王子様よりもあなたに……。

夕藤さわな

第1話

 シンデレラには三分以内にやらなければならないことがあった。


 夜中の十二時を過ぎれば魔法使いのおばあさんが掛けてくれた魔法はすっかり解けてしまう。豪華な馬車はカボチャに戻り、美しいドレスも義母と二人の義理の姉に破かれたボロボロのドレスに戻ってしまう。

 美しいドレスを着て王子様と踊っている最中にふと思ったのだ。


 魔法が解けてしまう前にこの姿を一目見せたい、と――。


 だから、シンデレラは夜中の十二時よりもずいぶん早くにお城を出た。王子様に呼び止められても、ガラスの靴を片方、お城の階段に落としてしまっても足を止めることも振り返ることもしなかった。

 だというのに思いの外、お城の警備兵たちを振り切るのに時間が掛かってしまってギリギリになってしまった。


「お願い、間に合って……!」


 約束の時間が迫っている。夜の十二時が迫っている。残り三分……いや、もう二分を切ろうとしているだろうか。

 カボチャの馬車の中でシンデレラは祈るように呟いた。


「どうか、どうか……!」


「着きましたよ、シンデレラ!」


 馬車のドアを勢いよく開けて叫んだのは魔法で御者に変身したアヒルだ。従者に変身したイヌのエスコートでシンデレラが降り立ったのは暗くひっそりとした墓地。

 灯りはイヌの従者が掲げ持ってくれている小さなランプだけ。生い茂った木々に遮られて空に浮かぶ月の光も届かない。

 しかし、シンデレラは暗闇を恐れることなく、ガラスの靴を脱いだ足が汚れるのも傷付くのも構わずに駆け寄った。


「お父様……お母様……!」


 父と母が眠るお墓へ――。


「すっかりご無沙汰してしまって申し訳ありません。見ての通り、私は……あなた方の娘は元気で幸せに暮らしております」


 シンデレラは美しいドレスの裾をふわりと広げニコリと微笑んで見せた。


「お母様のドレスがピッタリになるくらい大きくなりました。だから、だから……どうか……」


 シンデレラが言い終える前にお城の大時計の鐘が遠く小さく鳴り響いた。夜中の十二時になったことを知らせる鐘の音だ。

 シンデレラに掛けられた魔法が解けていく。

 馬車はカボチャに、馬はネズミに、御者はアヒルに、従者はイヌに。

 そして――。


「……」


 シンデレラはボロボロのドレスと灰まみれの姿に戻ってしまった。


 ここ何年も両親が眠るこのお墓に来ることが出来なかった。義母と二人の義理の姉にあれこれと言い付けられてそれどころではなかったというのもある。

 だけど、今のみすぼらしい姿を両親に見せるのがつらかった。嘘でも『元気で幸せに暮らしている』と笑って言えないことが惨めだった。


「……元気で幸せに暮らしているなんて嘘。大嘘です」


 ボロボロのドレスを見下ろしてシンデレラはぽつりと呟いた。

 本当は母の形見のドレスを――大好きだった母のドレスを着て『元気で幸せに暮らしている』『だから、どうか心配しないでほしい』と笑って見せて、魔法が解ける前に帰るつもりだった。

 でも、間に合わなかった。魔法は解けてしまった。

 涙で視界が滲む。唇を噛んでうつむいたシンデレラだったけれど――。


「でも、でもね……お父様、お母様。お母様のこのドレスを着て背筋を伸ばしたときに思い出したんです。私は愛されていました。お父様にもお母様にも。今もこの先も幸せであるようにと願われ、愛されていました」


 子供みたいに手の甲で涙を拭うと顔をあげて元気いっぱいに笑って見せた。


「だから、私は幸せになることを諦めません。時間は掛かるでしょうがお母様が遺してくれたこのドレスを綺麗につくろってみせます。そして、綺麗に繕ったこのドレスを着てもう一度、言いに来ます」


 魔法でもなく、嘘でもなく、心の底からの言葉として――。


「あなた方の娘は元気で幸せに暮らしております、と」


 ガラスの靴を手に国中探し回った王子がシンデレラを見つけたのはそれから数か月後のこと。

 王子妃を経て、王妃となったのはそれから数年後のことだ。


 多くの国民と王子様に末永く愛された彼女だったけれど、その理由は美しさよりも力強い笑顔だったと伝えられている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

王子様よりもあなたに……。 夕藤さわな @sawana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