第45話 花梨と李

 時刻は15時ちょっと過ぎ。

 窓から差し込む日差しに照らされた用紙に文字を書き連ねる。


 言葉は自分を包み込んでくれる。

 未知の言葉に出会う度、私は幸福に包まれる。幼少期から私はそんな女の子だった。

 小説の世界に触れて、それは更に激化した。


 世の中には知らない言葉が沢山ある。

 造語なんてものも興味深くて、小学校の担任の先生が私に難しい漢字や言葉の読み方や使い方を教えてくれたとき、私は本とは、言葉とはこのようにして人と人とを結ぶのかと、幼いながらに思い至った。


 今思えば、私は他の子どもに比べて幾分か達観した様子で、同年代に不気味がられるのは当然だったのかもしれない。


 でも、孤独を恐れる段階には至ってなかった。


 と言うのも私は孤独を真の意味で理解していなかったから。


 それは私に幼馴染という肩書きだけの存在だと思っていた同年代の女の子がいたから。

 その子がまぁ、よく私なんかにも声をかけて、『みんなの輪』というものに私を加えたがる子で………。


 当時は辟易とした態度を取っていた私だけれど、その実、ほんとうは嬉しかったのも本心だった―――。



 ☆  ☆  ☆


 少女は「いってらっしゃい」を背に浴びながら家を出る。

 パンのおつかいだ。

 海を目の前にするこの活気あふれた町を、少女は賑わう人々の間を縫うようにして駆ける。

 母親から預かった小銭を無くさないように握りしめながら、少女は駆けて、ようやく人々の波を抜けた先に広がるのは自分の背よりも倍近く高い防波堤。

 少女は昔に釣り人のために用意された階段をよじ登って防波堤の上を歩く。

 隣には人の波よりも澄んだ気持ちのいい青をした海。一面の海。

 その手前には浜辺も広がって、右の耳を海の波の音に預け、左の耳で人々の喧騒を聞く。

 先ほどまでの天真爛漫に町を走る少女の姿は無く、今在るのは静かに海を見つめながら歩く幼い少女。

 浜辺には人が一人もいなくて、どうしてみんなこんなに綺麗な海を見ないのか。この音を聞かないのか。少女は不思議で仕方がなかった。

 今日も寂しそうな海を眺めながら、少女はパン屋へと向かう。


 この町では、海は未知の領域として人々に恐れられている。


 ☆  ☆  ☆



 急いで準備を整えて、学校へと向かう。


 夏休みに入ったにも関わらず制服の袖に腕を通す感覚に違和感を抱えたまま、うちは前髪を気にしながら早歩きをした。


 学校の正門を潜るころ、茜色の夕陽が学校の窓から反射されて、どこか見慣れてるはずなのに幻想的な雰囲気を感じた。

 下駄箱で靴を脱いで、職員室には寄らずにスモモがいるはずの教室に向かう。

 その途中、生徒にも、先生にも誰一人会うことは無かった。


 教室の前で、扉から少しだけ顔を覗かせて中の様子を窺う。

 具体的には、スモモは今どんな様子なのか。うちが電話の切り際にめちゃめちゃ面倒くさいこと言っちゃったから、流石に怒ってるんじゃないかとか。気のせいかもしれないけど、最後らへん、スモモはもしかしたら泣いてたんじゃないかとか。だとしたら、………猶更、ちょっと気まずくて、教室には入りにくくて。


 そんな諸々の理由でうちはまず、教室を覗いた。


「………」


 不覚にも。

 不覚にもだけれど。


 うちは、夕陽に照らされた紙を陰から静かに見やりペンを動かす姿勢の良い女の子に、ドキッとさせられていた。


 見惚れていた。



 ☆  ☆  ☆


 今日も今日とて少女はパン屋へとおつかいに出る。

 海沿いの防波堤をひょこひょこと歩きながら、鼻歌も交えて、少女は綺麗な海を眺めながら歩く。

 ふと。

 少女は少しだけ興味が湧いて防波堤よりも向こう側。浜辺へと降りてみたくなった。海に、もっと近づいてみたくなったのだ。

 浜辺を歩いて、波打ち際に足跡をつける者なんて少女しかいない。その足跡もすぐに海によって流されきれいさっぱり消えてしまう。

 砂に足を取られるような感覚に「いひひ」とはにかみながら少女は歩いた。

 パン屋までの道を、防波堤の裏側から、ずーっと歩いた。

 やがて少女の足が止まる。

 その足のすぐ目の前には、綺麗な裸体が広がっていた。

 女の子が、倒れていたのだ。

 それもガラス細工のように触れたら崩れてしまうと錯覚するほどの、お人形さんみたいに儚い女の子が。

 少女は「だいじょーぶ!?」と生まれたままの姿の女の子に話しかける。

 女の子はまるで機械のようにぱちりと、目を開けた。

 そして少女の顔を見つめながら言う。


「あなたは、人間ですか?」


 少女は戸惑いながらも「うん。そうだよ」と答えてあげる。

 女の子は続けざまにこう言うのだ。


「あなたは、雄ですか?」


 少女は「オス?」と首を傾げる。そんな言葉をまだ幼い少女は耳にしたことが無かったのだ。

 女の子は少女の反応を正しく読み取る。


「あなたの性別を教えてください」

「お、女の子だよ!?見たらわかるでしょ!??」


 そんな少女の反応に女の子は「なるほど」と頷くと、「では男の子はだれですか?」と少女に尋ねる。

 少女の頭の中は不思議と混乱でいっぱいだった。

 まだ幼い少女は考えても分からないことばかりだから、とりあえず目的を聞いてみることにした。

 すると女の子は答える。

 ―――「恋をしたいのです」と。

 それを聞いた少女は絵本などでしか見聞きしなかった恋愛模様が、今自分の目の前で広がるかもしれないことに興奮した。少女は女の子に手伝うよと笑いかける。

 それから少女はまず女の子を岩陰に隠し、家に戻ってから親にバレないように服などを持って、女の子に着せた。そして二人は町で、女の子の運命の人を探すちょっとした冒険をする。


