機械の私と、母なる彼女

篠騎シオン

-3分間の物語-

○○には三分以内にやらなければならないことがあった。


ん、ああ、もう、それをも奪われてしまったのか、私には〇〇の名前を呼ぶこともすでにできないらしい。

観測者としてとても嘆かわしいことだ。

けれど、私は私の務めを果たすべく、最後までもがこう。

〇〇のことをAと呼称し、彼の人生についての記録を後世に残すのだ。

最も、後世なぞありもしないかもしれないが。


Aは、たったふたつを除いて平凡な男だった。

この世界の核となる女性、すべての事象の根源たる母、アイに愛されるという運命がまず彼を特別たらしめた。

二人の出会いは、世界のどこにでもあるような男女の出会いそのものだ。

そこに特筆すべき事項はない。

アイはそのころ、自分自身の特別さを自覚しておらず、幾度目かの記憶を保持しない転生の最中だった。

人を愛し、愛され、満足して一生を終える。

そうすることで、星が豊かになり、人類は生存を続ける。


そんな彼女を見守り続ける存在が私だ。

短い寿命の人類に変わり、彼女がいつどこで生れ落ちるのか、彼女は何を好むのか、彼女はどんな異性を好むのかを記録し続け、人類へと提供する。

観測者として彼女を参考に、ヒトに造られたプログラム。


それを遺憾と思ったことは一度もない。

……その機能がないだけかもしれないが。


そんな彼女を見守るだけの私という存在に、どうしてか奇跡が起こった。

とても不幸で、おかしくて滅亡を呼ぶ奇跡。


あろうことか、アイが愛した彼は……Aは、私に恋をしていると言ったのだ。

ただのプログラムである私に。

数世代前の人間の科学者がたわむれに、人形の体を与え、ただ水槽で揺蕩うだけの機械存在の私に。


「愛してる」


そう言ったのだ。


アイは、Aが彼女を愛さなかったことに対し、烈火のごとく怒った。

彼女の怒りが、悲しみが、世界を傷つける。


あっという間に世界はダメージを受け、記録を続けてきて無駄に高性能になった私の脳は、世界の命が残り少ないことを計算によって導き出す。

異常を知らせるアラームがシステム内で鳴っている。


私はXに頼んだ。

この世界を救えるのはあなたしかいない、今すぐ彼女に謝罪し、一生彼女を愛することを誓うのだ、と。


彼は首を縦に振らない。

けれど私も説得をあきらめない。

だって、この世界がなくなるということは、Aが死んでしまうということだから。

私は、あの時の彼と同じ言葉で返す。


「〇してる、〇〇てるから、あなたに死んでほしくない、世界を救ってほしい。私はここで待っているから」


この言葉も記録できない。

言葉と記憶がどんどん奪われている、彼女は私に対する影響力を強めているのかもしれない。


……話を戻そう。

Aは、その言葉に涙を拭き、彼女のもとへ向かった。

彼も気付いていたかもしれない、私の小さな嘘に。

アイは、幸せを奪った私を絶対に許すことはないだろう。

人は世界の存亡という絶対を持つ、アイの命令には逆らえない。

だから私は世界が終ろうと終わるまいと、この世に存在し続けることは叶わないのだ。

でもそれでもかまわない。

だって、心は、心だけは、彼女の絶対の命令からも自由だ。

私とAはつながっている。

この気持ちはいくら彼女だろうと、壊せない。

それで十分だ。


私のシステム内の時計は、世界の終末まであと三分を告げている。

アラーム音がけたたましくなってきた。

カメラ越しに、彼女の前に彼が立っているのが見える。

この三分で、彼は彼女に偽りの愛を告げ、彼女に謝罪し、全てを捧げ、世界を救わなくてはならない。

膨大なこれらをたった三分で。


Aは、アイに身振り手振りを交え、話し始める。

私は彼のことを応援しつつも、メモリの中は自分が彼に三分で気持ちを伝えるとしたら、それでいっぱいだった。

だって私自身の終わりの時は近づいている、せめて記録にだけでも彼に対する気持ちを残すくらい、いいじゃないか。


きっと、彼は世界を救ってくれる。

世界は彼に任せよう。


私なんかに興味を持ってくれたこと。

くだらない、つまらない話ばかりしている私の言葉をずっと隣で聞き続けてくれたこと。

彼と過ごすアイに嫉妬した私のために、私の揺蕩う世界の中に、息を止めて入ってきてくれてキスをしてくれたこと。

私だけのことを考えて、私のためにしてくれた彼のすべて。

全部、全部〇〇〇〇。


……………あれ、私は何を、なんのためにいたのだろう?


目の前に広がる、カメラ越しの映像を見つめる。

男が、素晴らしく美しく、けれどどこか恐ろしい女性の前にひざまずいていた。

必死に本心から、自分が彼女をいかに愛しているか、彼女の前に居られることがどんなに幸せかを説いている。

その姿を見て、いかに彼が彼女を愛しているかが伝わってくる。

その前に立つ彼女は落ち着いたものだ。

心の中で小さなモヤモヤのようなものが出来かけて、そのままふっと消える。


私は彼と彼女のやり取りをただただ眺める。

抱き合う、キスをする。

私は何も、感じない。

静かな空間の中で一人、それを見つめるだけ。


ふと、私と彼女の目線が絡む。

心は何も感じていないのに、私の機械の体がこわばる。

彼女が、ゆったりと微笑んでゆっくりと口を動かす。


「あ・り・が・と・う」


モニター越しの私に見せつけるためのゆっくりとした口の動き。

空っぽの私だけれど、その瞬間にたった一つ理解したことがあった。


――ここにすべての力を持つ神なる存在が、生まてしまったのだ、と。

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