天が見ている閻魔の失敗
青月 巓(あおつき てん)
天が見ている閻魔の失敗
「やっべ……浄玻璃の鏡壊しちゃった……。やっと閻魔に戻れたばっかなのに……」
浄玻璃の鏡とは、死者の生前の行いを写す鏡である。それはつまり死者を裁く上で必要不可欠なアイテムだということだ。これがなければ、一生が八十年とも言われている現代においてその人間の罪の重さを即座にはかることなんて不可能。
ベテランであれば死者の様子と記録を見るだけである程度の罪状を判別できるのだが……。
「マジで調子乗った……最悪だ……」
閻魔大王が世襲制に変わって五千八百三十六年、ちょうど前回のやらかしを精算し、再度父親閻魔に許可をもらい閻魔の業務ができるようになった、若い閻魔大王である。
前回のやらかしは、ここで話せるほどに小さなものではない。そんなものが父親の記憶から消えるどころか、閻魔という父親から引き継いだビッグネームに大きな傷跡となって残っている状態だ。そんな時にこんなことをやらかしてしまっては、どんな大目玉をくらうかわからない。
「あと三分しかないのにどうすりゃ良いんだこれ……」
壁にかけられた大仰なまでに装飾された時計は十二時四十七分を指していた。職員の鬼たちは皆昼食に出払っており、審判を行う場所には閻魔しかいない。
「そもそもなんでこんなとこにリモコンが置いてあんだよ!」
言わずもがな自分の杜撰さが招いた悲劇ではあるが、閻魔はそう愚痴をこぼしつつ椅子の座面に置かれたリモコンを手に取った。プラスチックでできたケースは潰れ、中から回路のようなものがまろびでている。電源ボタンを押しても浄玻璃の鏡はぴくりとも動かず、鏡としての機能しか残っていない。
そもそも浄玻璃の鏡がリモコン式ってどういうことなんだと文句の一つでも言いたい感情を抑えて、閻魔はテーブルの上にリモコンを置いた。
その時、審判の間の扉がギィと少しだけ開いた。
「おわっ!?」
「ギエッ! ここにも鬼がいやがったか! 畜生……ついてねぇ!」
しかし、閻魔の驚きとは裏腹に、その先にいたのは鬼ではなく亡者だった。白装束の濡れ具合からして、重罪を犯した人物なのだろう。
「ん゛! お、お前! ここをどこだと心得るか!」
「いやぁ……ハハ……良い部屋でございますねぇ。それでは自分は失礼いたしまして」
ごまをすりながら男はくるりと百八十度回転し、扉の向こうへと去って行こうとした。
「待て!」
鏡を壊してしまった上に、逃亡している最中であろう亡者を取り逃すとなれば倍怒られるどころではないと察した閻魔は、亡者の襟首を掴んで審判の間に引き入れた。
「ヒイィィッ! も、申し訳ございません! この件に関しては反省しますので、どうかお見逃しを……!」
亡者は先ほどの様子とは打って変わって弱々しい態度でその場に土下座を繰り返す。
「ま、まあ待て待て。お前の話を聞く気はないが……そうだな。お前、電子工作は得意か?」
「は、はぁ……一応ある程度はできますが」
閻魔は内心ガッツポーズをしながら男に壊れたリモコンを渡す。
「三分やる。これを直せ。そうすれば……まあ見逃しはできんだろうが、ある程度の罪は見逃してやらんでもない」
「で、ですが道具が……」
「ほら、これを使え」
閻魔はテーブルの引き出しにしまっていた工具を取り出すと男に投げつけた。昼の休憩中に閻魔殿の中を駆けずりまわって探した工具たちだ。
男は少しだけ焦った。工具とは言ったが素人が集めた寄せ集めのもので果たして今日初めて見たものを修理できるのかと。だが、その不安はすぐに消えることになる。
運がいいのか悪いのか、どこがどう壊れているか、そしてどう修理すれば良いかを男は一目で判断することができた。焦りと減刑を目の前にすれば、人間はこうも強くなれるのだと男は思った。
「で、では取り掛からせてもらいやす。へへ……」
時計を見ると四十八分。昼の休憩時間が終わるまであと二分だ。だが、閻魔がある程度言い訳をすれば一分くらいは稼げるだろう。
男は閻魔の目の前で器用にリモコンの外れたパーツを組み直していく。単純に壊れてしまった外装を除けば、本当にただ少しだけパーツがずれていただけであったがゆえに、男はそれを見事に治した。
それと同時に、十二時五十分の鐘が鳴る。それは午後の就業時刻が始まった合図であり、閻魔殿の審判の間には続々と鬼たちが集まってきていた。