 けれど―――。


 ☆  ☆  ☆



「けれど、町の人々は女の子を遠ざけたがるのだ」


 スラスラとペンを動かす。


 まるで昔の自分と女の子を重ねるようにしながら、その時の重たい感情も丸めて含めて、紙に書き連ねる。


 町の人々が女の子を遠ざけたがるのは、彼女が人間では無いことを本能的に理解してしまっているから。

 言葉を交わしてみる努力もせず、ただ見た目やその人の雰囲気に呑まれて拒否をする。


 書いていて思う。

 女の子が可愛そうだと。


 でも、、、


 私は中学生のの、カリンを思い浮かべながら文字を綴る。


 努力が足りていないのは、女の子も同じだった。

 女の子は諦めるのが早かった。

 彼女はだから。機械だから。人間じゃないから。

 周りの人たちとは思考回路が違うから。


 見切りをつけるのがとても早い。

 でもそれは良いことには繋がらない。


 その点、少女は諦めなかった。


 あの頃のカリンも、きっと私が『みんなの輪』に入れることを、諦めてなんてなかった。



 ☆  ☆  ☆


 少女が女の子と、女の子の運命の人を探すちょっとした冒険を始めてからおよそ二週間が経った。

 町の人々は女の子を避け、なかなか上手く物事は進まなかった。

 女の子と少女は気落ちしながら浜辺に座る。ここは静かで、町の人々は絶対に足を踏み入れない場所だから。

 女の子が唐突に言う。「私、実はアンドロイドなんです」と。

 少女が不思議に思いながらも聞かないでいたことを、女の子は明かした。しかし少女はアンドロイドが何か分からない。ただ、自分とはちょっと違うってことぐらいしか。

 女の子は言った。


「私は、あなたのような心を持っていない。言わばただの人形です。恋を、出来るはずもなかったのです」


 女の子は続ける。

 自分は恋をしに地上にやってきたが、それには期限がある。期限内に地上で恋が叶わなければ、一生深海で眠り続けることになる、と。

 少女は混乱した。混乱して、泣きそうだった。「そんなことないよ!」と否定する。


「あなたにだってちゃんと心はあるよ!恋だってきっと出来る。あなたはお人形さんなんかじゃない。あなたは、わたしと何も変わらない!!」


 女の子は泣きじゃくりながら声をあげる少女を見て――――。




 期限が過ぎる。

 女の子は、海の中へと消えていく。


 ☆  ☆  ☆



 夕陽に手元を照らされながら、声を発さず口元を動かすスモモを、教室の入り口から覗き見ながらうちは昔のことを思い出していた。


 スモモは小学生のころから、一人になりやすい女の子だった。


 いっつもうちがクラスメイトたちのところへ連れていってあげるんだけど、どこか「どうせ仲良くなんてなれない」みたいな諦めた顔をいつもしていて。

 それがうちは、なんか気に食わなかった。


 でも中学生になって、そこそこ心も成長し始めて、もしかしてうちがしてることってスモモにとって迷惑なことなのかな?って考えが浮かんだ。

 だから、距離を置いてみた。


 結果的にそれは失敗だったわけだけれど。

 があったからうちらは、ここまで仲良くなれたんだと思い出す。


 うちは、教室の中へと一歩踏み出した。


 スモモとの色々を思い出しながら、うちは意を決して彼女の前に立つ。


 


 そう、思い出したから。



 ☆  ☆  ☆


 少女は駆けた。

 海の中へと沈んでいく女の子を手繰り寄せるように、少女は無我夢中で海の中へと飛び込んだ。



 は驚いた。

 かれこれ地上での二週間でも表情を無から変えなかったアンドロイドが、驚いた。

 自分で自分の反応に、また驚く。自分にこんな機能があったのかと、そう考えて、すぐに否定する。

 少女が言ってくれたじゃないか。あなたにも心はあると。

 だからこれは、きっと驚きと言う感情。

 そしてアンドロイドは、自分のために海にまで、身を危険に晒しながらも飛び込んできてくれた少女を愛おしく想う。

 海の中なのに、機械なのに、涙が出そうになるほど、少女が自分を離すまいとしてくれることが嬉しかった。

 嬉しくて仕方がない。

 アンドロイドはこの時、初めて自分の胸の内のに気付く。

 そうか、そうだったのか。

 あなたが。性別なんて関係ない。常に寄り添ってくれたあなたが、私の。


 アンドロイドは、沈む少女を抱きとめた。

 少女は、沈むアンドロイドを抱きしめた。


 二人は浮かび上がって地上の空気をめいっぱいに吸い込む。


 そして、どちらからか。

 いや、二人同時に言うのだ。


 ☆  ☆  ☆



 私は顔を上げる。目の前にはカリンがいる。


 私は今、どんな顔をしているんだろう?

 諦めてるわけじゃないから、そんな酷い表情では無いと信じたいけれど。


 でも、いっつも表情筋が乏しいなんて言われていた私にはカリンみたいな花の咲くような笑顔は無理でも。

 今、この瞬間だけは精一杯に笑おうと思った。


「「好き」」


 言葉が重なる。


「………え?」


 今、カリンも好きって言った?

 そんな驚きと共に声が出る。


 カリンは慌てて弁明でもするかのように私にその二文字の意味を教えてくれた。


 曰く、スモモと好きの意味が同じかは今のところ分かってない。

 けれど、友愛とはまた違った好きを抱いているのも自覚したらしい。


「だから。だから、これからは親友よりも、もっとスモモの隣で。今までよりももっともっと近くで、スモモと一緒にいたい。この好きが恋愛的な好きなのか、スモモと一緒に確かめたい」

「………」

「えっと、つまり。……だから、その」

「………っ!」

「えっ!?ちょっ、スモモ!??」


 私は思わずカリンに抱き着いた。


 、それでもいい。

 チャンスが貰えたのなら、確実に物にしてみせる。


 もう諦めたくないから。


 気付けば涙が零れていた。


「えへへ//その、これからも、改めてよろしく、で良いんだよね?スモモ」

「………うん。……うん!」


 私の背中にカリンの腕が回される。

 ぎゅうっと抱きしめられる。



「………覚悟、しててほしい。絶対に、カリンに大好きって、言わせる」

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ボイチェンしてキモオタおじたんキャラとして一定のマイナーなファンを確立していた僕、放送事故により女であることがバレてからの翌日ネットニュース騒ぎで有名人になりゅ 百日紅 @yurigamine33ki

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