ある王国の与太話・1

那由羅

ある上等兵の受難

 カールには三分以内にやらなければならないことがあった。

 それは、両手に抱えた荷物を片付けて、この部屋から出る事だ。


(魔力剣の保管、補助具の整備、監査結果のファイリング───ああ、とてもじゃないが全部は出来ない。いっそ放り投げられたらどんなにいいか…!)


 部屋の壁掛け時計を一瞥して絶望しながらも、決して手が抜けない性分に歯噛みした。

 この魔術研究室はカール一人のものではないのだ。ここを利用する姉弟子にだらしない所を見られたくないという意地が、今のカールにとっては足枷になっていた。


 研究室の中央にあるスクエアテーブルに、魔力剣五本と魔術補助具三点を置き、真っ先に壁側の机に向かった。まずは書類の保管が最優先だ。


 こういう時、書類をまとめている綴り紐を解くのが一番面倒だ。衛兵の標準装備である籠手は金属製で、あまり細やかな作業には向いていない。出来れば外して作業したいのだが、さすがにそこに時間を割くのは得策とは言えない。


(補助具はすぐ使うものじゃない。一度仮置きして、後で整備を)


 本結びでどうにかファイリングを終え、机の引き出しに書類を仕舞い込んだ───その時だった。


 ───ザワッ


 足音でも呼吸音でも、魔力的なナニカでもない。

 嫌悪感とも言うべきものが、カールに危険が迫っている事を知らせてくれた。


 こんな特殊能力まで目覚めてしまった事を嘆かわしく思いながら、総毛立ったカールは恐る恐る顔を上げる。


(…馬鹿な、早過ぎる!)


 時計はまだ正午を指し示していない。厳密には、正午の一分半前、といったところだ。つまり、が務めを終える時刻には至っていない。

 なのに。


(奴が、いる───!)