「あ! お前こんなところにいたのか! 閻魔様、この男を捕まえていただきありがとうございます。次の審判の男だったのですが、どこかに逃げ出していたみたいでして……」
一人の鬼が男の襟首を掴むと、男をその場に座らせた。
「まあまあ、昼休みが終わってすぐなんだからさ、ゆっくりやろう。で、まず男、名前は?」
閻魔は先程までその場であったことなど知らないと言った様子で、目の前に座っている男の情報を手元にある資料と見比べる。驚くほどではないにせよ、この男もある程度の罪を犯した上で死んでいることがそこで分かった。
「では、改めて嘘偽りがないかどうかをこの浄玻璃の鏡で確認するぞ。ここにはお前がこれまでに犯した一番重い罪が表示される。覚悟をするように」
男は自分の罪が軽くなることを知っているせいだろうか、やけに聞き分けよく「わかりました」と呟いた。
閻魔は少し外装が抜け落ちた部分を手で隠しながら、リモコンを浄玻璃の鏡に向ける。
男の修理が完璧であったのだろう。ピッという音と共に浄玻璃の鏡が鏡としての役割から物事を映す画面へと変化していった。
(この男の罪状はある程度確定している)
閻魔はその罪状をどうやって軽くするかを考えていた。
(浄玻璃の鏡に映る光景なんて後からいくらでも言い訳ができる。であれば、今手元にあるこの資料の方の情報をある程度恣意的に解釈しなければならないな。さて、どのようにしようか……)
「……様! 閻魔様! これは一体……?」
「ん? 何か不具合でも起こったか?」
周囲の様子を気にも止めずに資料を眺めていた閻魔に対し、部下の鬼が浄玻璃の鏡を指差して驚いた表情を浮かべている。目の前の男は顔から血の気が引いて真っ青だ。
そんなに慌てずとも、どんな光景であったとしても俺がなんとかしてやるさ、と思いながら閻魔が改めて浄玻璃の鏡を見ると、そこには閻魔殿の風景が映し出されていた。
『三分やる。これを直せ。そうすれば……まあ見逃しはできんだろうが、ある程度の罪は見逃してやらんでもない』
『で、ですが道具が……』
『ほら、これを使え』
浄玻璃の鏡には、さっきの会話の光景がくっきりと映し出されていた。
「おい、我が息子よ。亡者どもの最も重い罪は何かわかるか?」
閻魔は後ろから聞こえる声に振り返れずにいた。いつの間にか立っていた男は、先代閻魔、つまり閻魔の父であることは、声色からして間違いない。
「……審判を行う十王に取り入り、刑を軽くさせること。です」
「よくわかっているな。何度も教えた、閻魔にとって、否、地獄の審判を行う十王にとって、最大にして最初に教わる規則だ」
「はい、何度も聞かされてきました……」
「お前はそれを、自らの過ちを隠す目的で、お前から持ちかけた。そういうことか?」
「い、いえ父上……そういうわけでは……」
「浄玻璃の鏡は嘘をつかぬ。真実を申せ」
閻魔の否定はすぐさま先代閻魔の低い声にかき消される。
先代閻魔である閻魔の父は何百年と亡者を裁いてきた。それ故に浄玻璃の鏡を見ずとも嘘を見抜くことなど余裕なのだ。
当然、そんな父に閻魔が隠し事などできるわけもなく、閻魔がしでかした失敗も、男との取引も、全てをその場で白状させられてしまった。
「お前という奴は……恥を知れ! しばらくは朝に百度尻を叩き、その後獄卒の仕事を学ぶところからやり直しだ!」
地獄の鬼の足すらすくむほどの大きな声が、閻魔殿の中に響く。謝罪の言葉もいらないと言わんばかりに先代閻魔は息子の首根っこを掴み、審判の間を後にした。
「それと、その男は大叫喚地獄落ちだ。それ以上の詳しいことは変成王に申し訳ないが引き継いでもらってくれ。午後の審判は私がやる。それと、その男を逃したお前たちも処罰の対象だ」
先代閻魔はそう言うと力強く審判の間の扉を閉め、閻魔を連れてどこかに去っていった。それから一時間は、何かを叩く破裂音と、閻魔の悲鳴が閻魔殿にこだましていた。
その後、しばらくは審判の間では先代の閻魔が執務にあたり、その息子に似た鬼が自らの尻を赤く染めながら、獄卒として地獄で働く光景があったという。
天が見ている閻魔の失敗 青月 巓(あおつき てん) @aotuki-ten
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます