The sky goes on forever.

Aiinegruth

第1話

 モハーヴェ州北東部の緯度において、標高二〇〇〇メートル以上に樹は育たない。夏の登山道は南峰なんぽうを経由する。流れた汗をぬぐいながら、昼過ぎに出発した駐車場から三時間。晴れ渡る草原の尾根を縦走し、ブラック・ピークの北峰ほくほうに辿り着く。――直前の、ロープウェイ山頂駅に彼女は現れた。

 琥珀色の翼が空を打つ。登ってくるゴンドラをすっと抜き去り、巨影が駅舎横の展望台に降り立った。吹き抜ける風に目を細めれば、体高を低め、立て看板を覗くロルがいた。身長八メートル、一対の巨翼に四本の脚。モハーヴェ州にわずかしかいない、始原龍族しげんりゅうぞくの一人だ。刃物を通さない甲殻の奥で、強靭な筋肉が動く。踏み出す一歩。軽い地鳴りがして、砂塵が舞う。珍しさに好奇の目を向けていた観光客たちが慌てて道を開けた。駅の出口から山道まで、穿つような威圧感のある視線が一通り周囲を薙いだあと、こちらを向いて止まる。


「山頂まであと少しだって、乗せてってあげようか」

「第二則、巡礼峰じゅんれいほうは徒歩で踏まなければならない」

「そんなん守ってんのアンタだけよ。――ほらほら、みんな退いて、記念写真なら上で写ったげるから。そこの融通のきかない男と一緒に頑張ってね」


 数度羽ばたく翼が、傾き始めた陽に金の光を返す。人々を風で煽って遠ざけると、ロルはすっとロープウェイ展望台から飛び立った。琥珀色の巨影がどう考えても必要以上にくるくる舞って空に残す軌跡に、誰しもがくぎ付けになっている。ため息を吐き、僕は山頂までの道を急ぐ。ナロ州族しゅうぞくの姫。ロルは目立つし、目立ちたがり屋だ。臆病者の僕とは違う。第一則、旧七王家きゅうしちおうけの相続者は、一二歳から隔年、生まれた日に各州の巡礼峰を踏まなければならない。モハーヴェ州族しゅうぞくの王子たる僕は、責務を粛々とこなしているだけだ。

 ブラック・ピーク北峰二八六〇メートル。低い雲を従え、くう絶巓ぜってん。壮大な景色のなか、かつては風の音だけが響いていたはずの岩稜は、いま賑やかな喧騒に満ちている。ロープウェイから徒歩二〇分の、州都を代表する観光地だ。山頂公園に建てられた展望台の下には広い休憩スペースがあり、飲料と記念メダルの販売機へ並ぶ人の列が出来ていた。

 しかし、間もなくそのときが来て、ほとんどの観光客が息を飲む。天は誰しもを魅了する。落ちてきた丸く赤い陽が、港湾の彼方、水平の弓なりに接する。水に放射する光芒。かつて、宇宙にはとても大きな海月くらげがいて、大地に接して海と月を作ったという。――始原の絶景だ。

 ロープウェイの下り最終便が発車したというアナウンスが冷たい風に淡く溶ける。時間が経ち、山頂公園に残ったのは僕たちだけだ。


「乗せて帰ってあげようか」


 ロルは言う。落下防止柵の向こうの迫り出した岩場で思う存分写真に撮られていた彼女は、その無邪気さを隠した穏やかな瞳をこちらに向けた。僕が背の突起にリュックを結び付け、上に腰かけると、八メートルの巨体はゆっくり飛び立つ。浮遊感と共に、思い返す。来年からこの儀礼は弟が引き継ぐから、僕のモハーヴェ州族としての役割は完全な内務ないむに移る。――ロルと公的でない場で会うのは、これで最後になる。


「あーあ、今日は日和ひよって目立ってる場合じゃなかったのになぁ……」


 あんたが、好きだったみたい、今更だけどね。色の薄くなる翼。幼馴染の呟くような声は、風に流れながらも僕の耳に届いた。始原龍族しげんりゅうぞくと人間の間には隔たりが多い。似ているのは八〇年かそこらの寿命だけ。体格も、身体の頑丈さも、何もかもが違う。子孫を残せないのに恋愛など無意味だ、なんて世間の声が大半で、お互いそれを無視できない身分だ。

 息が詰まる。いつの間にか拳は強く握られていて、腕は震えている。儀礼が終わったあとも山頂に残ったのは、最後の彼女との時間を過ごすためだ。そうか、僕も好きだったんだ。眩しさに、涙の滲んだ目を細める。喧騒は少し遠ざかっただけで、未だ眼下にあった。地に銀河。くすんだ雲の底を照らして、人口一四〇万を誇る州都が夜を醒ましている。


