深夜二時、〇五〇、そして雨

鯖虎

The Double Three

 私には三分以内にやらなければならないことがあった。それは無限の欲望を叶えてくれる、三桁の数字の捜索だった。


 ある冬の日、午前一時五十六分。

 深夜特有の、暗く冷たい空気に満ちた部屋。

 ありもしない置き時計の秒針が時を刻む、硬質な音が聞こえる気がする。


 三桁。三桁の数字だ。

 それが記された黄金の札が在るべき場所には、ただただ虚空が広がるのみ。

 あれがなければ、夢に至る鍵が手に入らない。

 適当な数字で試すことは、絶対に許されない。


 思い出せるか?


 一二三。

 三二一。

 そんな安直な文字列じゃない。


 五〇二。

 それはこの部屋の番号だ。


 四九五、八五三、六六二、一七〇、九四三、七五八、〇五九、二四三、〇〇八、二二九、一八三、五七四、三九〇、八四六、〇六三、四六九。

 どれも違うと直感が告げる。


 七七七――幸運の数字。

 馬鹿じゃないのか。


 可能性のある場所を探すべきであって、呑気に椅子に座ってる場合じゃない。小走りで向かう先はクローゼット。昨日着ていたスーツの胸ポケットの中を探るが、目当ての物は見つからない。


 ズボンのポケット。

 コートのポケット。


 無い。


 通勤用のリュック。

 プライベートのバッグ。

 床に置いたクッションの裏。

 いつも置いてある棚と壁の隙間。

 ベッドの上で波打つ布団や毛布の下。

 ベッドの横に据え付けたカラーボックス。


 無い。

 時間も無い。

 多分、あと一分も無い。

 あれが無ければ大変なことになる。


 落ち着こう。落ち着いて、昨日の行動を思い出そう。昨日私は何をした。酒だ。佐藤が久し振りにこっちに戻ってきたから飲みに行って、二軒目で飲み過ぎて泥酔して。


 泥酔? 私は酷く酔っていたのか。

 泥酔していたという記憶は、一筋の光明。

 そういうことなら、心当たりがある。

 問題は時間だ。時間が無い。私は走ってリビングを抜け、キッチンへ向かう。途中で何かに足をぶつけたが、構ってられない。


 冷蔵庫。

 扉。

 開けた先にはビール、野菜ジュース、作りおきの煮物、プレーンのヨーグルト。

 もっと上だ。再上段の左奥。



 あった。



 私は背伸びしてさらに手を伸ばし、なぜかキンキンに冷やされた革の財布を取り出す。


 扉を閉め、財布を開き、クレジットカードを取り出して裏返す。〇五〇、カード決済に必要な、三桁のセキュリティコード。

 ズボンのポケットからスマホを取り出し、指紋認証センサーに親指を当てる。画面に浮かぶのは、無慈悲なエラーメッセージ。手汗のせいか。


 急げ急げ、急がなければ二時になる。

 通販サイトのセールが、終わる。

 急いでパスワードを入れて、画面のロックを解除する。ブラウザを立ち上げれば、もうそこは決済画面。三桁の数字を入れて、を押しさえすれば――遅い。画面中央には輪が現れて、その回転は終わる気配がない。

 画面右上のWiFiマークは、接続のエラーを警告している。そして、この場所は、分厚いコンクリートの壁に遮られたこのキッチンは、電波状況が非常に悪い。

 

 恐る恐る振り返ると、リビングの床に設置されていたはずのルーターは、完全にひっくり返っていた。電源のプラグが、本体から抜けている。


 さっき足が当たったのはルーターだったか。


 もう一度画面を見ると、僅かな電波を拾ってくれたのか、次の画面に進んでいた。

 ただし、映し出されるのは購入エラーを伝える言葉だけ。


 現在時刻は、二時〇分。


 タイムオーバー。愚かな私は酔った時の癖で財布を冷蔵庫にしまい、期間限定セールの割引も、ポイントアップも逃したのだ。

 なぜそんなことをしてしまったのか。そんなことは、敢えては聞かない。時に人は恐ろしく愚かだという、それだけのことだ。


 倒れたルーターを起こしてやって窓辺に寄り、カーテンをよけ、窓を開ける。

 冷たく湿った夜の空気と陰鬱な雨音が、暖房を効かせた部屋を訪ねる。


 私はただ、夜に心を溶かすしか無かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

深夜二時、〇五〇、そして雨 鯖虎 @qimen07

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