西高漫画研究部:星野潤子と『バッファローパン』騒動

青猫格子

食堂前は大騒ぎ

 竜安西高りゅうあんにしこう漫画研究部部長・星野ほしの潤子じゅんこには三分以内にやらなければならないことがあった。

 食堂の前で売っているお昼のパンを買って、部室へ行くこと。

 三分以内にこなさないといけない理由は、部誌の原稿を入稿しないといけないのだ。

 しかし締切はとっくに過ぎてしまっていた。


 本来は昨日の18時に印刷所へ原稿データが届いていなければならない。

 だが間に合わなかったという事実は揺るがない。

 遅れた理由は複合的だった。部員が体調を崩したとか、星野が特撮番組の最終回で感極まって体調を崩したとか、副部長が吸血鬼特有の生活リズムを高校生活に合わせすぎて体調を崩したとか。

 体調を崩してばかりだが、漫画研究部なのであまり運動していないのが一因かもしれない。


 とにかく、星野は申し訳なく思いながらも、印刷所へ原稿が遅れると電話をかけた。

 幸いにも印刷所の受付は困ったり怒ったりしている様子はなかった。

 翌日の13時までは余裕があるから、それまでに届いていれば問題ないという。

「はい、明日の13時までには必ず送ります!」

 それで星野はすっかり安心した。13時なら昼休みに入ってすぐデータを送れば余裕で間に合う。

 もちろん、当日の朝に慌ててはいけないので寝る前に部誌の原稿は全てチェックを完璧に行った。

 どうして家から原稿を送らないのか? というと、家のパソコンで原稿のチェックはできるが、データを送るには学校の部活のメールアドレスを使わなければならなかったからだ。

 最近は何やらセキュリティがどうのと細かいので、家のパソコンでは部活のメールが使えないのだ。

 データを頻繁に行き来させているのであまり意味のあるセキュリティに思えないが仕方ない。


 その翌日、つまり今日星野は原稿データを持って学校へやってきた。

 12時50分のお昼休みになってすぐ部室へ行こうとした所、友人の精蓮せいれんに話しかけられた。

「星野さん、一緒に食堂行かない?」

「悪いけど、今日は用事があるから」

 星野は申し訳なく思いながらも断ると、友人は意外そうな顔をする。

「でも今日のパン販売にバッファローパンが入るってメニューにあったのに」

「バッファロー? あっ……忘れてた!!」

 星野が大声を上げたので周りがびっくりする。


 冒頭で少し触れた通り、星野はとある特撮番組が好きなのだが、彼女の一推しのキャラが「バッファロー」モチーフなのである。担当カラーは黒。

「今月の動物パンは『バッファロー』ですって! これは絶対買わなきゃ!」

 と月初めにメニューを見て散々騒いでいたのだ。

 星野はそんなことをすっかり忘れて、昼食より入稿を優先するつもりになっていた。

 しかし、「バッファロー」のパンを見逃すなんてできるわけない。

 そして覚悟を決めて食堂へと向かったのである。


 食堂の前にはテーブルが並べられて、毎日お昼にパンが売り出される。

 パンの数には限りがあるため、人気メニューはあっという間になくなってしまう。

 この日もテーブルの前は生徒で混み合っていた。

 人をかき分けかき分け、なんとかたどり着いた星野に告げられたのは残酷な事実であった。

「バッファローパンは売り切れだよ」

「そんな……」

 バッファローパンが入っていたと思われるケースは空で、ペラペラのラミネート加工された写真しか残っていなかった。

 バッファローを模した角のある点を除けば、他の菓子パンと大して変わりない。

 それでも彼女にとっては他に替えられないパンだった。

 (もっと作っておいてよ!)

 星野は喉から出かかった言葉を抑える。自分の都合エゴしか考えていない言葉だ。

 言ってもどうにもなるわけではない。

 普通の人ならば。

「げふっ……」

 星野が咳き込んだことで自我エゴが漏れてしまう。

 自我が世界の認識に作用し、変化していく。

「うわああああっ!?」

 食堂の前で突然パニックが起きる。生徒たちが持っていたパンが次々に増殖し始めたのだ。


「なんだこれ?」

 生徒たちより少し遅く昼食に来た教師たちが唖然とする。

「誰かが魔法を暴走させましたね」

 ある教師の言葉に、金髪の教師が気だるそうに頭を掻いた。

「ってことは星野か……阿久津か?」

「阿久津は卒業しましたよ、アリウス先生」

「そういう細かいことはいいんだよ。とにかく生徒たちの安全確保からだ」

 吸血鬼特有の時間感覚の大雑把さで、アリウスが教師たちと話しているうちに事態はより深刻化していた。

 パンの中でも特に増殖していたのはバッファローパンであった。おそらく星野の意識と連動しているのだろう。

 パンの波が全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れのようになって、生徒と教師たちを飲み込もうとしていたその時、


「らーらーらー♪」

 どこからか歌声が響いてくる。もの悲しげな曲調に対して歌声はずいぶん呑気だ。

 星野の友人、精蓮の歌声である。

 こんな状況で普通ならば歌えるわけないのだが、彼女は普通以上に歌が好きだった。

 歌っているのは星野の好きな特撮番組のエンディングテーマ。

「……!?」

 最終回の余韻を思い出し、正気を失っていた星野の意識が戻る。

 彼女の目に最初に飛び込んできたのは、バッファローパンの波に乗ったまま楽しそうに歌う精蓮の姿であった。

「はぁ、どういう状況??」

 一瞬混乱するが、徐々に事態を理解する星野。この混沌状態の原因が自分であることを悟り、目を閉じて意識を落ち着かせる。

 すると、パンの波は徐々にしずかになり、やがて蜃気楼のように消えていった。


「星野さん! 大丈夫!?」

 星野が意識を取り戻したことに気づいた精蓮が駆け寄ってきた。

 騒ぎが起きてすぐ教師たちが生徒を避難させたようで、けが人などは出なかったようだ。

「被害があまりなさそうで良かったね」

「う、うん……」

 精蓮の言葉に素直に同意できない星野。

 たしかに、これ以上魔法を暴走させてしまったら高校に居続けることは難しかっただろう。

 それはそうなのだが……。

「パンも食べられなかったし、原稿も間に合わなかったけどね」

 時間は13時をとっくに過ぎていた。また印刷所に詫びを入れなければならないと思うと気が重い。

「それなんだけど、パンの方はあれって前に『牛パン』って出してたのと同じだったよ。さっき見た写真だと」

 精蓮によって明かされる事実。たしかに丸いパンに角がついているだけだし、牛といっても通る見た目だった。

「そんなぁ」

「でも牛パンは何回か入荷してるから、また買える機会は来ると思う」

「うーん、でも牛パンかあ……」

 そんな他愛もない話をしているうちに、星野はなんだかさっきよりも気持ちが前向きになってきた。

「バッファローパン」だと自分が強く思っていたものが「牛パン」でもあった。

 認識が世界を変える、というのは強力な魔法の話のように思えて、案外よく起きていることなのかもしれない。

 実際に牛パンが来たときにどうするか考えよう。

 あとは、また原稿が遅れてしまったことを詫びる連絡をしないと。

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西高漫画研究部:星野潤子と『バッファローパン』騒動 青猫格子 @aoneko54

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