「……お願い。僕を乗せて、うるさくないところまで」


 こぼした言葉。着陸するはずだった州都庁舎の屋上にリュックを捨て去り、僕たちは昇った。影を刻む雲を抜き、屹立するブラック・ピーク連峰れんぽうを大地の一部に貶めて、まだ高く。ポケットに入れていた巡礼用の高度対応薬を飲み切ったころ、静かな凪のなかで、辿り着いた。約一一キロメートル。始原龍族しげんりゅうぞくの飛行制限高度の限界。

 僕たちを置き去りにした太陽が、彼方で夕暮れを続けている。もだす天空。落ち着く心。まるで、時間なんて存在しなくて、世界の始まりがまだここに留まっているようだった。僕は深い夜に目を向けた。薬を飲んだところで人間には耐えられない高さだ。全身が凍てつく寒さのなか、立ち上がる。生まれ持っての臆病もここまではたどり着けない。ロル、僕もきみが好きだった。その一言を発した。――瞬間、横から一陣の風が吹いた。

 身体が浮く。吹き飛ばされる。突発的な乱気流だった。ロルが小さな点に映るほど彼方の空へ放り出される。死。巡る視界のなか、僕は一つのことに気が付いた。見上げる宇宙に、海月くらげがいる。星を覆うほど長い八本の触手が、淡い空の上に揺蕩っている。そのうちの一本が、突然軌道を折り曲げ、凄まじい速度で近付いてくる。距離が縮まって分かる。触手は多数の円錐によって構成されていて、最も先端の一つの上に少女が腕を組んで立っている。まるで隕石だ。圧縮した空気の爆熱に燃えながら、彼女は目を怒らせてこちらに叫んだ。


「何やってんですかー! こらっー!」


 ・・・・・・


 ナロ州航空宇宙管理局と記した身分証を首に下げ、少女はあらかたの説教を終えた。告白をした直後だ。僕はといえば、一緒に横に座ったロルの様子が気になってそれどころではなかった。彼女もそうだったようだ。お互いをちらちら見ていると、少女は疲れた笑みを浮かべて椅子に座る。


「まぁ、無事ならよかったですけど」


 言葉に、あともう少しでロルを殺人者にしてしまったかもしれないこと、目の前の少女に命を救われたことにようやく実感がわいてくる。二人して今度こそ誠実に謝る。急に真剣になった! と少女は驚いたあと、一拍置いて一つのお願いをしてきた。

 黒髪を揺らす小柄な管理局員が言うことには、ナロ州で建設中の歴史館があり、意見が欲しいとのことだった。不思議そうに首を傾げるロルを横に、僕はぜひ力になりたいと頷いた。

 殺風景な部屋から、The Third Evocuating Stationと意味の分からない文字列が記された扉を潜れば、第一七という表札から始まる展示室があった。並べられている品々は、全て初めて見るものだった。英知の総本山であるナロ州で研究されている最新の史実なのだろう。数々の戦争の年表、絶滅した巨大生物の模型などに驚きながら足を進める。

 努めて感想を言おうとして、ロルと競り合う。図体で負けているのに頭脳まで負けてたまるか。展示品一つ一つの前でほぼ口論になる僕たちに、少女は振り向いて微笑む。


「やっぱりお似合いじゃないですか」

「「え」」

「次が、一番力の入ったところです!」


 声が重なった恥ずかしさに二人して目をそらしたが、続く扉まではすぐだった。第三及び第二展示室。いままでより数段広く、多様な物品の並べられた空間には、巨大な絵画を見ている一人の影があった。


「あれ? お客さんか、珍しいね」


 振り向いたのは、身長七メートルほどの巨体。ロルと同じ、始原龍族しげんりゅうぞくの男性だ。顔からして僕と年齢はそれほど離れていないはずなのに、その畳まれた薄赤色の巨翼の放つ雰囲気は極めて老成していた。首には、同じ名札が垂れている。彼の隣に駆け寄って何か話している少女然り、ナロ州航空宇宙管理局に所属するにはとんでもない理知や才覚が必要となるのだろう。僕が感心していると、突然の指摘が隣から飛んでいった。


「で、あなたたち本当は何者なの? ナロ州には宇宙管理局なんてないし、歴史館の建設の話も聞いたことないけど」

「「え」」


 今度重なったのは、向こうの二人の声だった。


「あぁ、俺たちの仕事の情報開示は一般の方にはまだなんだ」

「ナロ州最高権力者の娘、私だけど」

「あー」

「あーじゃないです。だから地上の組織名をかたるのは無理があるって言ったじゃないですか」


 弁明した始原龍族しげんりゅうぞくの男性が、ロルに一刀両断され、少女にはたかれている。僕は額に手をやった。ロルは空気を読まない。恩は恩にしても、州の名を騙った不祥事には対応するべきという責任感もある。精いっぱい間に入ったが、彼らも、こういう歴史活動を独自に行っているということ以外に開示できる情報はないという。とりあえず名札を破棄してもらうことと、名前を教えてもらうことでその場は流れた。

