その一粒のために
さい
その一粒のために
バレンタイン。それは甘美な響き。
世界中のトップショコラティエの芸術品とも言えるチョコが、ヨーロッパまで行かずに食べられるのだ。
「ホント好きだよね、チョコ」
苦笑みたいな笑い方。そんなの前からって知ってるクセに。
何年か前のバレンタインに初めて食べた高級チョコに、私は心を奪われてしまった。バレンタインの主目的なんて知らん。私の半年分のバイト代は、このために貯めたと言っても過言ではない。しかも今年は推しショコラティエが来る。
「もちろん行く! よね?」
勢いこんで顔を覗き込む。
去年もその前も一緒に有名百貨店のバレンタインフェアに行った彼女は、少しだけ顎を引いて控えめに笑った。
「んー、ごめん。今年はパス」
「えっ、なんで? 用事あるの?」
断られるなんて思ってなかった。だって去年もその前も、絶対来年も来ようねって言ってたのに。
バレンタインフェアは、バレンタイン当日までしかやらない。だからこの週末が最後のチャンス。平日に行けるところじゃないから、予定付けてこの日って決めてたのに。
「用事とかじゃないんだけど……」
彼女はそう言って、何だか口籠もるようにして視線を外した。
もしや……まさか……そんな。
もしかしてバレンタインの、バレンタインたるゆえんであるそっちのイベント……?
もしそうだとしたら、ここで私がごり押ししてしまうのは友達としてアウトだよね。友達として、こういうのはちゃんと応援してあげなきゃいけないもんだし。
でも今年も一緒に行けると思ってたのにな。
「あー……そっかー、それじゃしょうがないね!」
私は無駄に明るくそう言った。だってそう言うしかない。
バレンタインフェアは、残酷なまでに十四日で幕を下ろした。
そんな律儀にしなくても、次の週末くらいまでやってたって世の女子は喜ぶと思うんだけど。
バレンタインが終わってしまって、何だか力の抜けた私はぼんやりと登校していた。
一人で買ってきた推しショコラティエのチョコは、去年ほどには感動を感じなかった。やっぱあれかな、二人で買って分け合いっこできなかったから、試せた種類も少なかったし。
「おはよ」
後ろから追いついた彼女は、軽く肩を叩く。
「おはよ」
一緒に行けなかったからって、彼女が悪いわけじゃない。私は落胆を顔に出さないように努めた。
「バレンタイン、どうだった?」
「んー……成功かどうかは、まだ」
「えー! ちょっと話聞かせなさいよ」
彼女の腕を取って引き寄せる。そうは言いつつ、別に男子の話が聞きたいわけじゃなかった。何というか、ノリ。
「うん……これ、なんだけど」
彼女はそう言うと、鞄の中から包みを取り出した。渡してくるから、顔を伺いつつ開ける。中には繊細なトリュフが二つ入っていた。
「もしかして手作り?」
彼女ははにかむように笑って頷いた。マジで!
「食べてみて」
私に食べてって言うって事は、これは余りとかなのかな。……本命のお裾分けか。
彼女はものすごく緊張した顔で私を見ている。いくら高級チョコ好きの私でも、友達の手作りチョコをけなすなんてしないってば。
一口で頬張ると、思ったよりもなめらかで口の中でとろりと溶けた。
「……美味しい」
「ホントに!?」
彼女はめちゃくちゃ嬉しそうに笑って私の手を握った。普通に美味しい……美味しいけど、何かが悔しい。
彼女は喜びに跳ねて、それから安心したようにため息をついた。
「よかったー! 何回も失敗して、昨日までかかってやーっとできたの! 世界のトップショコラティエには勝てないだろうけど、バレンタイン過ぎても渡せるのは、私の有利なとこでしょ」
えっ……?
彼女は私が持っていた包みを、手のひらごと包んだ。
「成功したのはそれだけ。来年はもうちょっとたくさん作れるように頑張るから、また食べてね」
そう言って見つめる彼女に、私は黙って何度も頷いた。
彼女は清々しく笑って手を放すと、他の子に声をかけながら学校へと歩き出した。
舌先に残るチョコの味はこの上なく甘く刺激的で、今まで食べたどのチョコよりも私の体を熱くした。
その一粒のために さい @saimoon
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