第7話 おかえりなさい
「私はさ、詩織に幸せになって欲しいんだ」
数歩進んだところで香織は立ち止まり、振り返ることなく未来へそう話し始める。
「最初は考えもしたよ。自分で自分を殺せば、今の私は生き残れるんじゃないか? って。でもさ、さっきの未来の話を聞いて、思い知らされたよ。私は、自分で思ってたより詩織にとって大事な存在だったんだって。そんな大事な存在を、私が詩織から奪えるはずがないだろ?」
香織は肩をすくめながら続ける。
「だから私は死ぬよ。犯人は死んで、詩織は生きて、香織も生きて、私は消える」
「……本当に、本当にするんですか?」
「やるよ、それが一番丸く収まるだろ? それに、これは私が望んだことだ。それに、この世界で私だけが元はいなかった存在だ。余計な私が消えれば、世界の修正力とやらが都合のいいように修正して、誰の記憶からも消してくれるんじゃないか?」
「私が……私が覚えてます! 私は絶対忘れません! 私は、忘れれないんです!」
「そうかよ、それは、嬉しいな……ははっ、なんだよ。泣かないって決めたのに」
私の言葉を聞いた香織は、目元を押さえながらそう呟く。
「なあ未来、未来が改変されて、人一人の存在が消えるを見たことあるか?」
「? いいえ、見たことはありませんが……」
「だろうな、お前ら天使は転生したあとは基本ノータッチなんだもんな。そりゃ見たことないだろうな。それならさ、こうは考えられないか? 地球で存在が消えた人間は、消えたんじゃなくて別の場所へ行っているとか」
「それは……」
「私はそう信じるさ、そっちの方が希望を持てるから」
ようやく目元をぬぐい終えた香織が、こっちを振り返る。赤く腫れた瞳で未来を見つめる。
「一緒に信じてくれよ。ここで終わりじゃなくて、この先があるって。いつかまた、お前と会えるって」
「……わかりました、信じます。待ってます。だから、絶対帰ってきてくださいね」
「ああ、任せろよ」
香織は未来の目元の涙をぬぐい、口角をぐいっと引っ張る。
「やっぱりお前、営業スマイルなんかしない方がいいぞ? 次会うときは、その笑顔で頼むわ」
「……参考にさせていただきます」
「おう、是非ともそうしてくれ」
それだけ言うと、香織は再び振り返り、駅から遠ざかっていく。
「あ、そうだ、言い忘れてた」
「……なんですか、締まらないですね」
数メートルほど進んだところで香織が再び立ち止まり、未来はなるべくいつも通りの態度を装ってそうツッコミを入れる。
「まあ、なんだ……」
「なんですか?」
「……私も、お前と入れて楽しかったぜ」
「っ!」
そう言うと香織はその場を走り去ってしまう。
「なんですか、それ」
取り残された未来は、閑散としたロータリーで一人呟く。
「信じろって言ったくせに、それじゃ別れの言葉じゃないですか」
**
「せんぱぁい」
「何?」
「先輩って、こっち戻ってきてからなんか変わりましたよねぇ」
事務作業をする未来の隣で、カウンターに突っ伏した叶が未来へそう言う。
「そうですか?」
「そうですよぉ。なんと言うかぁ……そう、笑顔が良くなった気がします!」
「そうですか?ちょっと前にアドバイスをもらって意識してみたのですが、上手くできてるならよかったです」
「それとぉ、キレてたり照れてるのも隠さなくなりましたよねぇ」
「……それは悪い影響ですね。隠せるように努力します」
「いいんじゃないですかぁ? そっちの方が愛嬌ありますよぉ」
叶はそう言うものの、受付としてはお客様へ怒りの感情を表すなんて言語道断だ。
あの日、香織と別れてからすでに5年が経過していた。次会うときはそれがいいと言われた笑顔も、見せる機会はないかもしれない。営業を考えるなら元に戻したほうがいいのかもしれない。
(でも、彼女からもらったものを失いたくないんですよね。全く、厄介なものです)
「あ、また笑いました先輩! 突然笑われると少し気持ち悪いです!」
「あなたの失礼なとこは相変わらずですね。それこそ変えた方がいいのではありませんか?」
そんなやりとりをしていると、ドアベルの音が来客を知らせる。
「いらっしゃいませ! 本日はどのような要件でしょうか?」
未来は笑顔を浮かべ、来客へ要件を問う。入口の方を見ると、そこにはフードを被った女性が立っていた。身長はおそらく170センチほど、顔はフードで隠れて見えないが、胸元の膨らみから女性だと推測できる。よく見るとフードの下にはYシャツとスカートのようなものが見え、高校生のようにも見える。
「要件というか、あー、就職先を探してるんだけど」
そう言いながら女性は、フードを外す。
「その、ここってバイトとか募集してたりしてるか?」
「……」
「……あのー?」
「ばか!」
カウンターから飛び出した未来は、その女性を抱きしめる。
「何年待ったと思ってたんですか! このっ大馬鹿! 私がどんな気持ちで……このっ……このっ!!」
「おい、落ち着けって、泣くなよ。笑顔が崩れてるぞ、私が言ったこと忘れたんじゃないだろうな?」
「そんなわけないじゃないですか! ちょっと待ってください! 準備するので!」
「締まらねえなぁ」
「それはお互い様でしょう!」
未来は一度彼女から顔を背け涙をぬぐい顔を整える。
「お待たせしました」
「おう」
十数秒ほどして落ち着いた未来は、そう言って再び彼女へ顔を向ける。目を赤く腫らした未来は、それを上書きするかのような笑顔を浮かべ彼女へ向ける。
「おかえりなさい。香織さん」
「ああ、ただいま。未来」
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ここまで読んでくださってありがとうございます。作者の熊肉の時雨煮です。
今回の『転生課の未来さん』ですが、書いた後に気がついたのですが今まで書いた作品の中で、初めての短編小説でした。
今更ではありますが、初めから長編小説を書いていた私はかなりの異端なのでは?と思いながら無事に最後まで書くことができました。
もし好評のようでしたら、これからも定期的に短編を書いていこうと思うので、楽しみにしていてください!
転生課の未来さん 熊肉の時雨煮 @bea_shigureni
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