せめて人間として

加藤よしき

せめて人間として

 カンタロウには3分以内にやることがあった。正確にいえば、やるべきことを思いついたのだ。彼は自分の頭の回転の速さを褒めてあげたいと思った。

 その日、突然に携帯電話が鳴った。地震の緊急速報とも違う、聴いたことのないサイレンが教室中に響き渡ったのだ。同級生や教員らが画面を見ると、同じ内容のショートメールが届いていた。「緊急告知・15:50に地球に隕石が激突」その文面を確かめたとき、もう15:46になっていた。

 そして

 「おい、あれを見ろ」とクラスメイトの誰かが叫んだ。窓の外、空の向こうに巨大な火球があった。それは自分の方へドンドン近づき、大きくなっていく。

 そして15:47、世界が滅びるまで、あと3分。

 カンタロウは瞬時に決断した。

 ――よし、ヌこう。一発ヌいてから、死のう。

 カンタロウは性欲が強かった。オナニーが大好きだった。これまでの17年の人生でオナニー以外には何もしていないし、これより楽しいことも知らない。オナニー以上に熱中できた物もない。彼にとって生きることはオナニーであり、オナニーこそが人生だった。だから死ぬ前にはオナニーをしようと思うのは当然のことだった。

 決断後のカンタロウは速かった。ズボンをズリ下げて、下腹部を露出する。

 「お前! 何をしているんだ!?」

 先生が怒った。当然だろう。小学校でも教室で下半身を出したら怒られるだろうに、ここは高校だ。男子校では多少の下ネタは許容されるが、さすがに露出は受け入れてもらえない。

 しかし、普段なら先生の言葉に素直に従うカンタロウだが、今回ばかりは譲れない。カンタロウは怒鳴る教師に答えた。

 「うるせぇな、俺は死ぬ前にヌくんだよ」 

 カンタロウは辺りを見渡した。オカズを探したのだ。そして真っ先に目に入ったのは、英語の教科書だった。「ナイストゥーミーチュー」と女性キャラのイラストが笑顔で挨拶している。カンタロウの学校は偏差値が極端に低い。今も中1レベルの英語をやっていたが、今回ばかりは、その偏差値の低さが彼を助けた。もしもイラストもない普通の高校の英語の教科書だったら、オカズが手に入らないところだった。カンタロウは想像だけでヌく術を持っていなかった。

 15:48。カンタロウは陰茎を上下にしごき始めた。

 「ナイストゥーミーチュー、トゥー。アイ、ラブ、ユー。プリーズ、セックス、ウィズ、ミー!」

 カンタロウは教科書の女性にそう語り掛けた。すると、

 「イエス、ミートゥー。アイ、ラブ、ユー。アイ、ライク、ユア、ペニス」

 教科書の女性もそう返した。カンタロウの裏声による、渾身の1人2役だった。

 すっかり教室は混乱状態に陥っていた。逃げ出す者、泣き出す者、先生を殴る者。誰もが火を向けられた猿のように、本能と恐怖に従って行動する。

 カンタロウはその光景を見て、逆に自分が、とても格の高いことをしているように思った。

 逃げる、泣き出す、情けない。

 恐怖にかられて人を傷つける、野蛮だ。

 対して自分はオナニーをしている。この極限状況でも快楽を追及している。人間らしい欲望を優先している。そう、俺は人間なのだ。猿とは違う。このままオナニーをして死ぬ。それは人間として死ぬことだ。

 15:49。カンタロウは「うぅ」と喘いだ。しかし、まだ射精には至らない。若さはあった。すでにペニスはギンギンだ。けれど時間もオカズもなさすぎる。それに隕石のプレッシャーもあった。

 「負けるな、集中しろ。ここでヌケなかったら、俺の負けだ」とカンタロウは呟く。すでに彼の中では、この行為は勝負となっていた。隕石が落ちるまでにヌケたなら俺の勝ち。ヌケなかったら、隕石の勝ちだ。恐怖を超えて人間として死ねれば俺の勝ち。恐怖に屈したら俺の負け。そう言いかえてもよかった。

 次の瞬間、カンタロウは裏声で叫んだ。

 「イエス! イエス! オーッ、マイ、ガーッ! ナイスファッキング・ジャップ! ナイスファッキン!」

 集中するために。そして全力で英語の教科書のイラストの人になりきるために。ちなみにカンタロウの英語力は成績表では2で、「ファッキン」と「ジャップ」は気さくな表現だと誤解していた。

 「オー! ベリー、ベリー、エキサイティングペニス! アイ、ゴートゥー、ヘブン! アイ、ゴーイング! アイ、ゴーイング!」

 空想の中の女性は、カンタロウの全長8センチのペニスによって絶頂を迎えつつあった。もちろん、彼自身も。

 ――地球が滅びる前に、隕石が落ちる前に、俺はイク。絶望のまま死んでたまるか。俺は最高の気分で死んでやる。隕石なんかに、俺のオナニーの邪魔ができるか。

 「うっ」という声が漏れた。カンタロウは射精した。そして――。

 16:00。世界が、砕け散る。 

 カンタロウは射精中だが、早くも賢者タイムに入っていた。勝った、やった、そういった気持ちがあった。達成感と満足感があった。目の前が真っ白になっていく。もっと他にするべきことがあったような気がしたが、考えても仕方がないと思った。

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せめて人間として 加藤よしき @DAITOTETSUGEN

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