The sky goes on forever.
Aiinegruth
第1話
モハーヴェ州北東部の緯度において、標高二〇〇〇メートル以上に樹は育たない。夏の登山道は
琥珀色の翼が空を打つ。登ってくるゴンドラをすっと抜き去り、巨影が駅舎横の展望台に降り立った。吹き抜ける風に目を細めれば、体高を低め、立て看板を覗くロルがいた。身長八メートル、一対の巨翼に四本の脚。モハーヴェ州にわずかしかいない、
「山頂まであと少しだって、乗せてってあげようか」
「第二則、
「そんなん守ってんのアンタだけよ。――ほらほら、みんな退いて、記念写真なら上で写ったげるから。そこの融通のきかない男と一緒に頑張ってね」
数度羽ばたく翼が、傾き始めた陽に金の光を返す。人々を風で煽って遠ざけると、ロルはすっとロープウェイ展望台から飛び立った。琥珀色の巨影がどう考えても必要以上にくるくる舞って空に残す軌跡に、誰しもがくぎ付けになっている。ため息を吐き、僕は山頂までの道を急ぐ。ナロ
ブラック・ピーク北峰二八六〇メートル。低い雲を従え、
しかし、間もなくそのときが来て、ほとんどの観光客が息を飲む。天は誰しもを魅了する。落ちてきた丸く赤い陽が、港湾の彼方、水平の弓なりに接する。水に放射する光芒。かつて、宇宙にはとても大きな
ロープウェイの下り最終便が発車したというアナウンスが冷たい風に淡く溶ける。時間が経ち、山頂公園に残ったのは僕たちだけだ。
「乗せて帰ってあげようか」
ロルは言う。落下防止柵の向こうの迫り出した岩場で思う存分写真に撮られていた彼女は、その無邪気さを隠した穏やかな瞳をこちらに向けた。僕が背の突起にリュックを結び付け、上に腰かけると、八メートルの巨体はゆっくり飛び立つ。浮遊感と共に、思い返す。来年からこの儀礼は弟が引き継ぐから、僕のモハーヴェ州族としての役割は完全な
「あーあ、今日は
あんたが、好きだったみたい、今更だけどね。色の薄くなる翼。幼馴染の呟くような声は、風に流れながらも僕の耳に届いた。
息が詰まる。いつの間にか拳は強く握られていて、腕は震えている。儀礼が終わったあとも山頂に残ったのは、最後の彼女との時間を過ごすためだ。そうか、僕も好きだったんだ。眩しさに、涙の滲んだ目を細める。喧騒は少し遠ざかっただけで、未だ眼下にあった。地に銀河。くすんだ雲の底を照らして、人口一四〇万を誇る州都が夜を醒ましている。
「……お願い。僕を乗せて、うるさくないところまで」
こぼした言葉。着陸するはずだった州都庁舎の屋上にリュックを捨て去り、僕たちは昇った。影を刻む雲を抜き、屹立するブラック・ピーク
僕たちを置き去りにした太陽が、彼方で夕暮れを続けている。
身体が浮く。吹き飛ばされる。突発的な乱気流だった。ロルが小さな点に映るほど彼方の空へ放り出される。死。巡る視界のなか、僕は一つのことに気が付いた。見上げる宇宙に、
「何やってんですかー! こらっー!」
・・・・・・
ナロ州航空宇宙管理局と記した身分証を首に下げ、少女はあらかたの説教を終えた。告白をした直後だ。僕はといえば、一緒に横に座ったロルの様子が気になってそれどころではなかった。彼女もそうだったようだ。お互いをちらちら見ていると、少女は疲れた笑みを浮かべて椅子に座る。
「まぁ、無事ならよかったですけど」
言葉に、あともう少しでロルを殺人者にしてしまったかもしれないこと、目の前の少女に命を救われたことにようやく実感がわいてくる。二人して今度こそ誠実に謝る。急に真剣になった! と少女は驚いたあと、一拍置いて一つのお願いをしてきた。
黒髪を揺らす小柄な管理局員が言うことには、ナロ州で建設中の歴史館があり、意見が欲しいとのことだった。不思議そうに首を傾げるロルを横に、僕はぜひ力になりたいと頷いた。
