逢瀬
惣山沙樹
逢瀬
遠方に出張するので前乗りするのだと夫に説明し、新幹線に乗って品川駅に着いた。
息子の食事なら肉じゃがを作り置きしたので問題ない。宿題も夫が見てくれることだろう。
ヒールの音を鳴らし、指定されていた居酒屋へと歩いて行った。建前上、スーツを着ていたのだ。
「よう」
居酒屋の前で、タバコを吸って待っていた
仕切りの無いガヤガヤとした広い店内。壁にはお品書きの紙がベタベタと貼られており、活気ある店員の声が響いていた。あたしと新藤は二人掛けのテーブル席に通された。そうして、真正面から向き合う形になった。
「新藤、ビールでいいよね?」
「うん。つまみは適当に頼んで。俺そんなに食べないから」
ビールの他に、枝豆とエイヒレを頼んだ。あたしもそこまでお腹がすいていなかったのだ。東京の相場はよく知らないけれど、おそらく安い方だろう。あたしと新藤は「そういう」仲だ。それくらいで丁度いい。
真っ先にビールが置かれ、あたしたちは軽くジョッキをぶつけた。お互い四十代になったが、酒の飲み方はあの頃と変わらない。二人とも、ぐっと一気に半分ほど飲んでしまった。ぷはぁと気持ちのいい息をつき、新藤が尋ねてきた。
「仕事どう?」
「普通。息子が大きくなってきたからたまに残業はするよ。そっちは?」
「普通」
「同じこと言わないでよ」
それから、一方的に話すのはあたしの方。話題といえば息子のことくらいしかない。独身の新藤にとってはつまらない話だろうに、律儀に相槌を打ってくれていた。
あっという間にビールとつまみが消えて、話題も尽きて。どちらからともなく、帰り支度を始めた。会計の札を持ち、新藤が言った。
「奢るよ」
「いいって、半分出す」
「精算が面倒。そんなに高くついてないし」
いつもこうだった気がする。初めて二人きりで飲んだあの日も、お金を出してくれた。就職したばかりの社会人、大学生気分が抜けなくて、バカみたいにウォッカをあおった池袋。それから二十年になるのだ。
新藤は真っ直ぐにホテル街まで行った。彼が適当に選んだ、白っぽい清潔感のある外装のホテルに入った。彼はもちろん喫煙ルームのパネルを押した。
「一本ちょうだい」
部屋に入って、あたしがまず言ったのは、そういう言葉だった。息子の妊娠を機に禁煙していたが、新藤と一緒の時は別だ。彼はセブンスターを一本引き抜いて渡してくれた。
事が終わってすぐに新藤は寝てしまった。規則正しく動く胸を見つめた後、ガウンを羽織って窓辺に立った。鈍色に塗られて星一つ見えなくて、あたしはその向こうにあるはずのものを想った。
もし、何か一つでもボタンのかけ違いがあれば、違った未来もあったのかもしれなかった。しかし、今のあたしは、小学生の息子を持つ、どこにでもいるワーママになった。そうして、どこにでもいるお婆さんになるのか、その前に死ぬのか。
テーブルに置かれていた新藤のタバコを勝手に取り、火をつけた。彼はきっと、あの時のことなんて覚えていないだろう。それでいい。これが最後の逢瀬になるかもしれない。それでいい。
煙を吐く息の音だけがその場を満たしていた。
逢瀬 惣山沙樹 @saki-souyama
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