 落ち着いて見直すと、第三及び第二展示室には、始原龍族しげんりゅうぞくと人間の出会いと協調の歴史品が展示されていた。展示者が謎の人物になってしまったせいで、いままで見てきた全ての品々の信頼性が疑わしくなってくるはずだが、不思議と彼らの解説することがらに嘘が含まれるとは思えなかった。かなり勘が効くロルも同じようで、新鮮な体験だ、とでも言いたげに目をぱちくりさせている。

 二種族の遭遇を描いた絵画に、焼け付いた円錐、激突する大小の惑星の模型。美しい星や彩雲を内包した芸術品に目を奪われる。様々な会話があって、僕が巡礼峰行じゅんれいほうぎょうや、ここまで来た経緯について話すと、男性は一つのことを尋ねてきた。――迷うまでもなく、答える。


「はい、好きですね。みんなが夢中になるくらい美しくて、あいつと一緒に居られるくらい静かで、過去の全ての時間とまっすぐ繋がっているような安心感があって、臆病な僕に勇気をくれたんです」

「そうか……それは、本当に良いことだね」


 男性は、目を細めて小さく涙を浮かべた。思わずもらい泣きしそうになったのを、目ざとく見つけたロルにいじられて、また騒がしくなる。この夜が最後だ。そう思いながらも、楽しい時間は留めようもなく流れていく。展示室の時代、始原龍族しげんりゅうぞくと人間は、いまとは違う付き合い方をしていたらしい。同時代末に造られた大きな海月くらげは、滅亡する星からこの新天地へと、僕たちの祖先を運んだという。

 疲れてきた身体に、朝の気配がする。逃れられない離別の予感がある。一七から番号を遡っていく展示室で見てきた、いくつもの終わり。ロルを見ると、同じく表情は明るくなかった。手にした途端に捨てなければならないこの気持ちと似ている。やがて、僕や彼女の未来も、どうしようもない結末を迎えてしまうのだろうか。最後に一つ、二人で少女と男性に問う。

 返事は短かった。けれども、冷たく沈んだ空気を嘘のように温めた。少女が、そんなことはないですよ! と区切ったあと、薄赤色の翼をした男性が、こう続ける。


 きっと いい明日を迎えられる

 未来は 君たちが紡ぐんだから


 ・・・・・・


 州族代表の装束は未だに僕には重く感じる。巡礼祭じゅんれいさいはナロ州で行われる世界を挙げてのお祭りであって、僕は主賓の一人だった。

 僕たちはモハーヴェ州の庁舎で目を覚ました。見上げる夜空に海月くらげの影はなく、ただ星々が控えているだけだった。あの体験が夢だったのか、そうでなかったのかは分からない。けれど、意を決したロルが大々的に交際宣言をしたせいで、あえなく今日は二番目の目立ち役だ。向かい風も多々あるが、四年経って僕も変わった。ロルは全ての州の古代名を呼んで、挨拶を続ける。


 祖空領そくうりょうナロ

 憧空領どうくうりょうモハーヴェ

 等空領とうくうりょうコディアック

 至空領しくうりょうギアナ

 旅空領りょくうりょうアルカンタラ 

 染空領せんくうりょうエスレンジ

 架空領かくうりょうプレセーツク


「私たちの空は、過去と繋がり、未来へ続いています。飛行の可不可に関わらず、形の違う人々が共助し、この第一八文明期だいじゅうはちぶんめいきが栄えあるものとなりますように」


 演台から見下ろせば、遠く離れた屋台を回る小さな影と、それを追いかける薄赤色の巨体が見えた。受け取る隣からの目くばせ。ロルも気付いたらしい。州の装束を正し、息を吐いて見上げる。祝いの日。どこまでも広がる淡い蒼穹は、州都の賑やかさを包み込んでいるようだ。

 視線を下ろし、集まった目を正面から受け止める。本来、始原龍族しげんりゅうぞくが口にするはずの文句は、今回僕に託された。報道者や他の貴賓席からの厳しい注目が続くが、関係ない。ロルが促し、僕が続く。握る拡声器。きっと届かないだろうと思いながら宇宙に打ち上げた手紙を思い返しながら、紡がれ続けてきた上古の言葉を、また紡ぐ。


 第六〇〇三回巡礼祭 連名招待状

 モハーヴェ州族代表 ツクバ・マックオールト 及び

 ナロ州族代表 ロル・バイコヌール より

 親愛なる友人 レーグル アコウギ へ


「それではみなさま、ご唱和ください。――英知は空にある」

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