殺風景な部屋から、The Third Evocuating Stationと意味の分からない文字列が記された扉を潜れば、第一七という表札から始まる展示室があった。並べられている品々は、全て初めて見るものだった。英知の総本山であるナロ州で研究されている最新の史実なのだろう。数々の戦争の年表、絶滅した巨大生物の模型などに驚きながら足を進める。
努めて感想を言おうとして、ロルと競り合う。図体で負けているのに頭脳まで負けてたまるか。展示品一つ一つの前でほぼ口論になる僕たちに、少女は振り向いて微笑む。
「やっぱりお似合いじゃないですか」
「「え」」
「次が、一番力の入ったところです!」
声が重なった恥ずかしさに二人して目をそらしたが、続く扉まではすぐだった。第三及び第二展示室。いままでより数段広く、多様な物品の並べられた空間には、巨大な絵画を見ている一人の影があった。
「あれ? お客さんか、珍しいね」
振り向いたのは、身長七メートルほどの巨体。ロルと同じ、
「で、あなたたち本当は何者なの? ナロ州には宇宙管理局なんてないし、歴史館の建設の話も聞いたことないけど」
「「え」」
今度重なったのは、向こうの二人の声だった。
「あぁ、俺たちの仕事の情報開示は一般の方にはまだなんだ」
「ナロ州最高権力者の娘、私だけど」
「あー」
「あーじゃないです。だから地上の組織名を
弁明した
落ち着いて見直すと、第三及び第二展示室には、
二種族の遭遇を描いた絵画に、焼け付いた円錐、激突する大小の惑星の模型。美しい星や彩雲を内包した芸術品に目を奪われる。様々な会話があって、僕が
「はい、好きですね。みんなが夢中になるくらい美しくて、あいつと一緒に居られるくらい静かで、過去の全ての時間とまっすぐ繋がっているような安心感があって、臆病な僕に勇気をくれたんです」
「そうか……それは、本当に良いことだね」
男性は、目を細めて小さく涙を浮かべた。思わずもらい泣きしそうになったのを、目ざとく見つけたロルにいじられて、また騒がしくなる。この夜が最後だ。そう思いながらも、楽しい時間は留めようもなく流れていく。展示室の時代、
疲れてきた身体に、朝の気配がする。逃れられない離別の予感がある。一七から番号を遡っていく展示室で見てきた、いくつもの終わり。ロルを見ると、同じく表情は明るくなかった。手にした途端に捨てなければならないこの気持ちと似ている。やがて、僕や彼女の未来も、どうしようもない結末を迎えてしまうのだろうか。最後に一つ、二人で少女と男性に問う。
返事は短かった。けれども、冷たく沈んだ空気を嘘のように温めた。少女が、そんなことはないですよ! と区切ったあと、薄赤色の翼をした男性が、こう続ける。
きっと いい明日を迎えられる
未来は 君たちが紡ぐんだから
・・・・・・
州族代表の装束は未だに僕には重く感じる。
僕たちはモハーヴェ州の庁舎で目を覚ました。見上げる夜空に
「私たちの空は、過去と繋がり、未来へ続いています。飛行の可不可に関わらず、形の違う人々が共助し、この
演台から見下ろせば、遠く離れた屋台を回る小さな影と、それを追いかける薄赤色の巨体が見えた。受け取る隣からの目くばせ。ロルも気付いたらしい。州の装束を正し、息を吐いて見上げる。祝いの日。どこまでも広がる淡い蒼穹は、州都の賑やかさを包み込んでいるようだ。
視線を下ろし、集まった目を正面から受け止める。本来、
第六〇〇三回巡礼祭 連名招待状
モハーヴェ州族代表 ツクバ・マックオールト 及び
ナロ州族代表 ロル・バイコヌール より
親愛なる友人 レーグル アコウギ へ
「それではみなさま、ご唱和ください。――英知は空にある」
The sky goes on forever. Aiinegruth @Aiinegruth
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます