズズズズズズ!!!!」


 ヤブサメさんを乗せたバッファローは豪快な足音を立てながら去った。


「もう日本は終わる……私の子が日本を破壊するんだ……」


 お義母さんはうつろを見ながら日本の崩壊をなげいていた。

 俺は抱いていた恋人を床に降ろし、上裸を隠すように俺の上着を掛ける。


「息子さん、日本に帰ってきましたね」


「……こんなの、帰ってきたとは到底言えません。私はあの子の婿入りなんて認めてないですよ。それにバッファローのことも、まだ憎い」


「………………」


「………………」



 再び訪れる沈黙。


 

 今日はここまでか、と。

 家に帰ろうと、俺が席を立つ直前に。



「…………貴方、海は渡れます?」


 お義母さんから意味のわからないことを尋ねられた。

 俺は答える。


「……飛行機か船に乗れば」


「そうですか……それなら──貴方はバッファローではなさそうね。バッファローでない人間には興味ありません。……結婚でもなんでも、好きにしなさい」


 その言葉に、俺は小さくこぶしを握った。


「でも水井剛さん。この世界は近いうちにバッファローに全て破壊されます。それでも貴方は、娘を幸せにできると言えますか?」


「病めるときも健やかなるときも、勝手に渡米されたときも、とりあえず一緒にいようとは思えるんじゃないですかね。もちろん、地獄でも」



 お義母さんはバッファローのことを憎いと言ったけれど、俺はどうにもバッファローのことを嫌いになれない。ヤブサメさんみたいなバッファローがいるなら、バッファローもそんなに悪くないんじゃないかと思えるから。


 全てを破壊するバッファローにも、創り上げてしまうものがある。

 そんな悪魔みたいなことを考えながら。



 眠るバッファローの顔を見て、俺は破顔した。





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