 部屋の外側にある廊下は、壁と扉で遮られており当然見る事は出来ない。

 しかしカールは、その廊下に忌々しい人物がいる事を確信した。


 アラン=ラッフレナンド。

 その人物は、このラッフレナンド国の国王である。


 腰まで伸びた波打つ金髪、夜闇のような深い藍色の双眸。

 長身で、痩躯そうくとも太りじしとも言えない均整が取れた体躯は、貴族然としたその美貌も相まって、女性であれば誰もが溜息を零す程と言えるだろう。


 だがこの王には、忌々しい噂があるのだ。

 それは───がある、というものだった。


 将軍職に就いていた頃、酒の席で『男の方が気が楽』などとぼやいていた事が端を発している、と言われている。

 実際アランは、その美貌がありながら最近まで浮いた話一つない王子として、そこそこ有名だった。


 王位を継ぎ、ようやく一人の女性を側女に据えたが、その側女も少女めいているというか、決して肉感的とは言い難い容姿だった。

 その為、『もしかして小児性愛なのではないか?』と仮説を立てる者もいるらしい。


 おまけに、『すごいを持っている』という噂もあるのだ。


 を見た兵は、不死の大蛇ヒュドラーだの大洋の蛇亀アスピドケロンだのと表現し、時にはこの国の建国神話にある宝剣”魔術師殺しの剣”などと評する事もあるとか。


 アランの側女が魔術師である事を考えると、言い得て妙だが。

 考えようによっては、を毎晩一身に受け止めているとも言え、『むしろ側女殿すごいのでは?』なんて感心する者は一定数存在する。


 ───閑話休題。


 何にせよアランは、男色、小児性愛、ご立派過ぎる一物と、癖のある噂が絶えない王だ。

 一介の兵士ならば、王族あるある、武勇伝、逸話などと片付けられる与太話だが、カールの場合は違っていた。


 魔術の才を見出され、城内でも数少ない魔術師として扱われるカールが悪目立ちしているのか、アランはあの手この手を使って接触を図ってくるのだ。


 今回のような魔術研究室前での待ち伏せ。

 食堂で偶然を装った声掛け。

 魔力剣の訓練指導の観覧───などなど。


 他の者が側にいると何のアプローチもしてこない辺り、どうやらになるタイミングを見計らっているようだ。


 噂は噂だ、と頭では割り切っていても、ここまで粘着されるとさすがに気持ち悪い。

 その為、何とかふたりきりにならないよう、こうして距離を置いているのだ。


(どっ…どうする?!知らぬ振りをして籠るか?窓から逃げるか?いや、まだ部屋にいると気付かれていないかもしれないのに、下手に動き回って物音でバレるのは避けたい!ああ、せめて施錠をしてから整理を始めるべきだった…!)


 対策と推測と後悔がごちゃごちゃと脳内に入り混じる。その場から動けず、音を立てないようにそっと頭を抱える。


 噂は噂だ。ふたりきりになって何があるという訳でもないはずなのだ。ちょっとした雑談がしたいのだろう、多分。

 ただ、色んな思惑があり、カールにとってアランは距離を置きたい人物に変わりはないのだ。そもそも、王族とどんな会話をすれば良いのか分からない、というのもあるが。


(掘られたくないぃ…!!)


 何故か噂が真実かのようになっているが、あまり気にしてはいけない。誰だって自分の貞操は大事にしておきたいものだ。それは男も女も同じではないだろうか。


「アランさまー」


 ふと、どこか幼さが抜け切らない女性の声と共に、パタパタパタ、と軽い靴音が近づいてきた。


 一国の王を名前で呼ぶ事が許されている女性など、一人しかいない。

 アランの側女であり、カールの魔術の姉弟子でもあるリーファの声だった。


「どうした、リーファ」

「どうしたじゃないですよ。王冠もマントもつけたままこんな所まで来て………ヘルムート様怒ってましたよ?」


 どうやら午前の引見を終えてすぐに、着替えもせずにこの魔術研究室へ直行したらしい。かっちり正装のまま廊下を歩き回る姿は、そこそこ騒ぎになったのではないだろうか。


「そんな事はどうでも良い。それよりも上等兵を見なかったか?」

「え?カールさんですか?いえ、私は見てませんけど………演習場の方は静かでしたし、もう食堂へ行ってしまったのでは?」

「………ふむ、逃がしたか………?」

「逃がしたって何ですか、もう。ほら、早く着替えに戻りますよ」


 一国の王だというのに、まるで徘徊老人を連れ戻すかのような扱いだ。

 名残惜しそうなアランと面倒臭そうなリーファの会話が、少しずつ廊下の先に遠ざかって行く。


「なぁリーファ。何故私は、上等兵に避けられているのだろうな?」

「アラン様が揶揄からかうからでしょう?会うなりちょっかいかけてたら、距離置かれて当然ですよ。逆に何でそんなにつきまとうんですか?」

「ふふ、あんなに露骨に嫌がられるとな。つい構いたくなる」

「つまり望み通りって事なんですね………私の弟弟子なんですから、あんまり苛めないで下さいよ」

「分かってる。


 最後にクスクスと笑い声が響いて、嫌な汗がぶわっと肌着に染み込む不快感を覚える。まるで、ここにいるカールに聞かせるような嘲笑だった。


 後味の悪い終わり方ではあったが───今日の所は脅威は去った、と見ても良いだろう。


 ───今の仕事、カールにとってはそう悪いものではない。

 憧れていた魔術に関わる務めを任されているし、研究に費やす時間の余裕も増えている。姉弟子との関係もそれなりに良好で、おまけに給料も上がっている。


 ただ一点だ。カールの懸念は。


(ああ。王だけ、代替わりしてくれないだろうか………!?)


 力なくその場にへたり込んだカールの口から、特大の溜息が零れて行く。

 彼の心労は、これからも続きそうだ。



 ~ある上等兵の受難~ おわり

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